◇ 2015年06月 最終号: 卒業と4年間のまとめ - Mindfulness and Meaningfulness
◇ 2015年05月 ウィリアムズの学生生活 卒業論文
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◇ 2015年05月 ウィリアムズの学生生活 卒業論文
5月です!
春学期、終わりました!
WilliamsはWinter Studyがある関係で、他の大学よりも春学期が始まるのが3週間ほど遅いため、周りの友達がすでに卒業式を終える中、私はようやく期末試験を終えたところなのですが、何はともあれ、学業面においては、Williamsでの学生生活が終わりました!
期末試験後すぐに卒業式かと思いきや、実は、試験後、卒業式までは2週間もあったりします。1週目は卒業旅行に行く人たちが多く(サウスカロライナのHilton Headまで車で行くという謎の伝統があったりします。片道15時間以上かかるみたいです。)、2週目はSenior Weekとよばれる、レセプションやらディナーやらダンスやらワインテイスティングなど、なにやらオシャレで派手なイベントが毎日てんこもりの週があり、その週の週末にIvy Exercise, Baccalaureate, Commencementなど盛大な催しものがあることになっています。最後のCommencementの頃までにはヘトヘトですね。
そんなわけで、4年間のまとめの記事は卒業式の後に書かせていただくことにして、今月号では、つい先日提出した卒業論文について、以前中間報告をしたところの続きから、書かせていただきたいと思います。
□今回の記事の概要
3月号の記事では、卒業論文の概要からはじめ、Winter Studyの終わりに第2章を提出したところまで書かせていただきました。
今月号では、春学期のはじめに行われたスモールグループミーティング、その後提出までの追い込み期、そして最後のThesis Colloquium (口頭試問)まで、書いていきたいと思います。
いつもにまして長い記事(多分今までで最長ですね。)なので、はじめにロードマップを書いてみると、
1. スモールグループミーティングを経て考えた、フィードバックの活用法
2. 春休みで大幅に路線変更をすることに決めたこと、そこから学んだ初心に戻ることの大切さ
3. その後提出、卒論発表までのてんやわんや物語
4. まとめ
という感じになっています。
□Small Group Meeting:フィードバックの活用法
さて、Winter Studyの終わりに第2章の原稿を提出したので、春学期のはじめの週にはその章に関するスモールグループミーティングがありました。
(以前の記事でもちらりとご紹介させていただいた通り、スモールグループミーティングでは、3人から4人の卒論セミナーの学生と、教授1人が1グループとなり、お互いの論文を事前に読んだ上で、それぞれの学生につき1時間程度、ディスカッションをするセッションになっています。基本的に、学生が5分間程度で自分の論文の全体像を説明した後、オープンディスカッションという形です。)
このスモールグループミーティングから学ぶところは多かったのですが、ここでは、特に、このミーティングを通して考えた、フィードバックの活用法を中心に書いていきたいと思います。
1. セミナーメンバー
今回は、カール大帝の伝記について書いているフィルと、ナチスのアインザッツグルッペン裁判について書いているアナと同じグループでした。教授は、卒論セミナーのリーダー(卒論セミナー担当の教授は全員で4人いらっしゃいます。)のドゥバウ教授でした。
正直このメンバーであることを知った時には、ちょっと大分気後れしました。
フィルは、一度も授業は一緒だったことはないのですが、かねてから、超絶に頭はいいが、超絶にクセのある性格をしている、と他の生徒や先生から噂に聞いていましたし、(ちなみに、身長190cmくらいあって、若干ロン毛、鋭い眼光の持ち主で、ヨーロッパの貴族みたいな見た目かつ雰囲気です。威圧感、半端ないです。)
アナは、同じ授業をとったこともあったので前々から知っていた、というか、いつもライティングセンターでライティングを見てもらっていたので、同じ卒論セミナーの仲間というよりも、私の中では先生みたいな存在でした。
2. セミナーにて:メモ取りに終始
なにはともあれ、スモールグループミーティングがはじまりました。
まずは私の論文からです。
開始早々フィルが滔々と私の論文に対する所感を述べてはくれたのですが、使っている単語とか表現が高尚で何を言っているのかよくわかりませんし、
アナから「あなたの意図はこれなのか、それともこれなのか」という質問をされた時も、その二つの選択肢の違いがわかりませんし、
その二つの選択肢の違いを説明してくれと聞いたらフィルは「そんなこともわかんないの」みたいな感じで吹き出して笑ってますし。
結果、私の至らなさから、ディスカッションのレベルとスピードをものすごく下げてもらわなくてはいけないことになってしまいました。
あと、私は、いわゆるstream of consciousness的な論文にならないために、論文の構造を図式化してから書き始めるのですが、その図式を持ち出して説明を試みたところ、それに関しても、「そんな図式で書けるほど歴史はシンプルではないよ苦笑」とか、「君の文章はrigidすぎる。もっとcolorがいるよ。(これ、言葉を選んでrigidと言ってくれてますが、ストレートに言ってしまえば、読んでてもつまらないってことです。)」とか言われてしまったり。
そんなこんなで、はじめのうちは質問とか挟んでいたのですが、徐々に何も言えなくなり、最終的にはただ聞き手に回るようになってしまいました。
結局私は皆のコメントを聞いてメモをとり、最後に「今回のセッションでいただいたアドバイスをまとめると、こういうことでいいですか?」という風に言うことしかできませんでした。
3. 教授とのミーティング:フィードバックを精査することの大切さ
スモールグループミーティングの次の日にアドバイザーの教授との週一回の恒例のミーティングがあったので、
「昨日こんなにたくさんコメントをいただいてしまいまして。。。」
とメモにとったコメントを、全体的な部分に関するコメント、細かい部分のコメントに分けて、報告してみました。
すると、教授が、その一つ一つに対して、そのコメントがそもそも妥当かどうかということや、もし妥当であるならば、どういう風にそのアドバイスを参考にするべきなのか、ということを一緒に考えてくださいました。
私は、とってもスマートな人々からもらったコメントだから妥当に違いない、と、何も考えずコメントをそのまま鵜呑みにしてしまっていましたが、こういうフィードバックというものは、それを参考にするにせよしないにせよ、どうして自分がそのコメントに賛成なのか、または反対なのか、ということをまず考えないといかんのだな、と思いました。
4. アナとフィルのセッション:双方向のフィードバック
さて、私と同じ日にアナ、その次の回にはフィルのセッションがあったのですが、この時に思ったのは、誰しも自分の論文の批評をされるのは、緊張するし、ちょっと身構えるものなんだな、ということです。
2人とも、ものすごい早口になっていたり、ちょっとだけ自信なさげだったり、終わった後に謝ってきたり。
ただ、彼らと私が違うのは、私が単に「あ、ご意見ありがとうございます。」という感じで聞き手に回ってしまったのに対して、彼らは、それぞれのコメントに対して、レスポンスをし、ディスカッションを始めていたことです。相手の意見をただ受け入れるのって、一見相手の意見を尊重しているように見えるかもしれませんが、彼らを見ていて、自分はただ逃げてただけなんだな、と思いました。
で、手法と言ったらちょっと変かもしれませんが、例えばフィルは、質問とかコメントに対する直接的な回答がすぐに思いつかない場合、”That’s an interesting point”とかとりあえず言って、声に出して色々と話しながら考えることで、ディスカッションのテンポを保っていましたし、(何かしらアイディア言っていると、自分でふっといい答えが思いついたり、途中でそれに対して他の人がレスポンスすることが多いのです。)
アナは、これまた手法とか言ったらちょっと穿った見方なのかもしれませんが、ちょいちょいユーモアを混ぜて場の雰囲気を和やかなものにすることで、自分のペースでディスカッションを持っていくのがとても上手でした。
5:まとめ
オープンに相手のフィードバックを受け入れることと、自分なりのやり方でいく、ということのバランスはなかなか難しいと思うのですが、受け入れるべきフィードバックかどうかを考えるときに大事なのは、
1) 相手がどういう意図をもってそのフィードバックをしているのか
2) 相手のフィードバックが、自分自身が論文(にしろ何にしろ)を通して達成したい目的と合っているのか
の2点かなと思います。
このことを見極める上でも、ただ単にフィードバックを受け入れるのではなく、それに対してレスポンスや質問をすることとか、フィードバックがジェネラルすぎるときは具体例を聞くことなどが大切なんだな、ということを学ばせてくれたスモールグループミーティングでした。
(余談その1)Haha, they’re just doing their job.
スモールグループミーティングの後は、「このディスカッションについていけない感じ、1年生の時と同じだな。自分、成長してないな。」とか、「ハアたくさんダメだしもらっちゃったな。」と落ち込んでいたのですが、たまたま会った友達のアニーに、「ボロクソに言われちゃったよ。」と言ったところ、”Haha, they are just doing their job.”とさらっと言ってくれました。
確かに、そもそも彼らはコメントを言うために読んでくれているので、たくさんコメントをもらったことに落ち込む必要もないのかな、というか、コメントもらったことに落ち込んでいるくらいだったら、次、どうやったらもっとディスカッションに参加できるか考えるべきだよな、なんて思わせてくれた一言でした。どんな経験も、自分にとってプラスの方向で活用するのか、マイナスの方向に持って行ってしまうのは、自分の捉え方次第なんだな、と。
(余談その2)フィードバックとバラエティ番組
フィードバックセッションってバラエティ番組とちょっと似てるのかなと思ったり。
私、日本のバラエティ番組見るのが好きなのですが、こういう番組を見ていて、ベテランの芸人さんってすごいなあと思うのは、誰かがおもしろいことを言った時に、単に笑ってるだけじゃなくて、それに乗せたギャグとかつっこみとかを瞬時に言って、さらなる笑いを生んでいるところにあると思うのです。
そういう返しって、人から笑わせてもらおうという受け身の姿勢ではなくて、「自分の仕事は人を笑わせることにある」というマインドセットを常に持って、仕事をしてきているからできるのかなと思います。
同じように、フィードバックセッションをよりよいものとするためには、単にフィードバックをもらうという受け身のマインドセットではなくて、フィードバックに対して何かレスポンスをしてディスカッションをする中で、自分自身より深い学びができるように、また、あわよくばフィードバックをしてくれる人にも何かしらプラスがあるようにできるように、いつも頭の準備をしておくことが大事なのかな、なんて思いました。
□春休み:初心に立ち返ることの大切さ
さて、そんなスモールグループミーティングがあったのが、2月のはじめの週だったのですが、それから春休み(3月の最終週と4月の第1週の2週間でした)が始まる前までに、第3章と序論の草稿の締め切りがありました。第1章は1学期、第2章にはウィンタースタディー1ヶ月かけていたので、それぞれの章にかけられる時間はどんどこ短くなっていったわけです。
てんやわんやしつつも、なにはともあれ第3章と序論を書き上げ、春休みに突入しました。(第3章に関してはスモールグループミーティングはありませんでした。)
1. 大幅な書き直しを決意
当初、春休みの予定は、序論、第1章から第3章までの本論をざっと読み直してから、結論を書き、その後また序論から結論まで全部読み直しつつマイナーチェンジを加える、というものでした。
喩えるならば、家はすでに建ったので、あとは、内装を整える感じというか。
そんなわけで、第1章から読み直し始めたのですが、これがまた結構ショッキングな体験となりました。
というのも、正直な感想が、
「流し読みしたい」
だったんですね。
ダメだしを始めたらきりがないのですが、
「この文章、必ずしも必要ではなくない?」と自分でも思うものがわんさか入っていましたし、
それぞれの章の連携があまりとれていませんでしたし、
結局のところ何が言いたいのかもよくわからない文章だったんですね。
喩えるならば、家を建てているつもりにはなっていたけれど、いざ出来上がったものを見てみたら、ただの木材の寄せ集めにすぎなかった、というか。震度2の地震で崩壊だワー、みたいな。
秋学期が終わって第1章を提出したときには、きちんとした文章が書けたとか思ってしまっていましたし、この前の記事で第2章について書いたときも、「自分でも及第点が出せる」とか言っていた自分がこの上なく恥ずかしくなったりなんかして。(さすがに一番はじめの段階よりは、学期末に提出したものの方がマシではあったのですが。)
で、今あるものをベースにだましだましで切り抜けるか、大幅な直しをするか、という二択のどっちにするか迷った結果、多分、マイナーチェンジだけだとよいものにはならないし、自分でもきっと満足できないなと思ったので、思い切って直してみようと思いました。
2. 書き直しの方向性
春休み前までの段階では、明治維新後の森有礼主導の教育改革、第二次世界対戦後のSCAP主導の教育改革、そして現在進行中の教育改革の3つの時期において、elitism, national identity, innovationという3つのコンセプトが、どのように教養論(またはリベラルアーツ論)を形づくってきたか、みたいな論文を書いていました。
で、いろいろダメな点がある中で、特に根本的にまずかろうと自分で思ったのが、
1)時代のフォーカスができていない
2)結局何が言いたいのかがわからない
(教養/リベラルアーツ論の単なるオーバービューになってしまっている)
というものでした。致命的ですね。
なんでこんなことになってしまったのかを考えたとき、恥ずかしい話、書いているときに、「とにかくこの章を書き上げるぞ!」という気持ちが先行してしまって、全体像を見失っていたからかなと思います。
そこで、自分がそもそもなんでこの卒論をやろうかと思ったのかというところに立ち返ってみたときに、
1:2000年代になって、なぜ日本で教養教育/ リベラルアーツ教育が注目されるようになっていたのか
(最近アメリカでは、リベラルアーツよりも、いわゆる実用的な学問(将来的に仕事で役に立つと思われている学問)が注目されている(註1)一方で、「失われた20年」と言われた時代の日本で、一見「役に立たない」とされる教養教育が注目を浴びてきたのは、興味深いかな、と。)
2:なぜ、教養教育、リベラルアーツ教育を推進する人/ 機関によって、教養やリベラルアーツの定義がまちまちなのか
という二つの問いにまとめられるかな、と思いました。
(この二つの問いを設定できるようになったのも、リサーチをした後だったからこそなので、決して春休み前までのリサーチが無駄だったわけではないと思うのですが。)
(註1:「アメリカで、リベラルアーツよりも、いわゆる実用的な学問が注目されている」というのは議論の余地はありますが、Sweet Briarというリベラルアーツの大学が今年でオペレーションをやめてしまうことにしたり(STEM系の教育を増やすことで生き残りをかける作戦もあるみたいです)、Williamsでも学生の「実用的」学問重視(コンピュータサイエンスや経済や統計を専攻する学生やダブルメジャーの学生が増えていたり)の傾向が指摘されたりしてはいます。)
というわけで、自分の今までのリサーチをもとに、時代のフォーカスを2000年代にあてて、教養論/ リベラルアーツ論を見直してみたところ、主に、
ー旧制高校の教養教育(ビルドゥング)の復活(旧制高校の卒業生の方主導)、
第二次世界大戦後、大学綱領大綱化まであった「一般教養」の改良(大学主導)、
「新しい教養」の創造(ビジネス界主導)
という3つのタイプがある、と言えるのではないかなと思いました。
(ちなみにリサーチをやっている中で面白いなと思ったのは、日本でリベラルアーツといっても、アメリカのリベラルアーツカレッジの教育を指すことがあまりないということなのですが、それはおいておいて。。。)
で、この3つの教養のタイプは、いずれも、「日本のリーダー育成に『役に立つ』学問」であることが強調されているなと思いました。
第一のタイプでは、教養教育は国のリーダーに必要な人格形成のために必要とされ、
第二のタイプでは、教養教育は、21世紀における特定の問題解決能力育成のために必要とされ、
第三のタイプでは、教養教育は、ビジネスにおけるイノベーションのために重要と定義されている、と言えるのかな、と。
(大分割愛しているので、ちょっと意味不明かもしれませんが。。。)
と、いうわけで、上にあげた二つの質問の直接の回答としては、
「2000年代以降、教養教育/ リベラルアーツ教育を推進する人々は、昨今の経済低迷の原因を、リーダーの欠乏に見出し、自らが推進する教養/ リベラルアーツ教育によって、それぞれの信じる理想のリーダーを育成しようとしている。よって、多岐に渡る教養教育の定義というものは、それぞれが描く理想のリーダーの定義の違いから生じるものである。」
という感じかなと思いました。
つまるところ、2000年代以降日本で語られている教養/ リベラルアーツ教育というものは、新しい「実用的」な学問ともいえるかな、と。そんなわけで、経済低迷の中で教養教育が注目を浴びてきた現象は、一見不思議に思えますが、こう考えると、メイクセンスするかな、と。
この上で、それぞれの教養論がいかに発展してきたのかということを、それぞれのコアとなるコンセプトを追って考えていこう、と思いました。(第1章はelitism,第2章はpragmatic education, 第3章はinnovationというコンセプトになっています。)
で、とりあえず時代のフォーカスができたところで、第二の問題であった、”so what”の部分に関して考えてみたときに、
「最近の日本での教養/ リベラルアーツ論者は、実はそれぞれ全く違った歴史的背景を持つ教養/ リベラルアーツを語っている」ということを示すことで、近年の日本の教養論を考える上で重要なのは、「何が教養か?」という定義に関する問いではなくて、「なぜ特定の教養教育を推進しているのか?」とか、「それを通して何を達成しようとしているのか?」というところに注目するべき、ということがいえるのかなと思いました。
自分自身、リベラルアーツと聞くと、アメリカのリベラルアーツを想像してしまうので、いろいろな教養やらリベラルアーツの記事を見るたびに、これはリベラルアーツじゃないだろうとか思ってしまっていたのですが、そもそもそういう記事を書いている人は必ずしもアメリカのリベラルアーツについて語っているわけではない、というのは自分にとっても大きな学びとなりました。
...と、いう風に書いてきましたが、実際はもっとカオスな試行錯誤がありまして、こんな風にそれっぽくまとまったのは、ただひとえにアドバイザーの教授の指導のおかげであることは強調してもしきれません。(ちなみに春休み中にもかかわらず、教授は毎週1回のミーティングを続けてくださいました。)
3. 黙々と卒論制作:Don’t forget we are doing this for fun
大体の方向性が決まったところで、残りの春休みは黙々と卒論制作に取り組むことになりました。
基本的に、朝起きて、図書館が閉まるまでは(春休み中は午後5時に閉まってしまいます)自分のキャレル(卒論を書く学生は図書館で机が一つ貸与されます)で卒論作成に取り組み、
軽くランニングに行って夕食をとった後に、今度は図書館の24時間空いているスタディールームで、アナと二人でパチパチと、とりあえず頭が疲れるまで原稿を打ち続けるという日々を繰り返していました。
新しいアイディアが生まれて、もうタイプする手が追いつかないくらい一気に進む時もあれば、(普段の学期みたいにマルチタスクをせずに卒論だけに取り組めたおかげか、こういう機会には結構めぐりあえたり)
書いては消し、書いては消しをただひたすら繰り替えす鬱な時期が続いたり。
アナが「卒論は躁鬱病を体験するようなもの」と言っていたのですが、まさしくその通りだなと思いました。
で、春休み中、いろいろあってわりと鬱になって卒論が全く進まなくなってしまった時に、アナに相談したところ、彼女が、その気持ちはわかるよと言ってくれたあとに、
“But don’t forget we are doing this for fun!”
って言ってくれたんですね。
ついつい忘れていたことではありましたが、そもそも卒論なんて書かなくても卒業できる中で、我々がこの論文に取り組んでいるのは、やったら楽しそうだし、自分にとって意味のあるものだと思ったからだったな、と思いました。
例によって私は単純なので、アナのこの一言のおかげで急にやる気が満ち溢れたりして。
と、いうわけで、春休みのまとめをしてみると、色々な面で方向性を見失ってしまっていた時期ではありましたが、そんなときにこそ、「そもそもの疑問はなんだったっけ?」とか、「そもそもなんで自分はこれをやろうと思ったんだっけ?」という風に初心に立ち返ることの大切さ、
また、今後何かに取り組むときにも、どうしてそれを自分がやりたいのか、ということをちゃんと考えてから取り組むべき、なんてことを学べた春休みでした。
(ちょっと気になって調べてみたところ、「初心に立ち返る」ってもとは世阿弥が言った言葉で、「芸が未熟な時のことを思い出す」って意味なんですね。
というわけで、上に「初心に立ち返る」と書いてしまいましたが、語義を考えた場合、「初志を思い出す」、という言葉の方が正確だったかもしれません。。。どうでもいいですが、「うぶ」という言葉の漢字は「初心」らしいです。。。)
□ 春休み後提出まで:てんやわんや物語
さて、春休みが終わった段階で、私の卒論はいまだ壊滅的な状況にあったので、その後提出までの2週間も引き続き、毎日図書館で朝から夜中まで卒論制作に励み、授業があるときだけふらりと図書館から抜け出し、また図書館に戻るという日々が続きました。
もはや私があまりにもいつも図書館にいるので、とある日話したことがなかったライブラリアンの人が近づいてきて、
「いきなりごめんね。ここしばらく、毎朝僕が通勤するときから帰るときまで、君がこの席にいなかったことを見たことがないことに、驚いて。君が頑張った分だけの成果が出ることを祈っているよ。」
と声をかけてくれて、なんか泣けるなァなんて思いました。
(そもそもきちんとプランしなかった私が悪いのですが。。。)
結局第1章と第2章は全て書き直すことになったのですが、(第2章に至ってはリサーチの段階からやり直したのですが、)この闇の時期を乗り越えられたのは、ひとえにアドバイザーの教授のおかげでした。
正直教授としては、今までアドバイスしてきたものを捨て去って新しいのを書き始めますとか言ったときには、冗談じゃないよと思われたと思いますし、
春休みの終わりの段階で私が提出した原稿のクオリティの低さにも、驚愕されたと思うのですが、
それでも、私が提出したものを、毎週末、数時間かけて読んで、(ワードのコメント機能って何時にコメントしたかが見られるようになっているのです)、大変細かく丁寧なコメントをいれてくださいました。
で、例によってこのコメントも、多分教授だったら、普通に直してしまった方が早いだろうと思うようなところも、そこは私が自分で考えて自分で直す練習になるように、コメントの言葉が選んであったり。
「ちょっとこれは時間ないんじゃない?」という風に言うこともできたとは思うのですが、多分こういう経験からも学ぶことはあるだろうと思ってくださったのか、そんなことは一言も言わず、それまでと変わらぬサポートを続けてくださいました。
でもさすがに4月の忙しい時期に何回も読ませてしまうのは申し訳ないと思い、提出前の一週間は自分でなんとかしますと言ったのですが、その時も、教授の方から、「読んでほしいペーパーがあったら、どういうタイプのコメントが欲しいかを明記した上で送ってくれれば、できる限り早く、返信させてもらうわ。」というメールを送ってくださったり。(なんでもかんでもやってあげるわという意味ではなく、もしサポートがいるならその必要なサポートをする準備はできているわ、という意味ですね。)
結局、提出直前まで、アドバイザーの教授は、送ったペーパーに対して、大変丁寧なコメントを返して続けてくださいました。
私のアドバイザーは、歴史デパートメントのチェアなので、教授としてのお仕事だけでなく、チェアとしてのお仕事も大変お忙しかったと思うのですが、そんな中でもここまでコミットしてくださったことにただただ感謝でいっぱいでした。
□そして提出
そしてついに提出の日がやってきました。
提出日前日は、図書館が閉まる夜中の2時半まで図書館にいたのですが、図書館を出るときに、卒論を書いている他の学生(というかその屍)たちを至るところで見かけたりしました。
翌日、お昼の12時までに、卒論を4部印刷して、(1部がアドバイザー用、2部がfaculty reader用、1部がstudent reader用です)、歴史のデパートメントまで提出という形になっていたのですが、プリンタールームに向かったところ、同じく卒論を印刷しているベンとローラに出会いました。
2人が5部印刷していたので、なんで?と聞いたところ、そのあと皆で卒論を燃やすというイベントを開催するから、とのことでした。
私は他のクラスがあった関係でそのイベントには参加しませんでしたが、どうも、自分の卒論で一番うまく書けた一文か、一番変な一文を朗読した後、火に卒論を投げ入れる、というイベントだったそうです。
あと、ベンが、プリンターから出てくる卒論を見ながら、「印刷された1枚1枚を見ると、あの1ページ、あの1パラグラフ、あの1行を書くのに何時間かけたかと思うとなんかもう泣けてくる。(もうちょっとワイルドな言葉づかいではありましたが。)」と言っていたのが非常に印象的でした。ベンみたいにすごい優秀な学生で、いつも余裕があるように見える学生でも、苦労するんだなぁ、なんて思いました。
□Thesis Colloquium
卒論は提出して終わりではなく、提出2週間後にはThesis Colloquium(口頭試問)というラスボスが待ち受けていたりします。
以前の記事にColloquiumは30分と書いてしまいましたが、間違いでした。(希望的観測でした。)Colloquiumは75分間のセッションとなっていて、内訳としては、はじめ、5分から10分で自分の卒論の説明をした後、自分の論文を読んだStudent readerと2人のFaculty Readerからの質問に対応し、最後時間があればその他のオーディエンスからの質問を受け入れる(このColloquiumは一般公開です)となっています。
このColloquiumは2日間にわたって開催され、私は初日の後半の部(夜8時半から9時45分まで)でした。
正直このColloquiumは、自分の卒論の葬式みたいなものかなと思っていたのですが(実際そんな夢も見ました)、いざ始まってみると、誕生日会みたいな感じでした。
というのも、いただいた質問のおかげで新しい視点が持てたり、質問に答えている間に新しいアイディアなんかが生まれたりしたのです。
75分間は驚くほどあっという間に去って行き、終わった後、来てくださった教授や友達たちと談笑し、その後はただただ脱力感が残り、発表があった部屋で一人残って10分くらいぼーっとしていました。
卒論が終わったことが嬉しかったというよりは、これ以降毎週教授とのミーティングでリベラルアーツについていろいろ話す機会がなくなってしまうことが寂しかったというか。
(余談)人づてに聞く褒め言葉
Colloquiumがあった週に、たまたま経済のデパートメントの新任教授評価インタビューがありました。(これまたすごいなと思うのですが、ウィリアムズでは、新任の教授の授業をとった学生に、同じデパートメントの他の教授が、1対1でインタビューをするんですね。)
インタビューが終わって、軽く世間話をしていた時に、たまたま卒論の話になったのですが、インタビュアーの教授から「あなた、もしかして一昨日ディフェンスした?」と言われて、「あ、はい。」と言ったら、「私昨日たまたまデュバウ先生(卒論セミナーのリーダーの先生で、2月のスモールグループミーティングを担当していただいたのですが、Colloquium当日も見に来てくださいました。)と話していてね。彼女が日本のリベラルアーツに関するすごくいいディフェンスがあったって言っていたけれど、あなたの卒論のことだったのね。」と言ってくださいました。
もちろん、私の卒論自体がよかったというよりは、一番はじめの壊滅的な状態から、ある程度のレベルまで持ってきたことへの評価の方が大きかったとは思いますし(謙遜とかではなく、本当に。)、人の評価が物事の価値を決めるわけではありませんが、ちょっと嬉しかったのでここにチラリと書いてしまったり。
□卒論の提出
Colloquiumの次の週に、デパートメントチェア(私のアドバイザーですね)から、「あなたの論文は無事、Honors Thesisに認定されましたよ」という手紙が、以下のような文言と、卒論の成績と共に送られてきました。
On behalf of the entire department, I wish you warmest congratulations. An honors thesis represents one of the most challenging tasks a Williams student can undertake and we commend you for the work and skill you invested in this demanding enterprise.
滅多にないですが、もし認定されなかった場合は、Honors ThesisがIndependent Studyに変えられてしまい、Honorsをもらうことはできないそうです。
その後、期末試験最終日までに、図書館のアーカイブに卒論を正式に提出しなければならなかったのですが、私は他の科目の勉強がちょっと大分大変なことになっていたので、一旦卒論のことを忘れ、他の科目の試験やペーパーに取り組みました。
その後改めて卒論を読み直し、(この時は春休みの時みたいなショッキングな体験にはなりませんでした。ホッ。)多少直しを加えた後、大学の紋章が入った紙に印刷し、アーカイブに提出して、卒論終了となりました。
□まとめ
さて、ごちゃごちゃと書いてきましたが、最後に、この卒業論文全体を振り返ってみて特に貴重だったなと思った、ペーパーの書き方に関する学びと、アドバイザーの教授の指導の素晴らしさの2つについて書いてみたいと思います。
1. ペーパーの書き方:トピックセンテンス
ペーパーを書くスキルって、ほんとにhard-earned skillというか、たくさん書いてみて、ちゃんとトレーニングを受けた人からコメントをもらうことではじめて伸びるものなんだなということをしみじみと感じました。
ペーパーを書く上で重要なスキルはたくさんありますが、その中でも、最も重要だと思ったのは、ものすごく基本的と思われるかもしれませんが、トピックセンテンスです。
もはや、トピックセンテンスを読めば、その文章を書いている人が、アカデミックライティングのトレーニングを受けた人かどうかがわかるといっても過言ではないように思います。
で、トピックセンテンスを書く上で私が大事だなと思ったのは、
1) そのパラグラフで書いているアイディアをまとめているか
2) アーギュメントになっているか
の2点です。
まず1点目。
アカデミックな文章では、自分の意図を正確に伝えることが最も重要だと思うのですが、その決め手となるのが、この超基本的な、各パラグラフのトピックセンテンスで、そのパラグラフが何のためにあるのかを明確にし、残りの文章で、そのトピックセンテンスで書いたことを膨らませたり、サポートしたりするっていう構成なのかな、と。
教授からのコメントを受けて気がついた、私がよくやってしまった間違いは、1つのパラグラフに複数のアイディアをつめこんでしまうこと、また、最も重要なセンテンスがパラグラフの真ん中に埋もれてしまっていることでした。
いずれに関しても、読み手側の労力を無駄に使わせてしまい、あまりクリアではない文章になってしまうんですね。
2点目。
このトピックセンテンスでもう一つ重要なのが、単なる事実のサマリーの一文になってしまうのではなく、アーギュメントになっているところだと思います。
これは、先ほど書いた「春休みの衝撃」(論文を読み直したら自分でも流し読みしたくなった事件)のときに気が付いたのですが、それまでの自分の文章は、一応トピックセンテンスでパラグラフのサマリーはできるようにはなっていたのですが、ただの事実をまとめたトピックセンテンスだったので、パラグラフの残りの文章を読む必要を全く見出せなかった文章でした。
それを防ぐために、トピックセンテンスを書く上で大事なのは、それが自分のアーギュメントになっていること、つまり読み手の人に、「なんでこの人はこういうことを言っているんだろう?パラグラフの残りの文章で確認してみるか。」という風に思わせるものじゃないといけないと思うのです。
もちろん、全てのパラグラフをアーギュメントベースのトピックセンテンスで書くことはできないかもしれませんが、できる限り、アーギュメント中心の文章を書くことが大切かなと思います。
で、自分が書いている文章がアーギュメントかどうかということを見分けるためには、その文章に対する反論がありうるか、ということを考えておくのが一つのチェックポイントかと思います。
...と、2点書いてみましが、わかりづらいと思うので、ここで、例として、私の論文の1番はじめのパラグラフのトピックセンテンスのビフォアアフターを。
(Before)
In March 2015, 114-year-old Sweet Briar College, a women's liberal arts college in Virginia, abruptly announced that it is going to shut down at the end of the academic year.
(After)
In the United States, the recent economic stagnation seems to have made students more career-oriented, rendering small liberal arts colleges less attractive to some because of the perceived incompatibility between a liberal arts education and job placement.
このあとのパラグラフを省略しているので、わかりづらいかもしれませんが、Beforeの文章は、ただの事実のまとめなので、そのパラグラフで最も重要なアイディアが読み手に通じません。一方、Afterの文章では、このパラグラフで言いたいことはリベラルアーツの人気が落ちていることなんだ、というアーギュメントに一応なっているかなと思います。
(ただ、Afterの文章も、1文が長すぎるのであまりいい文章ではないのですが。こういうトピックセンテンスで、いかに簡潔に必要なアイディアを言えるか、というのが自分の次のステップなのかなと思います。)
「そんな基本的なこと言わないで」と思われるかもしれませんが、意外と卒論を書く学生でもこういう書き方ができていない学生もいたりするくらい、この基本形ってなかなか難しいものだと思います。
これができていないと、自分では何を言っているのか完璧にわかっているつもりでも、相手には全然伝わっていなかったということになりがちです。(実体験に基づきます。)
私自身、色々な人にペーパーを読んでもらっている中で気がついたのですが、全く同じエビデンスを使っていても、このトピックセンテンスがしっかりしているかいないかで、びっくりするくらい、相手の自分のペーパーに対する理解度が変わってきます。
そんなわけで、ペーパーを書くとき、私は、まずトピックセンテンスだけで、その章のイントロからコンクルージョンまで書き、その後パラグラフの残りの部分を書き、最後にもう一度トピックセンテンスを書き直したりパラグラフを再構成するという方法をとるようになりました。
(余談その1)クリアなトピックセンテンスと、バシッとしたスーツ
喩えるならば、こういう基本的な型の文章を書くことって、スーツを来て人に会うようなものかなと思います。スーツって相手に対する敬意を表しますし、相手に対しても一定の姿勢を要求することになる、というか。パジャマ着て新商品のピッチに来られたら、その商品がどんなによいものでも、その人の話聞く気起きない、というか。
同じように、トピックセンテンスがしっかりしてないと、読み手の人もその文章をちゃんと読もうっていう気になってくれない可能性が高いと思います。
人とのコミュニケーションをとる中で、一番悲しいことって、自分が言ったことに対して反論されることよりも、自分が言っていることを理解しようとしてもらえないことだと思うので、そういう悲しい事態を避けるためにも、基本は大事かなと思います。
(余談その2)逆側の視点:書き手と読み手、発表者と質問者
余談多くてそろそろ申し訳なくなってきました...が気にせず書きます。
卒論を通してある程度書き手としての経験を経たことで、読み手としてもちょっぴり成長できたかな、と思います。
例えば、トピックセンテンスとかにもちょっと気を配るようにことになったことで、自分が人のアカデミックライティングを読むときにも、トピックセンテンスをしっかり読んで、残りのパラグラフではトピックセンテンスで紹介されたアイディアを確認、という風にメリハリのある読み方ができるようになりました。
あと、Thesis Colloquiumで質問を受ける経験を経たことで、自分が質問をする立場になったときにも、どういうタイプの質問が発表者の人にとっても面白いものかな、という風に考えるようになったり。
2. 教授の指導
今まででの人生経験上でもそうだったのですが、自分のcomfort zoneから出た時の一番の収穫は、「すごい人」に会えることでした。
その「すごい」の定義はもちろんそれぞれですが、今回、卒論をやってみて出会えた卒論セミナーをとっている学生たちの「すごい」ところは、ものを考えることを心から楽しんでいること、自分が納得いく結論が出るまでは努力も惜しまないところでした。(とある友達は卒論頑張りすぎて授業中に気絶してしまったり。)
で、もちろんそんな卒論セミナーの学生との出会いも貴重なものではありましたが、何よりも、「すごい」なと圧倒されたのは、自分の卒論アドバイザーでした。
彼女の指導を受けられたこと、いや、彼女のような人が存在することを知っただけで、Williamsに来た意味があったといっても過言ではありません。
彼女から学んだことを挙げ始めたらきりがありませんが、ここでは一つだけ、「意識的に言葉を使うこと」について書かせていただきたいと思います。
以前の記事で、評価的な言葉を使わないこととか、質問形式のコメントをされることについて書いた通り、彼女が言葉を発する前には、一度、なぜある言葉/ 表現をなぜあるタイミングで言っているのかということを考えてから使っているのではないかと思うくらい、ものすごく慎重に言葉を選ばれています。
と、書いても多分あまり伝わらないかもしれないので、彼女の本(Ruffians, Yakuza, Nationalists: The Violent Politics of Modern Japan, 1860-1960)をぜひご一読いただければと思います。やっぱり人の考え方ってその人の書いた文章からわかると思うので。
例えば、この本で、教授はviolence specialistという言葉を使われているのですが、できる限りニュートラルな言葉を探したときに、この言葉に行き当たったと書かれています。例えば”mafia”だと”romantic images of Prohibition-era bosses”を連想されてしまうかもしれないし、”gangster”は、”members of any form of organized crime from street gangs to sophisticated syndicates”を含んでしまい、あまりにも広義すぎる、と。(つまり人によって別々のイメージを持ってしまう、と。)ニュートラルな言葉を選んだ理由は、決してviolenceが良い悪いという判断を下されないべきというわけではなく、日本の近代史を考える上で、violenceは、草の根運動からハイレベルの政治の現場に至るまで様々な形容や意義を含む複雑な概念であるため、プラスであれマイナスであれ、何かしら余分な意味を含んでしまう単語を使ってしまうと、その複雑性をうまく現すことができないからだ、なんて書かれています。一つの単語のチョイスにここまで意識を張り巡らせているってすごくありませんか。
また、自分が言葉を使うときだけでなく、人の話を聞くときにも、言葉一つ一つの効果を吟味されています、頭の回転の速さが尋常じゃないなと思いました。
例えば、Colloquiumの前に一度、10分間のプレゼンの発表を口頭でさせていただいた直後に、「あ、途中でこの一言言っていたけれど、それって結構重要な概念よね。その前の文章のせいでちょっと埋もれちゃってたから、そのあたりの構成を直しておくといいかもね。」というコメントを一瞬でいただいた時には、もはやスタンディングオベーションをしたくなったというか。文字にするとあんまりそのすごい感じが出ないのがやや残念なのですが。
あと、この教授、絶対にごまかさないんですよね。
私は、「とりあえず今を乗り切りたい」という気持ちが先行してしまうためか、人と普段話すときも、ペーパーを書くときにも、聞こえのよさばっかり考えたり、ごまかしてしまうことが多いのですが、彼女は、何か質問を受けた時に、たとえ時間をとってでも、自分が正しいと思う答えを必ず言うのです。一つに決まらない時は、いくつかのオプションを提示したり、とか。
で、こういう風に慎重に言葉を選ぶのって、研究者の人みんなそうじゃないって思うかもしれないのですが、彼女の場合は、単に正確な言葉使いをするだけではなくて、相手に合わせて、言葉の使い方を変えているんですね。ここが彼女の研究者としてだけではなく、教育者として、人として素晴らしいところだなと思います。
例えば、生徒と接する場合だったら、その生徒に気に入られるためではなく、その生徒の成長のために一番ためになる言葉の使い方を選んでいるというか。
あまりいい例ではないかもしれませんが、秋学期はじめのときのことをここでちらっと。
実は、秋学期のはじめには、夏場にあまりリサーチを進められなかったことや、周りの卒論セミナーをとっている学生を見て萎縮し、卒論をそもそもやるのは辞めようかなと思っていました。ビビりです。
教授に相談すると、「自分がやりたいかやりたくないかを考えなさい、”self-doubt”は判断基準にあるべきではないわよ。」と言われ、数日迷った後に、「やります!」というメールを送ったんですね。
で、その時の返信が、
“I'm happy to hear that you've made a decision about the thesis! I think you have the abilities and talents to write a very fine thesis and you should definitely pursue one as long as you are enthusiastic about it.”
だったのです。
この後にも色々とコメントをくださったのですが、この文言、「やりたいと思えるものをやりたいと思うだけ頑張りなさい」というメッセージとともに、「これはあなたが自分の判断で行っていることを自覚して、その責任を持ちなさい」という意味も込められているなと思いました。
特に一番はじめの文、”I'm happy to hear that you've made a decision about the thesis!”。“I’m happy to hear you’re doing the thesis!”といった文章ではなく、この上なくニュートラルなこの一文を見たときに、「先生に勧められたから自分がやっているんだ」、という気持ちではなく、「自分でやると決めたからこの卒論を自分はやっているんだ」、という気分にさせてくれました。
...とまあ話しはじめたらきりがないのですが、こんなに心から尊敬できて、こんなに信頼できる方が実在しうるんだな、に驚き続けた1年間でした。
□終わりに
山あり谷ありの卒論制作でしたし、正直なところ、卒論セミナーの他の学生や、教授にただただ圧倒され、そういう人たちと自分を比べてしまったときの自分の情けなさみたいなものと戦った一年間ではありましたが、それでも、心から尊敬できる人たちの中で、ヒヨッコながら、1年間揉まれた経験は非常に貴重だったと思います。
どれだけ頑張っても自分よりも上の存在がいる、という経験ができたこの1年間は、自分でもちょっと不思議なのですが、すごく幸せだったなと、今思います。やっぱりこういうすごい人たちが周りにいたことで、その人たちにちょっとでも追いつこうと、頑張れたからなのかなと思います。
この4年間の学生生活の中で、いつも、リベラルアーツの大学だからこその経験をしたいと思っていたのですが、この卒業論文はまさしくその最後を飾るのにふさわしい経験でした。
それでは今月はこのへんで!
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◇ 2015年04月 ウィリアムズの学生生活~夢~
◇ 2015年03月 ウィリアムズの学生生活~ なぜ大学で芸術を学ぶのか~芸術は科学である~
◇ 2015年02月 ウィリアムズの学生生活~“Drawing”a Thesis: 絵としての卒業論文~
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◇ 2015年02月 ウィリアムズの学生生活~“Drawing”a Thesis: 絵としての卒業論文~
2月です!
私は今極寒のwilliamsで毎日震えておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
いやはや、本当に私は寒いのが苦手なので、実は1月の第二週の土日にちょっくらフロリダのディズニーワールドまで行ってきて、久々にマラソンを走って参りました!
金曜日の夕方にウィリアムズを出て、ボストンで一泊したのちにフロリダに行き、日曜日の朝にマラソン走った後午後飛行機で帰るという、本当にマラソンを走りにしかいかなかったフロリダ滞在でしたが、(タクシーの運転手さんも驚いていたというか、呆れていたというか。)大学を卒業した後日本からわざわざフロリダまで行くことはないだろうなと思い、行ってきてしまいました。
友達と一緒に始めたマラソンも、気づけばもう4回目。今までで一番規模の大きな大会でしたし、(当日は2万5千人のランナーがいたため、スタートを15回に分けるという規模でした。スタートの度に花火を打ち上げるというド派手な演出で、やはりここはアメリカだなとかしみじみと思ったり。)本来だったらそれぞれ入場料100ドルくらいのテーマパークにも、まあ走り過ぎるだけなので、ただで入れたりして、なかなか楽しめました。
さてさて、今月号では、そのフロリダに行く日の午前中にあった卒論のミーティングについて、というか、卒論全般について中間報告みたいな形で書いていきたいと思います。...前置きとの関係のなさたるや。
今月号では、卒論セミナー全体の説明をした後に、今までの記事でもちょいちょいした、卒論を書くことを、絵を描くことに喩えながら、今までの作業を振り返ってみようと思います。
■History Senior Honors Thesis:一連の流れ
ウィリアムズでは基本的に卒業論文はオプショナルで、形式も期間も科目によって全く違います。歴史の場合は、1年間かけて、100ページ程度の卒業論文を書くことになっています。1学期の終わりまでに、第1章、ウィンタースタディー(1月)の終わりまでに第2章、3学期の終わりまでに第3章と序論と結論とそれまでの章の編集を仕上げるというスケジュールです。各章は25ページ程度、序論と結論は10ページ程度で、全部で100ページが目安となっています。
一応卒論セミナー(Thesis Seminar)というものがあって、Thesis Committeeのトップの教授と卒論を書いている学生たちが、学期の間で何回か集まって、卒論を書く上でのアドバイスをもらったりはするのですが、基本的にはアドバイザーの教授と一緒に進めていくことになっています。アドバイザーとの教授との関わり合い方も人それぞれで、私の場合は、基本的に週1回、先生のオフィスで1時間から1時間半程度、一緒に案を練っていただいたり、事前に提出した原稿にコメントをいただいたりしている形になります。
ウィンタースタディーの始めと、春学期の始めには、スモールグループミーティングという、1人の教授と、4人程度の卒論を書いている学生がグループになって、事前に提出されたそれぞれの卒論の原稿を読んだことを前提に、コメント/ ディスカッションをするというものがあります。1人の卒論につき、1時間ほどディスカッションの時間が設けられています。
卒論のまとめとして、春学期の終わりにはThesis Colloquiumと呼ばれるものがあります。Thesis Colloquiumでは、自分の卒論を読んだ、歴史科の教授2人と卒論を書いている他の学生1人から、30分間の口頭試問を受けます。(ファカルティハウスにて、わりとフォーマルかつファンシー(シャンパンとかオシャレなチョコレートとか出ます。)なイベントとなっています。他の科は教室で発表という形が多いのですが、歴史科、なにやら気合が入っております。)
Thesis Colloquiumの後に、卒論の原稿に改めて校正を加え、学期末に図書館に提出して終了となります。
■要件
卒論セミナーに参加、そして修了するためにはいくつか要件がありします。
参加するためには、3年生までの間にとった歴史の授業の平均がB+以上であることと、3年生の終わりに提出したプロポーザルが歴史科の教授たちから承諾をもらえることです。
また、ウィンタースタディーの終わりに、歴史科の教授たちから、「今までのプロセスから鑑みるに、この学生は、B+以上の評価の出る卒業論文を書き終えることができます」というお墨付きみたいなものが必要になります。もちろん、自分で卒業論文を途中でドロップすることも可能なのですが、今年は今のところ5人ドロップし、現在卒論を書いている歴史科の学生は、歴史学科67人のうち、13人になっています。
・佐久間の卒業論文
さて、私は、ざっくりいえば「日本における教育改革と教養/リベラルアーツ教育」というテーマで卒業論文を書いているのですが、私が卒論セミナーに参加した理由は主に3つあります。
1つは、いやまあそうだよね、という感じかもしれませんが、調べたいテーマがあったからです。
きっかけとなったのは、大学2年生の時の授業で行ったリサーチペーパーでした。第二次世界大戦後の教育改革について調べていたのですが、そのとき、アメリカのリベラルアーツを参考にして日本の大学の教養過程はつくられた、ということを知って、日米両方の教養/ リベラルアーツ教育を受けた身として(日本の方は半年しか受けてはいませんが)、日本の大学の教養教育は、なぜ、アメリカのリベラルアーツの大学と違う発展をしたのか、ということに興味を覚えました。また、1991年の大学設置基準の大綱化で、教養部を廃止する大学が相次いだのに、2004年以降、色々な大学で「国際『教養』学部」なるものが設置されたように、どうして教養がまた注目されるようになったのか、気になったというものがあります。
また、現代日本史をもう一度振り返る機会になればいいなと思ったということもあります。そもそも歴史を専攻、特に日本現代史の授業をとってきたのも、自分が1年生の春の政治科学の授業で、第二次世界大戦中の日本に関する質問をされてきちんと答えられなかった時に、自分は現代日本の勉強をちゃんとしてこなかったなと反省したというものもあったりして。卒論を通して、もう一度、また違った角度で現代日本の歴史を振り返るきっかけになったらいいなと思いました。
で、ただ単に現代日本史を復習してもしょうがないので(それだったら普通に授業とればいいですしね。)、自分自身が興味のある高等教育改革と教養教育に注目して、明治維新後の森有礼主導の教育改革と旧制高校の教養主義、第二次世界大戦後のSCAP主導の教育改革と一般教養、そして最近の教育改革と国際教養/ リベラルアーツとよばれる教養教育を視点として、調べてみようと思いました。
2つ目に、前々からお世話になっている、尊敬する教授のもとで、1年間勉強したいと思った、というものがあります。
この教授は、研究者としても教育者としても人としても一流で、この教授から1対1で1年間も指導を受けさせていただけたらきっと世の中の見え方考え方かわるなあと思ったり。これまた歴史を専攻した理由の一つだったり。
3つ目に、自分のウィリアムズでの勉強のまとめとして、1年間コミットして100ページ程度のペーパーを書く、という作業に純粋に挑戦してみたかった、というのがあります。
歴史を専攻するきっかけの一つに、一番リーディングとかライティングとかディスカッションの機会が多そうだから、というのと似ているかもしれません。
■絵を描くこととしての卒業論文
ではこれから、絵を描くことに喩えつつ、今までの過程を、1)題材選び、2)具材選び、3)絵を描く、4)批評をもらう、の4つのプロセスに分けて、(例によって余談を交えながら)書いてみたいと思います。
1)題材を決める:問いを立てること
卒論の第一ステップ、プロポーザルです。
3年生の春学期に、色々とプロポーザルに入れるべき情報が書かれたメールをいただきました。わりと長いメールだったのですが、その第一文がこちら:
Your thesis proposal should articulate what you intend to investigate, how you intend to conduct that investigation, and why your investigation is important.
そもそも絵を描く前に、「何の絵を」「どのような具材を使って」「何故」描くのか、ということを考えてください、ということですね。
「何の絵を」という質問に答えるためには、どの時代のどのような教養教育をどんな視点と距離感(個人レベル/ 大学レベル/ 国レベルなど)を持って書くのか、ということをわかっていないといけませんし、
「どのような具材を使って」という質問に答えるためには、自分が調べるトピックに関して、どのような一次資料、二次資料があるのか、ということを知っておかなければいけませんし、
「何故」という質問に対しては、自分のテーマ関連の先行研究がなされているならば、今回の自分の研究はそれとどういう関連性があって、どういう意義があるのかということを考えなければいけません。これまでに同じテーマの「絵」を描いてきた人がいるならば、自分はそれとはどのように違う絵を描くつもりで、それがどうして意味があるのか、ということを考えること、というか。
卒論って、煎じ詰めれば、「課題を設定し、それに対するオリジナルの解答を考え、明瞭に説明する」という作業だとは思うのですが、一番はじめの段階である「課題を設定する」こと自体にも、かなりのリサーチが必要なんだなと思いました。
■Topic Sharing
それでまあなんとなく書いて、夏休みが過ぎ、4年生の秋学期のはじめに卒論セミナーで、Speed Topic Sharingなるものをやったんですね。
ちなみにこの時に求められたのは、
・A three-sentence summary of your historical topic;
・Three analytical or historiographical questions about your topic, and;
・Three collections of primary sources (e.g., personal papers, memoirs, periodicals, government documents, probate records, census data, cultural artifacts) you intend to investigate for your topic.
というものでした。
もし学年末にトピックシェアリングをしたら、誰も同じことは言わないと思うのですが、常に自分の研究の骨組みとなる部分を考えておくこと、それをリサーチをしていく上で修正していくという形をとることが大事なんだな、なんて思いました。
■Doing Recent History: 歴史とジャーナリズムの違い
で、このTopic Sharingのときに、他の学生のトピックと自分のトピックを比べて思ったのが、限りなく現在に近いテーマ、または、現在進行形のことを扱っている場合、それを歴史と呼んでいいのか、ということです。
周りの友達は、1811年から1815年までのラッフルズによるインドネシア統治の際の税徴収制度の変更についてとか、1947年から1948年に行われたアインザッツグルッペン裁判での被告たちのエリート意識についてとか、9世紀初頭に書かれたとされるカール大帝の伝記の政治的意図とか、時期もしぼってあり、テーマも絞ってあり、いわゆる「過去」について扱っているのですが、私のものは、現代日本における教養教育の発展という、時期的にも広く、テーマも曖昧で、さらには現在進行形で起こっていることについて書こうとしているなあ、なんて思いました。
なんというか、皆は、今はもう存在しない、とある花が、50年前の12月1日にどんな姿をしていたのかという絵を描こうとしているのに対して、私は今年1年間というスパンで、高野山の四季折々について描こうとしていたというか。
時期の長さに関しては、先ほど挙げたように、今回の卒論をやることを通して現代日本史を振り返るという側面があったので、あえて一時期だけに絞るのではなく、明治、大戦後、現代の教育改革という、いくつかポイントに絞ることにし、テーマの曖昧さに関しては、今後のリサーチできっと絞られるだろう、という楽観的観測を持つことにしました。
一方現在進行形のことに関して扱っていることに対してどうしたもんかと考えていた時に、「あれ、歴史ってなんだっけ」というわりとファンダメンタルな疑問にぶつかりました。
歴史を、「過去に存在していたものを、資料分析を通して、現代に新たな意味を持って蘇らせる作業」と規定してしまうのならば、私がこれからやろうとしていることはそもそも歴史ではなくて、ジャーナリズムなのではないかと思うようになりました。
でも、過去のことを書けばそれで歴史というのもなんだか単純化しすぎている気がしますし、かといって、最近のことを歴史って呼ぶのもなんだか違う気がします。
で、ふと思いついたのが、(もちろん歴史の定義は人によっても違いますし、自分でもまだ考えている途中なのですが、)現在に近い現象について書くときに、それを歴史と呼ばせるのは、「距離感」と「歴史的文脈に結びつけて考える」というアプローチなのではないかなと思いました。
例えば、今日が1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起こった日だと仮定して、私が定義する方法でジャーナリストと歴史家の違いを説明してみようと思います。
多分ジャーナリストは、一体何が起こったのか、犯人は誰なのか、政府がどういう対策を取っているのか、ということを報道したり、ある程度の感情的な論をも使いつつ、同時代に生きている人たちに、何かしらの行動を訴えかけたり、民意に影響を与えようとするのだと思います。
一方で、歴史家は、「ひどい行為だ!」という感情論を一旦おき、「そもそもなぜあのような組織が存在したのか」、とか、「一体どうして、あのような事件を起こすに至ったのか」、とか、現在起こっている事件を過去と関連づけて分析することに加え、「今回の事件が将来的にどのような影響を与えうるのか」、というように、未来にも視点を向けて、一つの事件に歴史的文脈を与えようとするのかな、と思います。そういうことを考える際に、同情は(Sympathy)はできなくても、相手の行動の背後にあるものを理解(Empathy)するためにも、ある程度の距離感、客観的な視点が求められるのが歴史家なのだと思います。
まとめると、一つの事件を孤立した事象として捉えるのではなく、過去と未来を含めたコンテクストで捉え、客観的な視点を持って分析をするというのが、私の考える歴史学的なアプローチなのかなと思います。
そう考えてみると、私の卒業論文が歴史の卒業論文となるためには、単にテーマを過去のものにすればいいのではなくて、このような視点やアプローチを持って、考えを進めていけばいいのかな、なんて思いました。
また、現在進行形で起こっていることを扱うことはマイナスのことばかりではなく、そのものが過去のものとなってしまったときには見えないものを捉えることもできたりするプラスの側面もあるのかな、なんて思っています。
2) 具材を選ぶ:資料収集、読書
題材が決まったら、早速色々な文献を読み漁ることになります。
今までの授業でもリーディング多いとかブーブー言っていたのですが、実際、自分でこういう資料収集をする中で、実はあのリーディングリストは、効率的に幅広いトピックをカバーするのに必要な量を教授たちがかなり絞ってくれていたものだったんだなということに気がつきました。「このリーディング読んだのに授業で話したことに繋がらなかったじゃん」ということはまずないので。
いかんせん私は長い時期について扱っているのと、関わってくるプレーヤーも多岐にわたるので、見ようと思えば延々と資料が出てくることになります。そんなわけで9月の初め頃は、うん十冊の本を漁り、インターネットで拾った記事もひたすら読み、メモをとるという地道な作業をやっていたのですが、何が重要な情報で何が重要ではない情報なのか、ということがわからず、わりと途方に暮れておりました。同時に、本来読むべき重要な文献を実は見落としてしまっているのではないかと思うようになり、不安になったときもありました。
喩えるならば、とりあえず絵を描く準備として、京都で和紙を買い、ニューヨークで絵の具を買い、山の中に行ってたまたま会った人から筆をもらったり、みかんしぼってオレンジ色だしてみたり、みたいな感覚でした。情報収集源もあっちゃこっちゃ行っていましたし、集めた情報をどう使うかという計画もないままだったんですね。
卒論って、先ほど書いたように、「正しい質問を設定し、自分で考えて、人にわかる形で答える」という作業だと思うのですが、自分はこの「質問」の部分が非常に曖昧で、こんなどうしようもない事態に追い込まれてはしまったのかな、と反省しました。
と、同時に、今回のテーマの性質上そうならざるをえなかったのかなと開き直ったりもしています。
やっぱり、すでに歴史学的に重要とされているテーマって、それまでの歴史学者の議論の中で、一体どういう質問が、Topic Sharingの時に聞かれた、”analytically/ historiographically”に重要な質問なのか、ということがもうわかっているのですが、いかんせん私のテーマってこれまで(特に英語では)それほど先行研究がされているものでもないですし、歴史学者の中で熱い議論が交わされているわけでもないので、どういった点に注目すればいいのか、ということが自分でもわかっていませんでした。
むしろ私の役目は、むしろ、この課題を設定するところにあるのかなと思いました。
■コンセプチュアライゼーション
9月のうちの毎週の教授とのミーティングでは、「今週注目の画材はコチラ!」みたいな感じで、自分がその週に調べたことを簡単に資料にまとめて口頭説明し、教授からコメントをいただく形になっていました。で、教授とのディスカッションを通して、「この具材、その使い方があったか!」というように新しい発見が毎回あって、非常に楽しんではいたのですが、そろそろ書き始めないといけないぞ、となった時に(10月中旬とかですね)、ハテ困ったぞという状態になりました。
そんなわけで、情けない話、教授に、「今まで色々な発見もあったこともあり、元々考えていた構成とは全く違った方向に進んできて、それはそれですごく楽しい作業ではあったのですが、あまりにもあっちこっち行ってしまって、これをどういう風に構成していけばいいのかやや困っております。」と相談してみました。
すると教授の方から、「一見全く違ったことについて書かれていても、その根底にあるものは同じだったりするのではないかしら?そういうコンセプトの部分に注目すれば、方向性は見えてくると思うわ。」と、さくっと、コメントをいただきました。教授の頭の中ではもういくつかのコンセプトに応じて分けられているんだろうな、なんて思いました。
というわけで、トップダウンの手法をとることができないトピックなので、若干人海戦術的なボトムアップの手法をとっているのですが、時折迷子になりつつも、大変楽しんでおります。
と、いうのも、研究をスタートしていた時には想像もしていなかったような方向性に卒論が進むのです。
例えばこの前に提出した第2章。この章ははじめグローバリゼーションとリベラルアーツというテーマで書いていたのですが、いろいろ調べを進めたり、教授と話をしているうちに、実はこのテーマのドライバーとなっているのは、日本のナショナルアイデンティティをどうするか、という話なんじゃないか、という風な発見がありました。(グローバリゼーションを通して「外」に目を向けることで、「内」を定義する=自分のアイデンティティを形成するというのは、まあ自然な流れといえるかもしれません。)
こういうのって、あまりに固まった質問があったのではなく、ボトムアップ形式で、やったからこそなのかな、なんて思いました。
3)絵を描く:文章を書き始める
私にとって、「絵を描く」ときの一番のチャレンジは、構成を考える点にあったように思います。先ほど書いたように、とにかくたくさん資料があるので、それをどういう風に組み合わせて、一つの筋が通っているわかりやすい絵を描くのか、というのがなかなかチャレンジングでした。
結局、エレガントにものを進めることができない私は、とにかくあるものを使ってブワーっと描いてみて、そのあとにちょっと距離感をとってみて、「そうか、自分はこういうことを描きたかったのか。」ということを発見し、また新しい絵をブワーと描いて、ということを繰り返し、最終的に納得いった構造が見つかったら、細部を書いていく、というプロセスを踏む感じになりました。
で、とりあえず最新版の原稿をミーティングの前日に教授に提出した後、ミーティングの時間までに、提出した自分のペーパーを読み直し、その内容を、丸とか矢印とか使って図式化して、教授とのミーティングに持っていくことにしていました。
私の図も、シンプルすぎたり(第1章)、ごちゃごちゃしすぎていたり(第2章)したのですが、私の書いた図を見ながら、教授が一緒に時間をとって、提出した原稿を元に、構造を考えてくださるおかげで、事象の複雑性を失わないまま、クリアな議論を進めるためにより効果的な構造で、徐々にかけるようになっていったかなと思います。
■層別の理論
自分の書いた論文が「事象の複雑性を失わないまま、クリアな議論を進め」られているのかどうかは、自分のトピックを何も知らない友達に、概要から細部に至るまで、簡潔に説明できるかどうか、がいい確認になるのかなと思います。
例えば、人に自分の絵を見せたときに、
一言で言えば、これは山の絵
もうちょっと詳しく言えば、この山にはこうこうこういう森があって、
で、その中の林はこういう関連性があって、
さらに詳しく言えば、植物がこうなっていて、
...
という風に、総論・各論など、いろいろなレベルでの話ができることが大事なのかなと思います。
なんて偉そうなこと書いてますが、実は私はこれが非常に下手でして。(つまり、まだまだ卒論の改善の余地あり、ということなのですが。。。)というのも、卒論の内容をルームメイトに聞かれたときに、いきなり葉っぱレベルの話をしてしまって、途中で自分でもわけわからなくなってしまったということがありました。
で、自分がなんで伝えるのが下手なのかなと考えた時に、先ほど書いたように、細部を積み上げて全体ができる、という手順を踏んだのがあり、人から聞かれた時に、そのとき自分のプロセスをたどってしまっているのがあるんだな、と思いました。
自分の理屈に人についてきてもらうのではなく、何も自分の研究のテーマについて知らない友達にわかってもらうためには、
ざっくり言ってしまえばこの章はこれに関する章で、
自分の主張はこれで、
さらに詳しく見ればこういう論理関係になっていて、
その論理関係を補完するものとしてこういうエビデンスがある、
という風に、山、森、林、木、葉というレベル別での説明を、何も見ずに言えて初めて、自分の中で情報が整理できていると言えるのだなと思いました。
4)批評
1)教授から
基本的に私は原稿を送る時に、「今回は大きな構造部分でのチェックお願いします」とか、「今回は細かい一つ一つの部分のチェックお願いします」という風に教授にお願いをしています。前者はどちらかというと、教授と一緒にキャンバスに色々な絵の具とかを試している段階、後者は、私が描いてみた絵に対して、一つ一つの部分にコメントをいただいている段階といえるかなと思います。
(ちなみに、細かめにコメントお願いしますというと、文字通り単語レベルでのコメントをいただけます。例えばとある二項対立をstatic とdynamicという二つの言葉で表したときには、これこれこういう理由でその表現は適切ではないというコメントをもらったり、”synthesis”という言葉を使ったときには、議論の方向性から考えて、ここでsynthesisという言葉を使うのはあまりに特定的すぎるという言葉をもらったり。)
■プロの教育者
教授の、コメントの鋭さとか、コメントの視点とかを聞いていて、やっぱり一流の「研究者」なんだなとしみじみと思うのですが、ある意味それは当然のことだとも思ったりするんですよね。
(ちょっと曖昧な表現でしたが、コメントの鋭さは頭の良さから来るもの(重要であるポイントを見抜く力とか)、コメントの視点は、経験から来るもの(例えば、一次資料を見たときに「この一次資料には別の解釈の方法はないか?」という批評の型みたいなもの)という意図を持って書きました。)
教授に対して、「この人頭いいな」とか「いやあたくさん経験積まれてるな」なんて思うのは、お前何様だよ、という話ですよね。
そんなわけで、ここでは、私の教授は一流の「教育者」でもあるなと思った点を二点ほど紹介させていただきたいと思います。
1)言葉の選び方
コメントの内容もさることながら、この教授は、それを伝える言葉をものすごく選んでいるなといつも思います。
彼女は基本的に評価的な言葉は使いません。つまり「いい」とか「悪い」といったことにはそもそも興味はなく、(というか、彼女の基準からみたら私の卒論なんてカスみたいなものだと思うので。)今あるものをよりよいものにするためにはどうすればいいのか、という点を持ってお話しをされます。
意識して評価的な言葉を使っていないということに気がついたのは、はじめて原稿を見てもらった時でした。
初めて原稿を提出した次の日のミーティングで、「コメントお願いします!」と言ったところ、まず “How do you feel?”って聞かれたんですね。
で、まあ何も考えずにペラペラ話してしまったのですが、後々の彼女のコメントを聞いていて、私がどういう風に考えていて、私が自分自身のペーパーについてどういう評価を下しているかということを踏まえた上で、適切なコメントを言葉を選んでおっしゃってくださっているんだなと思いました。
彼女の評価軸を押し付けるのではなく、私自身が正しくものを評価できるように、言葉を選んでるんだな、と思いました。
2)物事の考え方を教えてくれる
もう一つ、彼女のコメントを聞いていて思ったのは、彼女のコメントは基本的に質問系、それも応用性のある一般的な質問をされるということです。
例えば、第2章の原稿を図式化してみた結果、A4の紙の中で、いろいろ矢印やら丸やらがアクロバティックに交差し、ものすごい複雑な感じになってしまって助けてくれという形になってしまった時期がありました。
で、それを教授のところに持って行った時に、「おやおや、あらあら」という顔をされた後に、
「いくつかのテーマが絡み合っている中で、最も重要なテーマはどれ?」
と聞かれたんですね。
で、そのときはあまり考えなかったんですけど、多分彼女だったら、こうこうこういう風に直せばいいんじゃない、ということもできたと思うのです。
けれど、それを一度、質問という形で私に聞くことで、「いろいろこんがらかってしまったときは、その中でどれが一番重要なテーマか考える。」という風に、今後同じような状況に当たった時に、自分で解決するための思考の型みたいなものができるように、質問をしてくれているのかなと思いました。
...とまあごちゃごちゃと書いてきましたが、要するに、教授は、教授の意見をただ押し付けるということは決してせず、私が今後彼女の力がなくても自分で考えを進めることができるように、丁寧に言葉を選んでコメントをくださっているんだなと思いました。
昔私のテニスのコーチが、「コーチの役目は美帆がコーチのことを必要としなくなることだよ」とおっしゃっていたのですが、この教授もそういうことを指導のもとにおかれているのかなあ、なんて思いました。
(おまけ)
教授を褒め称えている記事を書いてしまいましたが、先ほど書いたように彼女は評価的な言葉は使わない方なので、もし教授がこの記事を読まれたら、多分すごくため息をつかれてしまうと思います。でも、使わざるにはいられないほどお世話になっているので、使ってしまいます。てへ。
2)他の学生から
一番はじめにもチラリと書きましたが、第1章と第2章を提出した後には、スモールグループミーティングなる、Thesis Committeeの教授1人と、他の卒論を書いている学生3人程度でお互いの卒論の批評をしあうものがあります。Tutorialの人数が増えた版とでもいいますか。
わりとガチンコなディスカッションになることもあるので、このミーティングを「葬式」とか呼ぶ学生もいるのですが、私自身はそんなこともないのかな、と。
いや実は、9月のはじめにこのセミナーのOrganization Meetingに行った時には、私自身スモールグループミーティングが一番嫌だなとは思っていました。
でも、なんで自分が嫌だなと思ったのかなと考えてみるに、まあ自分の書いたものを他の学生にボロクソに言われるのが嫌だったからだと思うのですが、卒論のゴールは、自分の自尊心を守ることなのではなくて、良い卒論を仕上げることだと思うので、むしろ、厳しいコメントをもらう機会ってすごく貴重だなと思うようになりました。ものはみようです。
■建設的な意見は「プレゼント」
さて、第2章のスモールグループミーティングは来週なので、まだスモールッグループミーティングは1回しか行っていないのですが、1回目のスモールグループミーティングの時、みんなのコメントの仕方を見たり、自分自身がしたコメントの反応を受けて、改めて、良いコメントとは、重箱の隅をつついて相手を試そうとするものではなく、相手の卒論をよくするためにはどうすればいいのか、ということが根っこにあるものなんだなと思いました。
例えば、私自身もらったコメントですごくいいなと思ったのが、
「君は今回この4種類の日本の”liberal arts education”を書いているわけだけれど、これらの教育を”liberal arts”と呼ばせるものはなんなのだろうか?つまり、この卒論を読むのは、僕たち歴史学科の学生と教授、つまりアメリカのリベラルアーツの大学の内部にいる人々なのだから、リベラルアーツという言葉を使うときには、現代の視点から考えてしまうことが容易に想像されると思うんだ。だから、”liberal arts”という言葉を使うときには、どうしてその言葉を使うのかという説明をいれたほうがいいと思うよ。」というコメントでした。
日本で教養教育と呼ばれているものをそのまま英語の”liberal arts”という言葉に直して使っていたので、直さないといけないな、ということを思っただけでなく、自分の卒論を読む人がどんな人なのか、ということをイメージして書くことの重要性という、より一般化した教訓も得られた、とても良いコメントだなと思いました。
このコメントを聞いた時に、以前聞いた、「建設的なコメントは、プレゼントみたいなものだ。プレゼントを人に送る時に、その人に合わせて中身を選んで、大事に包んで、相手のためを思って渡すように、コメントも言葉を選んで送らなければいけない。そして、受け取った人は、たとえ予期しないものだったとしても、「プレゼント」を贈ってくれた相手に感謝をすることを忘れてはいけない。」というお話を思い出したりしました。
■余談:不安で眠れず
まあそんなわけで非常に楽しんではいるのですが、まあもちろん辛いぞということもあったりするので、最後にこぼれ話として。。。
多分今までの卒論を書く過程で一番追い詰められたのは、ウィンタースタディー最後の週だったと思います。
ウィンタースタディーというのは、ウィリアムズで、秋学期と春学期の間にある1ヶ月間の学期のことで、基本的にこの時期は学生は授業を1つだけとります。(私も以前、ジャーナリズム体験とか、パブリックスピーキングの授業をとったりしました。)
今年は卒論が授業としてカウントされるので、ひたすら毎日卒論に勤しんでいたのですが、第2章の提出3日前になって、「あれ、原稿14ページしかない。」ということにハタと気がつきました。
なんとなく、日本の教養教育から見た、日本人のアイデンティティの定義について書きたいということはわかっていたのですが、すでに書いていた14ページの内容の整理も自分でできていませんでしたし、今後どう進めていけばいいのかもわからず、何を自分はのほほんと過ごしてきたのか、と大反省しました。
そんなことに気がついたのは、1月最後の週の月曜日の朝だったのですが、提出期限である木曜日の深夜12時までの予定としては、月曜日の14時と、水曜日の朝10時に教授にコメントをいただく時間を設けていただいていた、という感じでした。
そんなわけで、とりあえず月曜日に教授に会った後から書き直しをはじめ、その日は朝の4時くらいまで書いて、3時間くらい寝て。水曜日にも教授からコメントをもらうために、火曜日の5時までに次の原稿を提出をすることを約束していたので、火曜日の朝から提出期限の5時までは、朝と昼御飯を食べる(というか胃に取り込むというか。)以外は図書館にこもってただひたすら書いていました。多分一言も人と会話をしなかった日だった気がします。
で、火曜日に原稿を提出した後に、リサーチを進めていたのですが(この段階でまだリサーチ進めている時点でダメダメなのですが。)、夜1時くらいになって、提出期限が木曜日だから、どうせ明日と明後日も夜は遅くまで起きることになりそうだし寝るかと思ったのですが、人生で初めて、期間内に終えることができないのではないかという不安から全く寝付けないということを経験しました。
で、結局のそのそと起き上がってまたペーパーを書き始め、またまた4時くらいに就寝し。(ちなみに私はいまだかつて徹夜をしたことがなかったり。)
水曜日木曜日は、文字通り起きている間はご飯とシャワー以外は友達とも会わずひたすらペーパーを書きまくった結果、一応25ページ、自分の中でも及第点が出せるペーパーができました。
で、このときにふと考えた「なぜ頑張るのか」「頑張る方法」の二つについて最後ちょくっと書かせていただきます。
あ)なぜ、頑張るのか。
今までも、まあ夜遅くまでペーパーを書いていることもあったのですが、はじめて、夜3時とかになっても、できる限りいいものを出したいという気持ちが勝り、あまり寝たいという気分にはならなかったのです。
で、多分楽しく頑張れたのには、やっぱり、自分自身妥協がしたくなかったこと以上に、お世話になっている教授、それから自分の卒論を読んでくれるスモールグループの他の教授と学生との時間を有意義なものにしたかったということがあったのかなと思います。
い)心の持ち方
でもまあかなり追い詰められてはいたのですが、追い詰められた時に考えた、追い詰められた時に心に止めておくべきことを3つほど考えてみました。
1)過去で乗り切る
マラソンを一度走ったことがあれば、もう一度マラソンを走ったときに心が折れそうになったときに、「でも一度走ったことがあるからきっとできる」と思えるように、前に頑張ったことを思い出してみました。
そういえば、最近はあまりないのですが、1年生の時は、わりと頻繁に、図書館が閉まる夜中の2時3時まではずっと勉強してたなとか思い(過去を美化(?)しているかもしれません。)、「あれから3年経っててあの時の自分くらい頑張れないなんて過去の自分に恥ずかしくないのかね。」と自分に発破をかけました。
2)将来をイメージして乗り切る
去年の夏にインターンしたときに、とある社員さんから、一度三徹で仕事をされたことがあったと言う話を聞きました。そのときに、社員さんの仕事に対するプロ意識に感動しつつ、
1)仕事は自分の評価だけではなく、周りの人にも影響を与えるのだから、仕事ができないとかいうのは許されない
2)今回は完全に私がきちんと予定を立てなかったのが第一の原因だけれど、仕事上だったら私の予定とか関係なく、仕事が降ってくることはあると思いました。
そんなわけで、卒論くらいの追い込まれ度で頑張りきれなかったら、社会人になって、そういうことがあったときに、やっていけんな、と思ったり。
と、いうのはややネガティブな考え方かもしれませんが、やっぱり一度何か大変なことを乗り切ったら、次はもっと大変なことができるようになるのかなとか考えると、頑張れる気がします。
3)比喩で乗り切る
とまあ、わりとスポ根なことを書いてみましたが、私は大変なときこそ楽しむことが大事だと思ったりします。そうじゃないと、せっかくの楽しい卒論制作がただの作業になってしまうと思うので。
そんなわけで、若干変化球ではありますが、私はよく比喩を用いて乗り切るようにしています。これ意外と心が楽になるだけではなく、いい解決策も思いついたりするんです。
例えば、今回の大失敗をテニスの試合に喩えてみると、私は試合に勝つことよりも、自分のファーストサービスを速く打つ事とか、綺麗なフォームで打つ事ばかりにとらわれて、ネットしまくっても、「でもサービスは速く打ててるからいいや」とか、「ま、きれいなフォームだから満足」と、その場その場の喜びに重きをおいてしまっていて、そもそものゴールを見失っていた、というか。別に相手が何かをしてきたから勝てないのではなく、自分で自分を追い込んでいた、というか。で、3セットマッチ、0-6、0-4まで来てようやくやばいということに気がついた、という感じだな、と思いました。
そんなときに、テニスの試合だったらここで、なんで自分が負けていてってことをまず考えて、ちゃんと計画するよなと考えたり。でも反省して自分のこと嫌になっても勝てないし、過ぎたことは過ぎたこととして忘れよう、大丈夫、まだ勝つ可能性はあるんだし、と思ったり。これから12ゲーム取らないと勝てないんだから、ある程度キツい作業が待ってても、いやまあそういうルールなんだから「大変だなあ」なんて思うのはちょっと違うし、気をぬいたら負けちゃうわとか思ったりしているうちに、なんだか余計な焦りがなくなりました。
そんなわけで、「1セットアーップ。」とか、一人で勝手に楽しく中継をしていたら、楽しく終えることができました。
■まとめ
と、いうわけで、久々のかなりの長文になってしまいましたが、私の卒業論文、中間報告でした!
正直来学期は第3章、序論、結論と、今までの章の直しが入ってくるので、わりとヒヤヒヤはしていますし、やっぱり、「自分で考えて、自分の言葉で書く」という作業はなかなか難しいのですが、同時にそれができた時の達成感がなかなかに病みつきなので、あと半年、頑張っていこうと思います。
ついに来週から、ウィリアムズでの最終学期!1日1日を大切にしていけたらいいなと思います。
それでは今月はこのへんで!
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◇ 2015年01月 ウィリアムズの学生生活~ ”Perceived Reality”
◇ 2014年12月 ウィリアムズの学生生活~”Context”と”Complexity”~
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◇ 2014年12月 ウィリアムズの学生生活~”Context”と”Complexity”~
12月です!
いやはや、2014年も終わりに近づいてきましたが、皆さんにとって2014年はどんな一年間だったでしょうか?
私にとって、今年一年間を通しての学びを一言で言うならば、「籠ることの大切さ」かなと思います。
「いやいや、お前、夏休み「3度以上の関係の人と会う」とか言って、外に出まくってたじゃん。」と自分で自分につっこんでしまいたくなってしまいますが、色々な人と会いにいった結果、(というか、もしかしたらその反動なのかもしれませんが、)人との関わりを一定期間絞ることや、人との関係において、広さよりも深さを重視することの大切さに気がつきました。
もちろん、世界を広げることと深めることはバランスが大事ではありますが、今までの自分は、根っこがまだ張ってないのに、上に横にと幹や枝をのばし過ぎていたかな、と思ったりした1年、というか年の暮れでした。そんなわけで、facebookやらtwitterなどのSNSをやめてしまったりしたのですが、これについてはまた来月号の記事で。
さてさて、毎年12月号では、秋学期のまとめを試みるのですが、(とか言えるくらい、このブログを書き続けてきたんですね。しみじみ。)今学期とった授業で学んだことを二つのテーマにまとめるならば、”Context”と”Complexity”かなと思います。今月号ではこの二つの概念について、色々と考えていきたいと思います。
・Context
ここでいうContextは、歴史学を考える上で重要なEmpathyという概念と密接に結びついています。Empathyというのは、一言で言ってしまえば、人の立場になってものを考えることですが、歴史学におけるEmpathy、つまり、「過去の」人々の立場に立ってものを考えるために必要なのは、過去の事象を独立したものとして考えるのではなく、より広い、政治、経済、社会のコンテクストの中で理解することです。例えば、戦時中の日本人の行動について考えるとき、他国と戦争状態にない現代の日本人の感覚から評価を下してしまうことは、的外れな解釈をしてしまう可能性が大きくなってしまうと思います。(もちろん完璧に過去の人を理解するということは難しいとは思いますが。)
で、今学期の授業は、この、EmpathyのためのContextの理解という概念に関して、(1)歴史学的な考察に関しては新たな視点を与えてくれ、(2)歴史学以外の部分でも応用できるものなのだ、ということを学ばせてくれました。
(1)歴史学における新しい視点
1.History of the Book: Materialityというコンテクスト
さて、11月号でも紹介させていただいたHistory of the Bookの授業では、今まであった、政治、経済、社会という典型的なコンテクストに、「物質的環境」を加えることができたのかなと思います。(社会というカテゴリーの中に、物質的環境が加わった、という方が正確かもしれません。)
先月号では、本に関連する物質的環境に注目をしていましたが、それ以外の物質的環境も含めることも大事だと思います。物質的環境って一番自分たちと密着していて、影響を与えているものであるにもかかわらず、(というか、だからこそ、)意外と盲点だったりすると思います。
うまい例ではないかもしれませんが、ちょっとフライングして、音楽の授業で習ったことに、この物質的環境というコンテクストを応用してみます。例えば、ロマン派(1815-1900頃)の音楽って、音の大きさであるとか、音の高低が、それ以前の、バッハやへンデルなどのバロック派(1600-1750頃)や、ハイデン、モーツァルトなどの古典派(1770-1815頃)の音楽と比べてかなり幅が広いのですが、これって、これらの作曲家が生きた時代に存在していた楽器の種類や精度が影響していると思うのです。たとえば鍵盤楽器に注目してみると、ピアノ発明以前に使われた鍵盤楽器ってハープシコードだったのですが、ハープシコードって、音の幅は狭いですし、二段あるうちの鍵盤のうち、片方が大きい音のみ、もう一方が小さい音のみしか出せなかったので、二段階でしか音量の調整ができなかったそうです。(バロック派の音楽を表すのにTerraced Dynamicsなんて言葉もあったりします。)それが、楽器の発展によって、現在我々が目にするようなピアノができたことで、音の高低においても、大小においてもより幅広く、より繊細な表現ができるようになったことが、そういう側面を生かしたようなロマン派の音楽を作り上げたのかな、なんて考えたり。
もちろん、音楽的特徴の違いは、音楽の目的とか社会的役割の変化など、他の多くの要因によっても生み出されるものだと思うので、物質的環境はあくまでいくつかある要因の一つにしか過ぎませんが、物質的環境によって、制限されるもの、可能にされるものについて考えることも、音楽の楽しみ方の一つなのかなと思います。
2.Thesis Seminar: 自分自身をコンテクストに入れること
さて、私は日本のリベラルアーツ教育というテーマで卒業論文を書いているのですが、ここで厄介なのが、私自身が、自分が研究している主題のコンテクストの中にいるということです。はじめのうちは、「自分自身と直接関係があることを調べるなんて、なんとEmpathyがしやすい環境にあるのか」なんて思っていたのですが、逆に、自分が中にいるからこそ、無意識のうちにバイアスがかかった形でものごとを見てしまう可能性が高いことに気がつきました。というのも、現代日本という大きなコンテクストの中に存在する、様々なサブコンテクストのうち、自分に関わる部分の情報量のみが圧倒的に多く、かつその部分に対して自分の主観的な考え方がすでに形成されてしまっているため、客観的な判断を下すことが難しくなりやすいのかなと思いました。
そのため、卒論を書くときには、自分自身をコンテクストの中に組み込んで、自分がどういうバイアスを持ってしまっているのか、ということについて、いつも以上に気をつけることの重大性を学びました。(学ぶというか、基本的に教授からつっこまれたりする形なのですが。)(もちろん、完全にバイアスのない状態で物事を見るというのは不可能だとは思いますが。)
この、自分自身をコンテクストにいれることって、教育業界において特に必要なことかなと思いました。私は、教育業界にすごく興味があったので、今までもいろいろな教育系のプログラムに参加したり、調べたりしてきたのですが、私が書いているこの記事も含めて、「自分はこういう経験をしたから、教育はこうあるべきだ」というタイプのものが多い気がします。もちろん、実体験があるからこその強みは大きいとは思うのですが、教育が教育者のエゴにならないためには、自分自身の受けた教育や経験をより広いコンテクストの中にいれて、客観的な評価を下すことが大事なのかなと思います。(なんて、自分に一番言い聞かせなくてはいけないのですが。。。)
また、以前の記事にも書かせていただいた通り、そもそも自分が教育業界に興味があると思っているのも、単に自分自身が最も直接的な体験を受けたのが教育業界だったからであると思ったりもしたため、卒業後はまずは色々なビジネスを見て、教育をより広いコンテクストの中で見てから、自分が本当に教育業界に関わりたいのか、もしそうならば、どういう形でやるのがいいのか、ということを考えていきたいと思います。なんだかんだコンテクストはメインのものを客観的に見たり、理解を助けるための補助的なものであり、それ自体を勉強することが目的になってしまうのも、本末転倒なのかな、とか思うので、色々と見た後に、教育にしろ何にしろ、一つに絞ろうかなと思ってます。
(2)歴史学以外の応用法
1.Listening to Music: コンテクストの保持か、適応か
この授業は、ざっくりといってしまえば、バロック派時代から現代に至るまでの音楽の系譜を追う、という趣旨のものだったのですが、この授業を通して、音楽作品は、その音楽的要素のみを鑑賞するのではなく、その音楽作品が生まれた時代のコンテクストを考えることで、より深みのある鑑賞ができる、ということを学べました。
例えば、作曲家のパトロンの違いというものが、バロック派時代と古典派時代の作品の特徴に大きく影響を与えていたりするのです。バロック派時代のときの作曲家って、宮廷か、教会か、オペラハウスに雇われていたのですが、特に宮廷とオペラハウスで働いていた作曲家がつくった音楽には、オーディエンスである上流階級の人々が好んだ、わりと重厚で複雑な音楽が多いように思います。(バッハのブランデンブルグコンチェルトをバッハがブランデンブルグ候に献上するときに送った手紙とかは、作曲家の社会での立ち位置が、ベートベンの時のような「天才」というよりは、「雇われ職人」であった、ということをよく示しています。)それが、古典派時代に入って、パブリックコンサートが開かれるようになり、中流階級がオーディエンスとなることで、よりシンプルな音楽や、ハイデンの曲のように遊び心のある音楽も出てきたりするのです。こういうコンテクストを知ると、例えばバロック派時代の音楽を聴くときには、17世紀のヨーロッパの貴族について思いを馳せてみたりなど、Empathyを使った鑑賞ができるようになるのかなと思います。
あと、音楽とコンテクストの関係で面白いなと思うのは、音楽は他の歴史的事象とは異なり、現代において、演奏という形で、再現されうるというところにあるのかなと思います。その際に、音楽作品、特にオペラなど公演が、過去の時代の形式をそのまま守っているのか、それとも、過去のオーディエンスに与えていたようなインパクトを現代のオーディエンスにあわせた形で公演をしているのか(いわゆる現代版????というものが主だと思います。)という演奏側の意図を考えることも面白いかもしれません。言い換えるならば、過去のコンテクストに現代のオーディエンスを持っていくのか、それとも現代のコンテクストに過去の作品を持ってくるのか、というか。
(ちなみにNHKの時代劇とかってこの二つのバランスをとっていると思います。この前たまたまテレビをつけていた時に、NHKの時代劇がやっていて、ちょんまげをつけた登場人物が「おいちょっと待てよっ!」と言っているのをみて、過去のコンテクストを一部現代に合わせてるタイプなのかな、と思いました。多分過去のコンテクストのままだったら、「アイヤー待たれよぉ!」あたりだったんだろうな、なんてぼやっと考えたり。)
と、ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、もちろん「正しい」音楽の聴き方なんてものはなくて、聞き手それぞれの楽しみ方というものがあるとは思いますが、コンテクストについても少し考えを広げると新しい聴き方ができるという楽しみをこの授業を通して学べたかなと思います。
(ちなみに芸術家の方々にとって、自分の作った芸術作品のメッセージを正確に伝えることが大事な一方で、鑑賞者の方々の自由な鑑賞を許容する必要性もあると思うのですが、そのあたりのバランスってどうなのでしょうか?そもそもこんな質問を投げかけること自体ナンセンスなのかもしれませんが、ちょっと気になっていたテーマです。)
2.Social Psychology: 無意識なコンテクストの影響
日常生活において、人と関わる中においても、シチュエーション(人間関係におけるコンテクストですね)を考えることは、誤解を防ぐ上で非常に大事であるということをこの授業を通して学びました。
そんなことを思いながら、自分が以前記事に書いていたことを振り返ってみると、前とはちょっと違う見方をするようになりました。例えばインターン中に学んだこととして、相手の人がどういう人なのか、ということを考えておくと学びの機会が増える、みたいなことを書かせていただきましたが、このとき、「仕事上」というコンテクストを忘れてはいけないなと思いました。「この人キツい言い方をするけれど、それは仕事上の利便性を図ってるからだな。」というようなどちらかというと性善説的(という言葉が適切なのかちょっと怪しいですが)な見方と、「この人は仕事上だから優しくしてくれてるんだな。」というちょっと性悪説的な見方もできるとは思いますが、いずれにせよ、人の言動を判断するときには、その周りのコンテクストを考えることが重要なのだと思います。
そんなことを思ったのは、この前たまたま夏の間にインターンしていた会社の方と街中ですれ違った時に、挨拶をしようと思ったら、さらりと目をそらされてしまった時でした。もしかしたら単にお気づきにならなかったのかもしれませんが、そのときに、「そっか、前は「インターン中」というコンテクストがあったから、あんなに上の人に挨拶してもお返事もらえたり、仕事(というか課題)に対して親身にコメントもらえたんだな。」とか考えたり。ちょっぴり寂しいな、とかはじめ思ってたんですけど、その時期ちょうど、丸山眞男の「日本の思想」という本の「であることとすること」という文章を読んでいて、そこに出てくる「することに基づく上下関係」を今、まさに体験した!!という感動(?)に変わったので、むしろ嬉しい気分になりました。ものは見ようです。
とまあ、例によって話がそれてしまいましたが、社会心理の授業で学んだポイントとしては、人が自他の感情を推し量ったり、何かしら行動をするときには、コンテクストに影響されている、ということだけではなく、我々がそれに対して無意識である、ということです。人と人との関係の中で、一番強烈な情報って相手の言動そのものだと思うので、そこに注目してしまいがちですが、そればかりでなく、相手が特定の言動をとった(またはとらなかった)コンテクストにまで視野を広げることが、不要な誤解を生まないためには重要なのかなと思いました。
・Complexity
今学期自分が学んだもう一つの大きなテーマにComplexityがあります。全ての授業において大切だと思ったテーマですが、特に卒業論文を書く過程で身にしみたテーマなので、ここでは卒論に絞ってお話させていただきたいと思います。また、学年末に起こった事件を通して、アカデミックな場以外でも、重要だと思ったので、そちらについても最後に触れさせていただきます。
(1)卒論セミナー
さて、先ほどもチラリと触れましたが、私は現代日本におけるリベラルアーツ教育というテーマで研究を進めています。歴史の卒論セミナーは1年間のプログラムで、とりあえず秋学期の終わりまでに卒論3章(25ページ程度ずつ)のうち1章を書く形になっていました。(これに序論結論が加わり、全部で100ページ程度になります。)9、10月のうちはひたすらリサーチ、11月12月ではリサーチをしつつもチャプターを書く、というスケジュールになっていました。セミナーと呼んでいますが、実際は自分のアドバイザーと、毎週1回1時間から1時間半程度ミーティングをして進めていくという形でした。
8月号にも自分で書いていましたが、卒論を書き進める中でも、私はものごとを単純化しすぎる傾向が自分にあるなと思いました。多分、ものごとをシンプルにしない限り、ちゃんとしたメッセージって伝わらないんじゃないかなと思っていたからだと思います。
例えば、「今起こっていることは、AとBの対立という風に要約できる」と言った方が、
「まずPという事象があり、これはP1, P2, P3の3つに分割することができる。このうちP1はCによって否定され、P2はCに影響を受けたDという勢力により強調されることでP2’に変形するものの、Eという勢力により、P2’が否定される。その後、P2’に新たな定義をFという勢力が生み出すが、それに対立する形で、現在Gという勢力が、P3をP3’という形での再定義を行っている。ちなみに、このGという勢力が定義するP3という概念は、大元のP1, P2, P3の概念に共通するテーマに新たな定義を与えたものと考えられる。このC2’とC3の対立というものが、現代に見られるAとBの対立であり、これら一連の変化を象徴するテーマとして、Q1, Q2, Q3とその変化がある。」
なんていうより、わかりやすいかな、と。
で、実は今、上に書いた二つの構成は、まさしく、私が卒業論文の第1章を書いていた時の一番はじめの構成と、先生とのディスカッションを通して直した最終的な構成だったりするのですが、今考えてみても、一番はじめの極端に単純化したものって、一見わかりやすいようで、わかりやすさのために実際の事実を歪曲している部分があったり、表面的な事実の域を出ないためなぜそれが重要なのかわからないですし、誤解を生みやすいのかなと思います。
ちょっと具体的に書いてみると、このチャプターは、「エリートと教養教育」というテーマで書いていたのですが、リサーチの結果を、はじめは、”Elitism v.s. Egalitarianism”というAとBの対立で書いていたんですね。で、この構造だったらわかりやすいしいいんでないか、と思っていたのですが、教授からコメントをいただく中で、大雑把にくくりすぎてしまったために、本来はどちらにも所属しないのに、無理やりどちらかの方にねじこもうとしているテーマがあったり、時間軸があっちゃこっちゃ行っていてわかりづらい、とのコメント。
そこで、もうちょっと細かい分類分けをしつつ、綺麗に時間軸が流れていく構成ってどんなものだろうと考えた時に、
1. P
2. Pの否定とPの再定義 (P’への変化)
3. P’の否定
4. P’の二通りの再定義(A対B)
という構造で言えるのかな、と思えてきました。(ちなみにここでいうPはエリートの社会的役割と社会的責任の定義を指しています。)
で、これでまた書いていたのですが、どうも、この中でもまたまた細かいところがどうも噛み合わない。それでまた、この中をさらに詳しく見ていったときに、PはP1, P2, P3の3つに分けられるのかな、と。日本におけるエリートの社会的役割と責任って、この3つの要素の一部が否定されたり、変化したり、強調されたり、再定義されてきた歴史っていう風に書けるかもしれない、と思い。
そのあとは、「ん?そういえばこの卒論、リベラルアーツがテーマだったのに、リベラルアーツの要素が全然前に押し出されてきてないんじゃない。」と思ったので、じゃあこれらの時代のフェーズに合わせたあと、このP1, P2, P3にとってのリベラルアーツの役割をQ1, Q2, Q3とおいて。。。
みたいな感じで書いていったんですね。その結果、完成した第1章の組み立てが先ほどのパラグラフにあったようなものでした。(多分あれだけみるとちょっと意味不明だとは思うのですが。。。)
結局のところの主張はAとBの対立に落ち着きはしたのですが、なぜ、そのような二項対立状態になったのかという経緯や、その対立がどのような意味を持っているのか、というところまで考えを進めることは、細部を見ることではじめてわかってきたのかなと思います。
9月号では、卒論を一つの大きな絵を描くことにたとえましたが、同じように絵の喩えを使うならば、単純化された文章は、一本の筆、一色で書かれた絵で、複雑なところまで見た文章は、様々な太さの筆や、多様な色を使って書かれた絵、というか。大きな枠組みを描いた後に、細部にまで気を使いつつ描かれた絵は、遠くから見れば全体像をつかむことができますし、曖昧なところは近くに言って細部を確認すればよいように、決して複雑な情報を入れたからといって、ものごとがわかりにくくなることはないのかな、と。(細かいところに注目をしすぎて、大きな絵のうちの5分の1しか書けませんでした、というのでは本末転倒ですが。)
で、こういう「絵」を描けるために重要なのは、いろいろな「筆」や「絵の具」を持つこと、つまり、細かい部分まで表現できる“言語運用能力”(特に語彙は重要だと思います。)と、自己満足な「絵」にならないように、常に「鑑賞者」の意見を聞く勇気と、よりよいものに変える努力を惜しまないこと、という“心の持ち方”の二つがあるのかなと思います。
また、とりあえずそれっぽい答えを出して満足し、その事象に対する思考を停止してしまうのではなく、より深いことを考えるために重要なのは、常に一歩深い質問を問い続けることなのかなと思います。また、その質問を問い続けるために必要なものこそが、コンテクスト、いわば、いろいろな角度からものごとを検証することなのかなと思います。
(余談)
リベラルアーツの意義の一つには、現代ますます学問が細分化していく中で、「学問」という大きな絵を少し距離をおいて鑑賞することができる、それも鑑賞するだけではなく、それぞれの細部を担当する「画家」の使う具材であったり、技巧のよさがわかったり、その重要性についてわかることを指すのかなと思いました。
(2)日常生活で:人種の問題
学期末にとある事件が起こったときにも、Complexityの重要さを感じました。
事件の発端は、とある5人の白人女子学生が、メキシコ人のステレオタイプとも言えるコスチューム(ソンブレロ、白いポンチョ、つけ髭)を着用し、”Taco Five”というキャプションをつけてFacebookに写真をアップしたことでした。
これに対して、ラテン系の学生を中心に猛抗議が起こりました。彼らの民族衣装がコスチュームとして使われていたこと、また、ラテン系の中にもある複雑な文化の違いというものを無視して、たった3つの衣装に単純化されたことに対して抗議を起こしていました。(恥ずかしながら、私ははじめはどうしてあのコスチュームがそこまでの問題を起こすのかわからなかったのですが、多分日本人の感覚的には、アメリカ人がハロウィンの時に、韓国と中国と日本の民族衣装を混ぜ合わせたような衣装を来て、”Yellow 5”とか言ってるような状態なのかな、と思ったり。)
で、これってまさしく文化の中に存在する”Complexity”というものを考えないで、単純化してしまうことに起因しているのかな、と。人種とか性別といった大雑把な分類に人をカテゴライズするのではなく、それぞれの個人を、その個人独特の経験の集積体として見ることの重要性を感じた事件でした。
・おわりに
このようにContextとかComplexityとかいろいろ考えているうちに、自分自身のものの考え方も大きく変わったのですが、これについて詳しくはまた来月号に。
やや唐突な終わりで恐縮ですが、今月はこのへんで!
皆様、よいお年をお迎えください。
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◇ 2014年11月 ウィリアムズの学生生活~History of the Book:Questioning the Obvious~
◇ 2014年10月 ウィリアムズの学生生活~リベラルアーツ大学批判~
◇ 2014年9月 ウィリアムズの学生生活~世界の見え方がちょっとずつ変わる毎日~
◇ 2014年8月 番外編:夏の振り返りと今後の展望
◇ 2014年7月 番外編 スムーズに意思疎通をするためには?外資系投資銀行で学んだ、「視点をうつす」スキル
◇ 2014年6月 番外編 自分らしい人生とは?:ヨガインストラクターになって思ったこと
◇ 2014年5月 ウィリアムズの学生生活~なぜ、大学に通うのか?~
◇ 2014年4月 ウィリアムズの学生生活~なぜ私は歴史を専攻したのか?~
◇ 2014年3月 ウィリアムズの学生生活~なぜリベラルアーツの学生はよく勉強するのか?~
◇ 2014年2月 ウィリアムズの学生生活~Claiming Williams:皆違って、皆良い~
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◇ 2014年2月 ウィリアムズの学生生活~Claiming Williams:皆違って、皆良い~
2月になりました!
ソチオリンピック、熱い!!!!!!!
日本でもものすごく雪が積もったそうですが、Williamsも負けておりません! 毎日道なき道を開拓しつつ、教室に向かっております!
そして、楽しかったWinter Studyが終わり、春学期が始まったのですが、すでに今学期は乗り切れる気がしません!
ぜんぶ、雪のせいだ。
さて、JRさんの広告を、誤った解釈で引用させていただいたところで前置きを終わらせて、今月号では、Williamsで毎年春学期のはじめに行われるイベント、Claiming Williamsについて、ご紹介したいと思います。
○Claiming Williamsとは?
Williamsのウェブサイトには、Claiming Williamsの理念として、以下の文章が掲げられています。
Claiming Williams invites the community to acknowledge and understand the uncomfortable reality that not all students, staff, and faculty can equally “claim” Williams. By challenging the effects of the College’s history of inequality that are based on privileges of class, race, ethnicity, gender, sexuality, and religion, we will provoke individual, institutional, and cultural change.
誰もがその人の人柄や能力で評価される社会が一番なのでしょうが、実際の話、経済的背景、人種、文化、性別、性的指向や宗教などをもとにした差別はWilliamsでも存在します。
でも本当の問題は、差別の加害者側も、時には被害者側も、差別の存在に気がついていないということなのです。
例えば、アジア系アメリカ人の人に対して、 ”Where are you from?”と聞いて、"I'm from Washington D.C."という答えをもらったときに、"Nono, where are you "originally" from? ("You are originally from somewhere in Asia, not the U.S., right?"ってことですね。)"と聞くのは、時に失礼にあたります。なぜならば、そのような質問をするということは、質問者は、白人で青い目でない限り、「本当の」アメリカ人ではない、という風にみなしているということを含意するからです。(アメリカで生まれ育ち、英語が母国語であり、アメリカ国籍を持っているアジア系アメリカ人は多いのにも関わらず) 同様に、アジア系アメリカ人に対して、"Why do you speak English so well?"と言うのも、悪意はないのかもしれませんが、とても失礼な話です。
Claiming Williamsは、多様なバックグラウンドの人が集まることによって生じている差別や問題を認識した上で、お互いの違いを尊重できるようになるために、普段は話すのに少し勇気がいるような様々な問題を、教授、スタッフ、学生全員が様々なイベントやワークショップを通して話し合う日なのです。この日は授業をつぶして、朝8時15分から、夜の1時まで、多様なイベントが企画されました。こちらに色々と詳細が載っているので、ぜひご覧になってみてください。(ちなみにこのイベントはどれも自由参加です。)
今回は、私が参加した、”Living between languages” と”Failing at Williams”という2つのイベントについて紹介しようと思います。
○Living Between Language
このイベントでは、2つ以上の言語を話すこと、2つ以上の文化の間に生きることが、アイデンティティにどのような影響を与えるのか、個人の振る舞い方や人との付き合い方をどのように変えるのか、ということについて話し合われました。参加者は80人くらいいたと思います。
流れとしては、
1. フランス語の教授による、言語とアイデンティティの関係性についての簡単なレクチャー
2. 中国語の教授(中国で生まれ育ち、大学院からアメリカに来られた方)と、アラブ語の教授(アラブ語、スペイン語、ポルトガル語、英語を流暢に話される方)による、体験談
3. 参加者によるフリーディスカッション
という感じでした。
○「家」を失うこと
参加者には、1世や2世の学生/教授が多かったのですが、ディスカッションでは、英語を話す環境にいる中で、自分の母国語(最初に習得した言語/ 家族と話す言語)を忘れてしまうこと、それと同時に自分にとって「家」と呼べる環境を失ってしまうことに対する不安について深く話し合われました。
多分1年生のときにこのイベントに参加していたら、「日本語忘れることなんて、ありえないって。自分の日本人としてのアイデンティティが揺るぐなんて絶対ないって。」なんて思っていたと思いますが、留学して2年半経った今、彼らと似たような不安を抱えている自分に気がつきました。
将来、自分は日本人ではなくアメリカ人だ、という風に思うことはないと思いますが、日本に帰る度、自分にとって居心地がよかった場所に少し違和感を覚えるようになってしまったり、今までとは少し違う頭の動かし方をして日本語を話している自分に気がついたり。逆カルチャーショックっていうやつですかね。いざ4年間の留学が終わって日本に戻ったときに、果たしてうまくとけ込めるのか、ということに正直不安はあります。
そんなわけで、休みの時に日本に帰ったときには、「こういうこと言ったら、浮いちゃうかなあ。」とか、「こんなことしたら、「空気読めてない」って思われちゃうかなあ。」なんて考えて、自分の言動を意識的に周りに合わせたこともありました。
ただ、今回のディスカッション(割愛してごめんなさい)を通して考えてみるに、ある文化の一員とみなされるために、自分を曲げてまで、その文化に合わせる必要はないんだなと思いました。(決して、アメリカに留学したことを言い訳に、好き勝手なことをする、という意味ではなく。郷にいっては郷に従うことも大事だと思います。)
日本に帰る度に少し世界の見え方がかわっていること、自分の立ち位置がかわっていると感じることをネガティブなことと捉え、周りの人にあわせようとするのではなく、自分が日本を外から見ることができるようになった/ 日本の文化を相対化できるようになった、という風に考えることが大事なのではないかと思います。
自分は何か1つ、確実なアイデンティティ/ 帰属意識を持たなくてはいけないんだ、と思ってしまうと、留学から帰った後、変にアメリカナイズされた言動をとったり、「日本はダメだ」とか言い始めたりするか、逆に自分を無理に押し込めたり、「日本以外はダメだ。」とか言い始めることに繋がってしまうのだと思います。両極端どちらかに走りやすくなってしまうのですね。
2つの文化を知った後に、どちらか一方が全面的に良いと評価して、どちらかに所属しようと試みるのではなく、2つの文化の間にいるという、ある程度の「居心地の悪さ」を楽しめるようになることも大事なのかもしれません。
自分の価値観を周りに押しつけるのでもなく、周りの価値観にただ単に合わせるのでもなく。お互いの価値観を尊重した上で、お互いを認め合えるようになるために、自己というものをしっかりと持った上で、対話をしていくことが重要なのだということに、今回のイベントで気がつかされました。
○Failing at Williams
このイベントでは、様々な「失敗」について、6人の学生がスピーチをしました。Goodrichというホールで行われたのですが、おそらく300人以上の人が参加したと思います。あまりにも人が多かったので、セキュリティの人が人数制限をしなければいけなかった程です。
(これだけの人がこのイベントに集まったということは、他の人の失敗談を聞きたい人がこれだけいる=苦労とか失敗とかをしているのは自分だけではないんだということを知って安心したい人が実はたくさんいることを示している、と友達が言ってました。)
このイベントでは、アルコール依存症になってしまった学生の話や、College Council(生徒会)の代表に立候補したもののこの10年で一番の大差をつけて敗れてしまった人の話など、色々な話があったのですが、自分の考え方を変えるきっかけになった話を1つ紹介させていただきたいと思います。
○成功の定義
さて、私は会場に少し着くのが遅れてしまったので、2階に誘導されたのですが、あまりに人が多かったため、話している人が見えない状態で、話を聞くことになりました。
2階に着くと、ちょうど一人目の人が話し始めたところでした。名前を聞き逃してしまったのですが、どこかで聞いたことがある声だなあと思って話を聞き始めました。
「私はVarsityのバスケットボールチームに所属していました。しかし、私はチームの人たちとはあまり親しくなれなかったし、試合にも全く出られなかった。ベンチで座って試合を見ているときにはいつも、『こんなに試合に出させてもらえないなんて、あの子本当にバスケ下手なんだろうな。』って観客の人に思われているに違いない、と思っていました。高校までは、バスケ部の中心だった私にとって、これは非常に辛い経験でした。それでも、Varsityの選手であるという事実が私のステータスを高めてくれると思っていたので、チームを辞めようとは思いませんでした。
3年生になる前、JAに応募しました。(JA: Junior Advisorの略で、1年生寮に住み、色々なイベントを1年生のために企画したり、アドバイスをしてあげる人たちです。) 1年生のために何かをしてあげたいと思った訳ではなく、恥ずかしい話、JAとして選ばれることが、自分が勉強面でも、人格面でも優れていることを周りに示すことになると思ったのです。
...しかし、私は選ばれませんでした。恥ずかしくて、友達には応募したことも黙っていました。
私は、別の方法で、自分の価値を周りに証明しようと思いました。そこで、競争率の高いサマーインターンをとることができれば、周りはきっと私を認めてくれると思っていました。私は、自分のことを実力以上に見せるのが上手いので、ボストンのコンサルティングファームでサマーインターンをもらえることができました。これは、私にとって大きな自信となりました。
しかし、コンサル自体に全く興味がなかった私は、仕事を楽しめなかったし、様々なミスを犯しました。」
このあたりまで聞いたところで、「あれ?」と思いました。
元バスケ部で、去年の夏にボストンでサマーインターンやって、この聞き覚えのある声…?
….
….レイチェルじゃん!!!
JVバスケットボールチームで今年の冬に一緒にプレーした、レイチェルが話しているということに気がついたのです。
彼女が”Failure”というトピックで話していることは、本当に衝撃的でした。
元Varsity選手、Leadership project企画者、卒論執筆中(williamsでは卒論は任意です)、ボストンでのコンサル経験有りなど、レイチェルの輝かしい業績をJVバスケで一緒にプレーしたときに聞いて、レイチェルは、キラキラしている世界に生きている、失敗を経験したことがないタイプの人なんだな、成功を体現するとはこういうことか、なんて思っていたからです。
レイチェルが続けます。
「3年生の秋。私はVarsityのチームから、戦力外通告を受けました。3年生になったらきっと試合に出させてもらえると思っていたから、1、2年生の間はベンチャーでも我慢できていたのに、です。3年生になってチームから切られる人なんてまずいません。自分がいかに価値がないか、ということをこれ以上ないくらい残酷な方法で突きつけられました。
さらに、翌週に電話がかかってきました。インターンをした会社から、本採用がいただけなかったという連絡を受けたのです。」
「このように、私はたくさんの失敗を経験してきました。しかし、周りにできない人という風に見られるのが嫌で、その失敗を隠してきました。
しかし、私が今までの経験を「失敗」と捉えているのは、周りの人に認められることを「成功」と思っていたから。皆さん、自分の価値というものは人が決めると思わないでください。私自身、自分のやりたいことをやることを「成功」と定義できるようになるのには、時間がかかりました。私のような間違いを皆さんが犯さないことを願っています。」
○誤った他人像
「成功の定義は自分でしなければいけない。」という彼女のメッセージはものすごくしっくりきました。私自身、アメリカに来るまで、自分の評価を自分自身ではなく、自分の所属に求めており、いわゆるエリート街道、周りの人からすごいと言われるような道に進むことが良い人生だなんて、恥ずかしながら考えていました。(もちろんそういう道を進んでいらっしゃる方を批判するつもりは全くなく、そういう道を進みたいと思っていた自分の動機がとても薄っぺらかった、という意味です。)しかし、アメリカに来て、失敗を経験しまくったおかげで、自分自身がどんな人間なので、何ができるのか、という内面的な部分に価値基準を置くことができるようになってきたと思います。少しずつですが。
ただ、それ以上に今回のイベントを通して学んだのは、自分が、「自分の価値を自分の肩書きに求めない。」という考え方を、「周りの人をその人の肩書き/ 外面だけで判断しない」という風に応用できていなかったということ事実です。
例えば、レイチェルについて、
「Varsityのチームに所属」=「とんでもなくスポーツができて、明るくて、友達が多い」
「Leadership Project企画」 =授業の予習復習などをこなした上でさらにイベント企画ができるマルチタスカー
「卒論執筆」=任意なのに卒論を書く、知的好奇心の旺盛さ。卒論を書き上げる忍耐力。
「ボストンでコンサルのインターン」=頭がいいだけでなく、仕事もできる。実社会に出ていく準備をきちんと進めている。
なんて考えてました。レジュメだけを見て、表面的に相手の人となりを判断してしまっていた、というか。
もちろん肩書きからある程度推測できることもあると思うのですが、私の場合はそれが行き過ぎてしまい、人と自分を比較して、無限の優越感劣等感ループにはまってしまうこともありました。
そんなことを防ぐためには、お互いに等身大でいられるような関係を人と築くことが大切なのだと思います。表面的で浅い関係ばかり築いてしまうと、表面の部分と実際の乖離に気がつかず、誤った認識のもとに人とコミュニケーションをとってしまうことで、相手に無駄なプレッシャーを与えてしまったり、自信を無為に失ってしまったり。人間関係をとても窮屈なものにしてしまうことに繋がると思います。
で、お互いに肩を張らないでつき合えるために必要なのは、「他の人よりも『できる』やつが勝ち組」という考え方から、「皆違って、皆いい。」と思えることなのだと思います。陳腐な表現で恐縮ですが、本当に大事なことだと思います。
○まとめ
そんなわけで、Claiming Williamsでは、普段目を背けることで存在しないこととしている問題に、あえて焦点をあてて向き合うことで、様々な学びを得る機会になりました。ただ、本当に大事なのは、これをイベントとして終わらせてしまうのではなく、この日話し合った問題について、自分自身これからも考えていくこと、周りと話し合っていくことなのだと思います。
皆さんも、意識的に、または無意識に、目を背けている問題があるかもしれません。そういう問題に向き合うことは、ちょっと勇気がいることですし、必ずしも心地良い経験ではないかもしれません。でも、問題に向き合うこと、問題を解決する方向に、自分自身や周りにはたらきかけることが、色々な人にとって生きやすい社会を構築する第一歩なのかもしれません。
それでは今月号はこのへんで!
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◇ 2014年1月 ウィリアムズの学生生活~プレゼン力を向上させるためには?~
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◇ 2014年1月 ウィリアムズの学生生活~プレゼン力を向上させるためには?~
とっても今更感がありますが….!
明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願い致します。
○Winter Study
さて、2年ほど前(もうそんなに経つのですね…)の記事でも紹介させていただきましたが、Williamsでは、9月から12月の秋学期と、2月から5月までの春学期の間に、1ヶ月間のWinter Studyと呼ばれる期間があります。
Winter Studyの期間中の過ごし方には、主に以下の5つがあります。
1. キャンパスに残って授業を1つとる
キルト製作やら合気道やら映画研究やらワイン研究など、Williamsの教授や外部の講師の方が、お気に召すままにデザインした授業をとることができます。Winter Studyの間、授業は1つだけとることになっていて、授業は基本的にpass/failしかつかないので、普段の授業ほどプレッシャーを感じることなく、楽しく授業を受けられます。
ただし、時間があるからダラダラするのかといえばそうでもなく、この時期に夏のインターンのための面接をがっつり受けたり、夏休み中の研究活動のためのプロポーザルを書いたりする学生も多いです。
2. キャンパスに残ってリサーチをする
自分で研究をデザインする学生もいますし(日本の童謡研究とか、自分の料理本の作成をしている友達がいます。)、卒業論文を書いている学生はウッシャーワッシャーと卒論を進めています。(ちなみにWilliamsでは卒論は任意です。)
3. 大学主催の海外研修に行く
タイでの織物研修やら、ニカラグアでのボランティア、イタリアでの美術研究、リベリアで地域社会形成の勉強など、教授1人と学生10人程度で1ヶ月間海外研修に行くプログラムもあります。こちらに色々載っているのでぜひご覧になってみてください。( http://web.williams.edu/admin/registrar//winterstudy/travel.html )
4. 自分で企画し、アメリカ国内または海外にリサーチに行く
日本でヒップホップの研究をしている人やら、韓国での「美」のコンセプトについて調べている人やら、ヨーロッパで建築研究する人やら、様々です。
5. インターン
Williamsの卒業生のもとでインターンをすることが可能です。法律事務所やら、投資銀行やら、広告会社やら、エンターテーメント産業などなど、様々な業種にわたって、実務経験を積むことが可能です。
□佐久間のWinter Study
今月号では、現在履修しているPublic Speakingの授業で学んだこと、授業を通して考えたことについて書いていきます。実際の授業の様子についても色々と書いてみたので、Public Speakingうまくなりたいぞという方は、是非参考にしてみてください。
○伝わらなければ意味がない
さて、なぜこの授業をとったのか、と言いますと、Williamsでの生活を通して「どれだけ良いアイディアがあっても、相手に伝わらなければ意味がない。」ということを実感したからです。
セミナーやらTutorialでのディスカッション然り、友達との何気ない会話然り。やっぱり自分と価値観が違う人々と話していると、自分が伝えたつもりになっていたことが、実は全く伝わってなかった、とか、全く別の解釈をされていた、ということがよく起こります。もちろん英語力の問題もあるのですが(ぐすん)、話の構成の仕方とか、伝え方っていうのも大事なんだな、と感じました。
「伝えたつもり」、「わかったつもり」になっていた、というのは、アメリカに来てから痛感するようにはなったのですが、日本人と話しているときにも、気づいていなかっただけで、こういうことが起こっていたのではないかと思います。
で、ディスカッションとか、会話とか、その場でお互いに質問し合える場にあれば、話し合いを進めながらじっくり理解を深めていくことが可能ではあるのですが、発表とかするときって、オーディエンスが質問をしてくれない限り、一方向的な情報の伝達で終わることが多いと思うんですよね。そうなると、ますます、わかりやすく説得力のある伝え方ができないと、せっかく良いアイディアがあっても活かされないままに終わってしまうではないかと思い、この授業をとってみようと思いました。
[概要]
○授業の形式
週3回(火水木)、各回2時間で、生徒は全員で10人です。火曜日と木曜日の授業では、何かしらのテーマが与えられて、全員が発表します。水曜日には、アメリカ大統領の過去の演説やらTED talkを皆で見て、ディスカッションをします。
○火木: プレゼン
Public Speakingといっても、色々な種類がありまして、この授業では、extemporaneous debate, persuasive storytelling, class presentation, emotional speech, job interview, TED-style talkの6つのプロジェクトを全員が行いました。
一人一人が皆の前で発表し、その様子がビデオで撮影されます。発表をしていない学生は、発表を聞きながら、インデックスカードに、発表の良かった点、改善できる点を書き込んでいき、発表後に簡単にコメントセッションをします。授業後には、自分の発表をビデオで確認し、皆からのコメントが書いてあるインデックスカードと、先生から教えてもらったパブリックスピーキングのガイドをもとに、自分のプレゼンに関する簡単なレポートを書いていきます。
○水: プレゼン批評
水曜日のプレゼン批評の時間では、先生が選んだアメリカの大統領の演説を見たり、生徒が持ち寄ったスピーチやプレゼンの動画を見ます。で、火木の授業の各自の発表後のコメントセッションと同様、全員でプレゼンに関するディスカッションをします。
「アメリカ大統領演説」とか、”Most Viewd TED talk”とかって、「すごいに違いない」という先入観を持ってしまい、わりと無批判に聞いてしまう癖があったのですが、このコメントセッションを通して、様々なスピーチやプレゼンを批判的に聞く/見る力がついたように思います。
[授業の様子]
では、以下、具体的にどのように授業が進められていったのか、ということについて。
○初日に爆死: Extemporaneous Debate
初回の授業。
大抵初日って、シラバス配ってふんわり話して終わりなんですけど、この授業は違いました。いきなり教授の方から、
「2人ずつペアになって、トピックを1つ選んでください。15分後、各ペアに15分間のディベートを皆の前でやってもらいます。」
という無茶ぶりが。
「え!え!え!いやいやいや!」
と思いつつ、運悪く、元ディベート部の少年と組んでしまい、皆の前でこてんぱんにされるという結果に終わりました。
が、「初日でこれだけできなかったってことは、それだけ伸びしろがあるってことだな。」なんて前向きに捉えることにしました。ものは見方次第ですね。
その後のコメントセッションでも、「ummって言い過ぎ。」とか「斜め上を見る癖があるから注意しろ。」とか、自分自身では無意識に行っていたことを指摘してもらうことができました。
皆さんも、もしパブリックスピーキングの練習をするのであれば、一人でぶつぶつ練習するだけではなく、必ず誰かの前で発表し、建設的なコメント(ちょっぴり耳に痛いけれど、自分のスキルの向上に繋がるもの)をもらえる形で行うのが大事だと思います。やっぱり、パブリックスピーキングで大事になるのは、自分が満足することではなく、聞き手に自分の意見をわかってもらうことなので、聞き手のコメントというのはものすごく大事になります。
○Develop your own style
ざくっと2つ目から4つ目のプロジェクトを紹介すると、
Persuasive Storytelling: 自分の経験談をもとにして、5分間のスピーチで何かしらのメッセージを伝えよ
Class presentation: 今までの授業で書いたことがあるペーパーのプレゼンを8-9分でせよ。
Emotional Speech: 聞き手の心を揺さぶるスピーチを5分から7分でせよ。
という感じでした。実際はもう少し細かく指示が出ましたが、割愛します。
こんな風に色々な形式のプレゼンを経験していく中で、パブリックスピーキングって、1つの正解形があるものではなくて、それぞれの人にあった形っていうのがあるんだなと思いました。文学的な文章で人の心に訴えかけることが得意な人もいれば、話しながら思考を発展させていくことが得意な人もいれば、ユーモアを使うのが得意な人もいれば、ボディランゲージがとてもわかりやすい人もいました。
自分にあったプレゼンの方法を見つけるためには、色々な種類のパブリックスピーキングを試してみて、自分としてどんなスタイルでやるのがやりやすいか考えたり、聞き手の人に、どういうスタイルだったら自分にあっていると思うか、ということを聞いてみるといいと思います。
で、ある程度自分のスタイルがわかったら、ネット上で色々なスピーチを見て、自分と似ている/自分が目指すようなプレゼンをしている人のプレゼンを分析することが大事なのかなと思います。水曜日のセッションでも、一度、「自分とプレゼンスタイルと似ているもの、または自分がこんなのをやりたいと思っているプレゼンを持ってきて、そのプレゼンターがどのようなところに優れているのか、ということを分析し、発表せよ。」という課題がありました。
まとめると、
1. それぞれの人にあったプレゼンの形がある
2. 自分のスタイルを見つけるためには、様々なプレゼンの手法を試し、自分がどう感じたか、人からどう受け取られたか、ということを書き留めておく。
3. 様々なプレゼンを見て、自分が真似できそうな技術を盗む
といった感じでしょうか。
プレゼンの手法ってなんやねん、という感じだと思うのですが、以下のサイトに色々と書いてあるので、もしよかったら見てみてください。
Harvard Kennedy School Shorenstein Center on Media, Politics and Public Policy: Writing, Public Speaking and Workshop Handouts: ( http://shorensteincenter.org/students/communications-program/writing-public-speaking-handouts/ )
MIT’s Undergraduate Research Opportunities Program Public Speaking Tips: ( http://web.mit.edu/urop/resources/speaking.html )
で、くどいようですが、やっぱりパブリックスピーキングは聞き手ありきなので、自分がスピーチする相手がどういう人たちで、どんなことに興味を持っているのか、ということを知った上で、メッセージが伝わりやすくなるように、自分のスタイルをアレンジしていくことが大事になってくるのではないでしょうか。
○皆の前で模擬就職面接
さて、5つ目の課題は、WilliamsのCareer Centerに行って、各自模擬就職面接を受けてこい、というものでした。
が!クラスのうち、3人は、クラス皆の前で面接を受けることになり、誰もやりたがらなかったので、まあ去年ボスキャリで一度はこういうのやったし、やってみるか、と思い、立候補してみました。
さて、当日。Career Centerのドン(死語ですかね)と呼ばれるロビンがクラスにやってきて、軽く面接のときに必要なテクなんかを伝授してくれた後に、模擬面接が始まりました。1人ずつ教室の前に出て、皆から見つめられながら20分間ロビンから面接を受け、(もちろんビデオ撮影されます。)その後に10分間、皆からコメントをもらうという形式がとられました。おそろしいですね。
さて、私は3番手、つまり一番最後に面接を受けることになりました。私の前にインタビューを受けた二人は共にファイナンス志望だったので、私がボスキャリで受けたような質問を受けていたのですが、私がボスキャリの時にしたときよりも、ずっといい答えをしているではありませんか。思わずいつかの時のためにメモをとったほどです。
○緊張の和らげ方
そんなすごい二人の面接を見ている中、自分がものすごく緊張をしはじめていることに気がつきました。
「あ、緊張してる。ある程度の緊張はいいけど、これはちょっと緊張しすぎのパターンだな。」と思っていたときに、ふと、去年のActingの授業で教授がおっしゃった、
“Be conscious about “why” you feel/ act in a certain way”
という言葉が頭の中をよぎりました。
そんなわけで、なんで自分は緊張しているのか?と考えてみたところ、
「失敗するのが怖いから。」だな、と思いました。
で、なんで失敗するのが怖いのか?と考えてみたところ、
「周りの人から低評価を受けるのが怖いからかな…」と。
じゃあなんで、周りの人から低評価を受けるのが怖いのか?と考えてみたところ、
「ん…なんでだ?」と、ちょっと回答につまりました。
そこで、ちょっと自分に対する質問を変えてみて、
「じゃあどうして自分は周りの人から低評価を受けると思うのか?」
と考えてみたところ、
「だって、質問がわからないせいで見当はずれの答えしちゃうかもしれないし、自分の英語伝わんないかもしれないし。」と。
で、このあたりまで、自分の考えを意識下に落とし込めてからは、
① 質問がわからなかったら、”Would you mind clarifying your question”って言おう。
② 今緊張して英語力突然アップするわけでもないし、緊張するのはむしろ逆効果だな。今ある自分の力で勝負すべし。
という風に考えることができるようになり、自分でもリラックスできたのがよくわかりました。
緊張しているときって、「できなかったらどうしよう。」という漠然とした不安から、「もうダメだーワー」という非生産的な思考ルートに入ってしまうことがあると思います。
で、緊張を和らげるために、人という字を飲み込んでみたり、「観客は皆野菜だ」と自分に言い聞かせてみたりするのもいいとは思うのですが、
「なぜできないと思うのか?」
「できないなら、今持てる実力で最大限の効果を出すためには何をすればいいのか?」という風に考え方を変えることで、現実的な対策が打てたり、不要なことに腐心する必要がなくなるかもしれませんね。
パブリックスピーキングをするときには緊張してしまう、という人は、ぜひ一度、「なんでそもそも自分は緊張するのか?」という根本的な質問を投げかけてみるのもいいかもしれません。
○I would hire you right away
そんなわけで、いい感じに緊張がほぐれたところで、皆の前に出て面接が始まりました。ファイナンス用の面接はもう去年ボスキャリで受けましたし、私は将来ジャーナリストになりたいな、とも思っていたりするので、今回はジャーナリスト用の面接をしてもらうようにお願いしました。
“Okay, so you are writing some blogs…what are the hooks of your blog posts?”
“Tell me about your opinion on how the social media influenced professional journalism.”
“Through all the extracurricular activities at Williams, what is the most important thing you learned, and how will it help you to become a better journalist?”
なんていう感じの質問を受けながら、20分間面接を受けました。頑張って答えました。
面接後、キャリアカウンセラーのロビンが「コメントある人?」とクラスに聞いたところ、教授が即座に、
“I would hire you right away”
と。
その後のコメントセッションでも、やたら皆からポジティブなコメントをもらい、正直びっくりしました。普段アメリカ人からこんなに褒められたことがないので、思わずブログに書いてしまっています。調子乗ってます。
次の授業からは、初日一緒に組んだディベート少年がわざわざ隣に座ってきて、いやはやあの面接は素晴らしかった、これから仲良くしていこう、とか言ってくれたり。
で、自分で自分のビデオを後で見てみたところ、自分で言うのもなんですが、意外と思っていたより良いこと言ってたりするんですよね。
こうやって皆からのコメントをもらったり、自分のビデオを見てみたりする中で、自分が「自分はこう見えてるだろうな」と思っていた自分と、実際に外から見える自分って違うんだな、ということに気がつかされました。自分に対して客観的な評価をするのってすごく難しいので、パブリックスピーキングの練習を通して、自分が他の人にはどういう風に見えているのか、ということについて、少し知る機会が持ててよかったと思います。
[余談] 小室淑恵のWLBアカデミー
プレゼン関連で。さて、実は去年10月から、私はワークライフバランス(WLB)社の小室淑恵さんによるWLBアカデミーという講座を受講しています。これは、小室さんが15年間にわたって学生向けに開いていたプレゼン講座をもとに今期から設立された、プレゼン講座兼WLBの勉強会のアカデミーです。アカデミーでは、現在の日本の労働環境について、色々な文献を読んだり、制度について調べたり、様々な方からお話を聞いたり、小室さんからお話をいただいたりしています。日本の労働環境について学ぶ上でも、自分の将来の進路を考えていく中でも、とても勉強になります。今期は30人参加者がおり、月に一回、3時間ほど、アカデミーが行われます。私は無理を言って、アメリカからスカイプで参加させていただいています。(日本時間の18:30=アメリカの朝4:30からなので、前日寝るときには次の日起きれるように神様に毎回祈りを捧げつつ、目覚ましをかけます。)この度、Facebookページで色々とアカデミーの活動について色々と発信していくことになりましたので、ぜひ見てみてください。
[ https://www.facebook.com/WLBForStudents/posts/804221796260537?notif_t=like ]
○まとめ
そんなわけで、Winter Studyが終わってしまいました。Winter Studyは、通常の学期に比べて時間がある分、普段やりたくてできなかったことができたり、友達と時間を使って色々な話をすることができたり、色々と内省してみたりするので、個人的にはこの期間が一番好きです。
今回Winter Studyの、授業外の活動を通して、「なんでもかんでもやるのを美徳だと思っているといつか立ち行かなくなる。自分にとって大事なものは何なのか考え、自分にとって最も大事なものを軸に、時間と労力を配分していくべき。」という教訓を得ました。ちょっとこの話は紙面の都合上カットしてしまいますが、ものすごく忙しい学期を前に、このような考え方ができるようになれたのはよかったと思います。
来週から春学期が始まります!来学期もまた、ちょっと大変な授業をとっているので、どうなることやらわかりませんが、まあやるしかないので、頑張りたいと思います!
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◇ 2013年12月 ウィリアムズの学生生活~モラトリアム、万歳~
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◇ 2013年12月 ウィリアムズの学生生活~モラトリアム、万歳~
12月になりました!
Williamsではドッサリ雪が積もっていますが、東京はどうでしょうか?
…とかすっとぼけてみましたが、実はもう帰国しています! 日本食おいしい!
○今学期の振り返り: モラトリアム
「モラトリアム」というと、社会人になる前に、大学で悠々自適に過ごすこと、といった印象があるかもしれませんが、「モラトリアム」ってエリクソンの発達段階説の用語だったということはご存知でしょうか?
今学期とった心理学の授業で習ったのですが、エリクソンさんによると、我々人間は、各発達段階において、達成すべきゴールがあり、青年期のゴールが、「自己同一性(アイデンティティ)の確保」だそうです。で、エリクソンさんは、アイデンティティの確保のために、
1. 様々なことに挑戦する
2. その中で自分に最もあった1つのものにコミットする
という2点の要素を挙げています。
それで、その「様々なことに挑戦している」期間のことを「モラトリアム」と彼は呼んだそうです。モラトリアムとは本来、勉強をせずに遊んでいる期間なのではなくて、様々なことに挑戦する中で、自分とは何なんだろうか?ということを考える期間なのですね。
そう考えてみると、リベラルアーツの大学では、良い意味でモラトリアムの期間が長いのかな、と思います。日本の大学に通っていたら、3,4年生の間は自分の専攻の勉強が中心になるかと思いますが、リベラルアーツの大学では、大学4年間、常に模索を続けることができます。
そんなわけで、3年生になったからこそ、今学期は授業面でも課外活動面でも色々なことにチャレンジしてみました。今月号では、どんな挑戦をしたのか、そこからどんなことを学んだのか、ということについて紹介していければ、と思います…一貫性に欠けた文章になってしまっていますが、それこそモラトリアムの醍醐味と思って読んでいただければ幸いです。言い訳です。
*Acting I: Art of Consciousness
○概要
演劇経験がまるでない佐久間ですが、今学期Acting Iの授業をとってみました。
この授業では、ステージでStory telling をしたり、同じ台本を様々な方法で演じてみたり、ビデオの前でのパフォーマンスをしたりと、主に3つのプロジェクトを行いました。
普段の授業では座学はなく、1人の学生が皆の前でパフォーマンスをし、それに皆が批評をする、ということをひたすら繰り返す、という実践形式です。クラスは全員で14人と、Theaterの授業にしてはわりと多かったのですが、その分色々な人からのフィードバックを受け入れることができた点でよかったかなと思います。
○Why? Why? …..And Why?
普段の授業では、「こういうところがよかったよ。これからも頑張れ☆」なんていうほのぼのとしたコメントはあまりなく、教授と他の学生から、ただひたすら質問が繰り返されます。
歩き方から表情から声色から声のスピードから手の動かし方から舞台のセッティングの仕方からエトセトラエトセトラ。「なんでその言い方?」「なんでそのジェスチャー?」「なんでその姿勢?」「なんでその息づかい?」
また、発表をしている間に笑ってしまう学生がいたら、「なんで今笑ったの?」
緊張している学生がいたら、「なんで緊張しているの?」
要するに、「演技に関わる全ての要素に対して、あなたは意識下においていますか?」「自分をコントロールできていますか?」ということを試されるのです。やってみるとわかりますが、普段いかに自分が多くのことを無意識のうちにやってしまっているか、ということに驚かされます。
こういう質問に対して、根幹的な3つの要素である
1. What: 演技で伝えたいメッセージは何か。
2. To Whom: 誰に向かっての演技なのか。具体的に。
3. Why:どうしてその演技をするのか?観客にどんな風に受け取ってもらいたいのか?
に即した答えをすることが求められました。
例えば、「どうして目線を動かさないの?」という質問に対して、「私が想定する観客は1人だから、その人に向かって話していることを表現するために目線を動かしませんでした。(to whomの質問)」とか、
「どうして間をとったの?」という質問に対しては、「この演技を通して、観客に考えてもらいたかったので、間をとることで、観客に考える時間を与えたかったからです。(whyの質問)」とかですね。
観客に送るメッセージを明確にするためにも、これら基本の要素に即さない余分な演出は全てカットするように言われました。
○日常生活への応用
メッセージを送る側としても、受け取る側としても、What, To Whom, Whyについて考えること重要性、そしてそのために、様々なことに”Why?”という質問を投げかけることの必要性は、日常生活の様々な場面においても応用できることかなと思います。
自分自身過去のブログを振り返ってみて、「面白くさせようとしているけれど、結局話が長くなって、言いたいことがよくわからない」みたいな文章を書いていることが多いことに気がついてしまったり。今後は、何を言いたいのか、というメッセージを第一に考えて、余談とかをはさむときには目的を持とう、とか思えるようになったり。(実行できるかどうかはまた別問題ですが。)
ボスキャリの時のも”Why”の重要性をすごく感じました。「なんでこの面接官さっきからこんな意地悪なんだ。」なんて正直考えたときもあったのですが、「どうしてこの人はこういう質問をするんだろう。」と、”Why”の質問を自分に投げかけてみたところ、「ああ、この人は、こういう質問をされた時に、私がカッとなってギャーギャーいうタイプなのか、落ち着いて上手い受け答えができるタイプか見極めるために、あえてこういう風に聞いてるんだろうな。」なんて、一歩距離をとって考えることができました…とかいって単に意地悪な面接官だったのかもしれません。
また、人と話すときに、自分自身について観察するようにもなりました。「あれ、なんか早口になっちゃってるな。緊張してるのかな?」とか、「あれ、さっきから相手の人が焦った顔をしてる。無意識のうちに、『この人の話わからないなあ』って顔に自分なってるのかな。やべ。」とかですね。意外と自分自身の”観客”になるのって難しいものです。
などなど、この授業を通して、人とのコミュニケーションをとるときに、表面的な言葉のみに表れないメッセージに気を配ることができるようになったかなと思います。こういう技術は普通の授業をとっていたら学べなかったものだと思うので、勇気を出してActingの授業をとってみてよかったなあと思います。
…といっても深読みしすぎると人生楽しくなくなることもあるので、その辺は適度に都合良く解釈することも大事かなと思います。
*JVバスケットボール: No, it can’t be Miho!
今までの記事でやたらテニスの話をしてきましたが、実は私、小学校のときから中学1年生まではラケットは握らず、ひたすらバスケをしていました。テニスをきちんとはじめたのは高校生の時からだったりします。
テニスもまあ好きなんですけど、やっぱチームスポーツにはチームスポーツでしか味わえない素晴らしさがあるじゃないですか。で、チームスポーツがやりたくてウズウズしていたときに、Daily Messageに
「JVバスケットボールチームのシーズンはーじまるよー」というポストが。私のことをお呼びですか、と思い、チームのレベルもわからないまま、早速練習に参加しました。
(ちなみにJVはJunior Varsityの略で、準公式のチームのことです。Varsityと同じコーチがつき、他校との試合があり、トレーナーによるケアも受けられるシステムになっています。)
○俄然、小さい。
私162cmなんですけど、ダントツ小さい。まあクルーチーム入ってたときもそうだったので、「ハイハイまたこのシチュエーションですか。」というように割り切ることはできましたが。
また、他の選手は「去年までVarsityでやってました」とか、「高校はVarsityでやってました」っていうスーパー選手ばかり。私なんてあまりにもバスケやってなかったので、ルールも忘れてますし、ボール感覚も自分でもびっくりするほど鈍ってました。そんなわけで、試合にはまあ出させてもらえるんですけど、なかなか出番はないです。出ても1試合5分とかですね。
が!そんなところでふてくされてもしょうがないので、自分が出られる短い時間の間には、ディフェンスで声張るとか、ボックスアウトしまくるとか、とにかく自分にできることに専念しました。
○まさかのリバウンド
とある日、平均身長175cmくらいの高校のVarsityのチームと試合をしました。
結構競って、後半5分で、チームメイトがシュートを打ったとき。まあ162cmの佐久間が175cmの巨人たちと普通に競ってもリバウンドとれるわけもないので、
「コーチがボックスアウトしろ!って言ってた」と思い、ボックスアウトをしてウッリャーとボールをとりにいったところ、なんとがっつりリバウンドがとれました。そしてチームのエースであるレイチェルにスサっとパスを渡し、彼女が華麗にゴールを決めました。
その直後のタイムアウトでコーチが、
“Guys, awesome, awesome job. And oh my god, MIHO! You are the tiniest person on court and you got rebound.”
と言ってくれました。
そしてチームで一番身長の高い、元Varsity選手のルイージが、
“Oh my god, when you got that rebound, I was like, ‘NO! It can’t be Miho!’”と。私のような身長が低い選手があんな中でリバウンドとるなんてまあ普通に考えてありえなかったのでしょう。
○いらんプライドは捨てろ
中学校の時までバスケをしていたときには、わりとポイントを自分で入れにいく感じだったので、JVバスケットボールでは、そういう面で全然活躍できなくて、もどかしいなあというのはあります。やっぱり自分が全然できないと、「なんでわざわざ恥かいたり、悔しい思いをするために、これをやっているんだろう。」なんて思ったりして、別にやらなくてもいいことだから辞めてしまおう、なんて考えるときもあります。勝手ですね。
が、留学を通して、自分ができないことを嫌がっていたら成長もできない、ということをしみじみと学びました。昔とった杵柄なんぞに縛られて挑戦できなくなるのは勿体無いです。何か自分ができないことにぶちあたったら、むしろそれを成長のチャンスと捉えて、自分にできることを精一杯やっていくことの大切さについて学べました。
また、「正解」って一つじゃないんだなと思いました。それまで、「バスケのうまい選手」=「試合中にポイントのとれる選手」と考えていたのですが、特にチームスポーツの場合、それぞれの人にはそれぞれの活躍の仕方があるんだな、と。特に私の場合は身長差の時点でハンデがあるので、それ以外の部分での活躍の仕方ってあるんだなと思いましたし、この、「正解の多様性」(勝手に名付けてみました)という概念はスポーツ以外にも十分応用できることだなあと思いました。
*サックス: Knock, and it shall be opened unto you
学期の途中に、友達が所属するWilliams Jazz Ensembleのコンサートを聞きにいったときに、あまりにもサックスがかっこよかったので、これはもう習うしかない、と思いました。単純です。
「中学の音楽の授業で、歌は下手だったけど、リコーダーだけはいっつも褒められてた!」という謎の自信を持ち、突然音楽科に乗り込み、「サックス習いたいんですけど。」と言ったところ、レッスンは既に上手い子にしか提供していないとのこと。「そこをなんとか」とお願いしたところ、教授の方から、「じゃあ担当教官のところにいって、自分で聞いてみて。」とのこと。
そんなわけで、お願いしたら、じゃあ、まず1回だけレッスンしましょうか、と言っていただけました。
○初回のレッスン
「好きなジャズ奏者は?」
「好きなジャズの曲は?」
などなど、色々と質問されたのですが、「わかりません。」「ありません。」「申し訳ありません。」としか答えられず、あまりにもジャズの知識がないので、驚かれました。と、いうか、「ほんとに一回コンサート聞いただけで来ちゃったの?え、マジ?」と、呆れられてしまいました。
しかし、まあしょうがないからサックス吹いてご覧と言われ、思い切って吹いてみたところ、どうも良い音が出たのか、インストラクターの表情もかわり、これを試せ、あれを試せと言われました。
結果、先生から、「ボク、普通は初心者には教えないんだけど、君は成功するポテンシャルを見せてくれたから特別に教えることにするよ。はじめはちょっとびっくりしたけれど、どんな分野においても、大事なのは、挑戦する勇気と、成長をするポテンシャルだからね。」と言っていただけました。
○挑戦する勇気と成長するポテンシャル
私たちのまわりには本当に様々なチャンスが転がっています。ただ、私たちって、自分が今までやってきたことに即したものにしか、なかなか手を出さない傾向にあると思います。私自身、やっぱり自分ができないってわかってることに挑戦するのはなかなか勇気がいります。
が、私自身、今まで一番たくさんのことを学べたのは、自分にとってわけのわからん世界に飛び込んだときでした。日本生まれ日本育ちですがアメリカ来ちゃいましたし、歴史専攻ですが、演劇の授業とかとっちゃいますし、留学生ですが、THE AMERICA☆みたいなプログラムであるMysticに行ってしまったり。聖書にも「求めよされば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、叩けよ、さらば開かれん」とありますが、何かを学ぶためには、やっぱり自分から、失敗を恐れずに行動を起こしていくことが大事なのかなと思います。
*フィラデルフィアマラソン
走っちゃいました、26.2マイル。
今年の5月に韓国ではじめてマラソンを走った後、友達から、「次はフィラデルフィアマラソンで会おう」みたいな謎のメッセージが突然来たので、フィラデルフィアマラソンを走ることにしました。フットワーク軽くなりました。まさかフィラデルフィアに行くのに往復18時間かかるとはそのとき思ってもみなかったのですが…
違った州にあるホテル予約しちゃったり(Springfieldってイリノイ州にもあるのです…)、電車の時間間違えたり色々とおっちょこちょいなことをしつつも、11月中旬に、フィラデルフィア行ってきました。
○マラソンで学ぶメンタル
マラソンなんで走るの?って聞かれて、まあ走るのが好きだからっていうのが大きいのですが、マラソンに必要なメンタルが留学というか人生においても重要になってくるから、というのが1番の理由だと思います。マラソン走りながら、自分に喝を入れられる、というか。
今回のフィラデルフィアマラソンは規模の大きなものだったので、プラカードを持って応援してくれる沿道の方がたくさんいらっしゃったのですが、その中で3つ、印象に残ったものを紹介させていただきます。
1. Embrace your speed
私は今回3時間45分で走ったのですが、やっぱりマラソンって長いので、ペース配分が大事になってきます。やっぱり良いタイム出したいですし、周りも速いので、ついつい焦って速いスピードで走りたくなっちゃうんですね。
留学も一緒で、自分としてもはやく成長したいし、周りの皆が優秀なので、ついついオーバーロードしてしまうときもあるのです。
が、そんなときに、”Embrace your speed”と自分に言い聞かせることは本当に大事になってくると思います。人は人、自分は自分と割り切ることはなかなか難しいのですが、人につられて焦ってスピードを出してしまい、走れなくなってしまうよりも、自分の今の現状を受け止めて、淡々と努力することが、意外とゴールまでの一番の近道だったりします。
2. Pain lasts temporarily, but honor lasts for weeks
「え、weeksしかhonorはlastしないんだ。Honors lasts years とかforeverとかにしようぜ。」なんてどうしようもないつっこみを走りながらしていたのですが、要するに大事なのは、長期的な視点を持つことだと思います。やっぱり留学していて、「なんでこんな辛い思いしないといけないんだろう?」なんて思ったこともあります。ただ、そういう辛い思いって一生続くことじゃないですし、自分で苦労して学んだことって本当に何事にもかえがたいものなのだと思います。
3. Whose knees don’t hurt?
どれだけトレーニングを積んだ人であってもマラソンはきついです。むしろきつくないなら自分のベストのスピードを走っていないのです。自分の周りでひょうひょうとした顔で走っている人たちも、実は辛い思いをしている、と思うと、「辛いから辞めたい」なんて、ただの言い訳なんだな、と思えるようになります。
まあやたらマラソンの辛さを主張してしまっていますが、上に書いたようなメンタルを持つことによって辛いことも楽しめるようになったりするんですね。辛いときも、「もうすでにこの辛さ経験してますから!」「これ乗り切ったときの達成感のハンパなさ、知っちゃってますから!」と思えることで、マラソン以外の分野でも、自分に妥協せずに頑張り続けることができる原動力になるのかなと思います。
○まとめ: 様々な考え方に出会う期間
様々な挑戦をしてきた中で、この世の中には様々な価値観、考え方があるんだなあと思いました。Tutorialのときなんか、同じリーディングを読んで、同じエビデンスを使っても、全く違う解釈をしていた、なんてよく起こりますしね。「自分と人は考え方が違う」ということを前提として知っておくことは、今後様々なことに挑戦をして、色々な考え方を持った人たちと関わっていく中で、とても大事になってくると思います。自分自身の価値観に固執してしまうのではなく、まずは相手の考え方を理解することが、自分自身の世界を広げるきっかけになりますしね。当然のことのように思われるかもしれませんが、意外と自分の考え方を相対化することって難しいです。
そんなわけで、色々と紹介してきましたが、何にしても、始めるのに遅すぎる、ということはないので、皆さんにもぜひ色々なことに挑戦していただきたいなあと思います。偉そうにごめんなさい。
まあ何はともあれ、モラトリアム、万歳。
それでは、何やら唐突な終わり方ですが、このへんで。
皆様、よいお年をお迎えください。
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◇ 2013年11月 ウィリアムズの学生生活~留学生の就活事情-ボストンキャリアフォーラム~
◇ 2013年10月 ウィリアムズの学生生活~Williams教育の神髄Tutorial~
◇ 2013年9月 ウィリアムズの学生生活~日米学生会議(JASC)後編~
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◇ 2013年9月 ウィリアムズの学生生活~日米学生会議(JASC)後編~
9月です!
今月号もJASCの続きです!
*開催地
今月号では、開催地である京都、長崎、岩手、東京で行ったことを紹介したいと思います。
「この場所では○○をしました。たのしかったです!」
というように書くのではなく、ここでは、私が各開催地で自分なりに考えた質問に対して答えていくように書いていく、という方式をとってみたいと思います。読むに堪えないものに出来上がってたら申し訳ないです。
1.京都
Q. 伝統とは何か?なぜ日本の伝統は「型」を重視するのか?
A.
今回は、下鴨神社や京都御所にある迎賓館、裏千家などに行きました。いわゆる日本の「伝統」文化体験をする中で、日本の伝統というのは、儀式とか、技とか、型とか、いわゆる無形の文化を大事にするんだなあ、と思いました。
例えば、下鴨神社。「型」でいえば、参拝の手順は厳密に決まっていたり。「儀式」でいえば、平安時代からずっと葵祭が催されていたり。
例えば、迎賓館。迎賓館では、日本の伝統工芸品の最高級品が集められていましたが、これらは伝統工芸品を作る「技」というものが守られていることを示しています。
例えば、裏千家。茶道体験をさせていただいたのですが、「茶道」が「お茶テイスティング」と違うのは、お茶テイスティングが単においしいお茶を飲む場であるのに対し、茶道は、お茶を飲むまでの「作法」を重視するところにあるのではないかな、と思うようになりました。
そんな中で、「様々ある昔からの日本の文化の中で、どういうものが伝統といわれるようになったんだろう?そしてなんでこれらは「型」を大事にするんだろう?」と考えるようになりました。
○伝統とは何か
長い歴史の試練に堪えて、日本の伝統として昇華した日本の無形の文化には、単に、昔からあるモノというだけではなく、日本人としてのアイデンティティであるとか、美徳みたいなものが守られているのかな、と思い始めました。つまり、数々ある古いものの中でも、日本人を日本人たらしめている精神みたいなものが守られているものを伝統と呼ぶのではないかな、と。で、そのような精神的なものを守る方法として、日本の伝統には「型」が必要なのではないかな、と。
「儀式」とか「型」とか「作法」とか聞くと「なんでそんな形ばっかにこだわるのかなあ。」と思ってしまいますが、大事なものはその儀式とか型自体ではなくて、その奥にある精神なんだと思います。
例えば、茶道だって、縁側で楽しくお話しながらお茶飲んだ方がおいしいじゃないか、といえばそれまでだと思います。しかし、今回裏千家でお茶体験をさせていただいたときに、茶道では、もちろんおいしいお茶を飲むことも大事なのですが、それと同じくらい、主人と客人の間の礼儀や、かの有名な「わび・さび」の精神など、一つ一つの作法の奥に込められた精神が大事なのかな、と思うようになりました。
○言葉では守れないもの
別に日本人のアイデンティティとか精神を守るならば、「日本人とはこういうものです。」という風に、指南書でも書けばいいじゃないか!...なんて思う人がいるかもしれません。(いないかもしれません。)
これはたまたま、最近今学期の授業のために読んだピエールノラの「記憶の場:歴史と記憶の間」という論文に出ていた話なのですが(なんともホット)、言葉というのは必ず解釈を伴います。そして言葉であらわされたものはそれに対してまた解釈を必要とするので、徐々にもともとあった精神から乖離していく可能性が高いのです。
そのために、「型」というのは、そのような精神を、他者の解釈を通すことなく、ある種「体の記憶」として伝えるという方法なのではないのかあと思います。やっぱ「わび・さび」の精神って、言葉だけでは言い表せなくて、実際に茶道を体験しないとわからないものだと思います。
そう考えてみると、日本の神社の式年遷宮って、過去の精神を風化させることなく、そのままとどめておこうとする試みの一種なのかもしれませんね。
○まとめ
わちゃわちゃっと書いてきましたが、まとめてみると、
「伝統として昇華された日本の文化の中には、日本人的な精神の源を見ることができる。そして、その精神は、「型」を守ることによって受け継がれてきた。」のではないかな、と思います。
2長崎
Q. 第二次世界大戦を実際に経験した世代が少なくなって行く中で、私たちの世代はどのように第二次世界大戦を捉え、今後に繋げていけばいいのか?
京都サイトの終盤、実行委員から次のようなアナウンスがありました。
「8月9日、長崎での平和記念式典に、JASCから、アメリカ側代表団2人、日本側代表団から2人参加できることになりました。興味のある人は、名前を書いた紙を実行委員部屋の前まで提出してください。」
実は私、今年の夏にJASCが始まる前に、広島と長崎どちらも訪れてはいたのです。そのときに地元の方のお話する機会があって、東京の人と、広島長崎の人の原爆に対する捉え方の違いを感じました。そのため、今回この式典に参加することで、より深く、長崎の人がどのように原爆を捉えているのか、世界の中での長崎という位置を考えているのかを知りたいと思って応募してみようと思いました。
が、参加希望者が多かったので、選考が行われることになりました。
アメリカ側代表団の応募者には、締め切り日当日の朝に、「今晩までにこの5つの質問に1-2パラグラフで答えてね。」というメールが送られてきました。
1. Do you think that the dropping of two atomic bombs by the U.S. was necessary to stop the war?
2. How do you feel about the United States' recent participation in the annual peace memorial ceremony?
3. Do you feel that we have move forward in terms of a peaceful world since then? What about a nuclear-free world?
4. How can we educate people in order to achieve a world without nuclear weapons?
5. Do many Americans know about the bombings of Hiroshima and Nagasaki? If so, how was it taught in school?
色々と考えさせる質問ですよね。ぜひ、皆さんも一度考えてみてください。
(あまり出来がいいとは言えないのですが、私がこの時返信した回答を参考までに記事の末尾に添付したので、興味のある方は読んでみてください。)
○式典に参加
色々と考えて回答したところ、なんと当日参加できるアメリカ側代表団2人のうちの1人に選ばれることができました。アメリカ側代表団なのに私が選ばれたのは、「単に日本人だからでしょ。いいご身分だね。」なんていうちょっとつれないコメントを言われたりしたことに心折れましたが、それはさておき。
式典は10時35分から開始だったのですが、1時間前くらいに会場入り。前から7列目の席でした。
会場に入ったときにまず私が目を奪われたのは、「遺族席」と書いてある席の多さです。第二次世界大戦というと、歴史の教科書に載っているような、遠い昔の出来事のような気がしてしまっていたのですが、それを見て、「戦争が残した爪痕は現在まで深く残っているんだ。戦争はたった68年前のことなんだな。」と改めて思いました。
○過去と未来に向けて: 2つのメッセージ
そして式典がはじまりました。
式典に参加してみて、式典は11:02の黙祷の前と後で、2つのメッセージを送っているように思えました。
11:02の黙祷までは、被爆者の方々による合唱、原爆死没者名奉安、式辞、献水、献花が行われました。このいずれの行程においても共通するのは
「原爆の経験を絶対に私たちは忘れてはいけない。」
という過去に視点を持っていったメッセージだったと思います。
一方で11:02の黙祷後には、
長崎平和宣言、平和への誓い、児童合唱、来賓挨拶、合唱 千羽鶴
が行われました。
後半では、共通して
「過去を踏まえた上で、私たちはこれから平和な世界の構築のために働いていいかなければならない。」
という、今後の世界に向けてのメッセージを送っていたように思います。
式典自体が被曝者の方による歌ではじまり、最後は子供たちの合唱で終わったのも、過去志向のメッセージから、未来志向のメッセージへの流れを象徴的にあらわしているように感じました。
○長崎の方は戦争をどう捉えているのか?
実はこの式典に参加するまで、私は長崎市の方、特に被爆者の方は、アメリカに対する嫌悪感があるのではないかと思っていました。
しかし、実際の式典からはそのような心証を全く受けることはありませんでした。むしろ、「戦争のことを忘れるべきではないが、過去起こってしまったことはもう変えることはできない。今私たちがするべきことは、そのような戦争の悲劇を繰り返すことがないように、世界で唯一の被曝国として、平和な世界を構築する努力を続けていくことだ。」という未来志向のメッセージでした。
また、ただ単に「せかいへいわばんざーい」というフワフワしたメッセージを送るのではなく、式典に参列されていた安倍総理の目の前で、政府に対して、核のない世界の実現に向けての行動を、強い言葉で要請していたことも印象的でした。
○私たちの世代がすべきこと
式典で、長崎市の市長の方が、私たちは、実際に第二次世界大戦を経験した方々からお話を聞くことができる最後の世代とおっしゃっていました。
そんな私たちがするべきことは、この戦争を忘れることでも、この戦争の記憶に縛られてお互いを憎み合うことでもなく、もう過ちを繰り返さないために、この戦争について真摯に学んでいくことなのだと思います。
そのために、戦争を、それぞれの国で正しい歴史とされている大きな時代の流れ、マクロな視点と、被爆者の方など、その時代を生きた一人一人の体験を学ぶミクロの視点、どちらからも捉えた上で、様々な考え方を持った人と一緒に議論をしていくことで相互理解を深めていくことが大事なのではないかなと思います。
3 岩手
Q. 東日本大震災から2年。私たちは東北のために何ができるのか?
今回の岩手サイトでは、地元の方も交えてのセミナー、高校生との交流、ホームステイなどを通して、他のサイトと比べて地元の人と関わることがとても多かったです。
それらを通して、私は、2011年の3月以降、自分は岩手に対して、「被災地」としての印象を強く持ちすぎている、ということに気がつきました。
例えば、友達が「岩手に行ってくる」と聞いたら、「復興支援かな?」と思ってしまっていたと思います。
しかし、今回岩手を岩手として学ぶ機会がたくさんあったおかげで、その印象がガラリと変わりました。
小岩井農場でおいしい牛乳を飲みながら農業について学んだり、
宮沢賢治や石川啄木の資料館を訪れてみたり、
盛岡3大冷麺(盛岡冷麺、じゃじゃ麺、わんこそば)を食べたり、
甲子園を見ながら、花巻東高校をホストファミリーの方と一緒に応援したり、
舟っこ流しとよばれるお盆の時期に催されるお祭りに参加したり、
世界遺産に登録された平泉に訪れたり。
このような経験を通して、「また○○をしにこの岩手に戻ってきたいな。」「○○さんに会いに岩手に戻ってきたいな。」というように、岩手でしか得られない体験、岩手でしか会えない人のために、また岩手に帰ってきたいな、と思うようになりました。
もちろん震災の影響はまだまだありますし、私たちは今後も復興支援を続けていくべきだと思います。
ただし、東北を被災地としてひとくくりにしてしまうのではなく、それぞれの県についてもっとよく知っていき、「被災地だから」という理由ではなく、「□□県の○○を見たい/食べたい/知りたいから□□県に行きたい!」というように、東北と関わっていくことが、これからの支援の形になっていくのではないかな、と思いました。
4 .東京
Q. 若い世代が今後活躍していくためにはどうすればいいのか?
色々なところで、「君たち若い世代が今後を担っていくんだぞー」なんていうお言葉をいただいたのですが、私自身、「頑張りますっ!」と思いつつ、「具体的に何をするかはわかりませんっ!」という風に思っていました。
そんな、エネルギーはあるけれど、何をすればいいのかわからない若い世代は、現在活躍されている上の世代の方と実際に会ってみることで、どのような人がどのようなことをしているのか?ということを直に学んでみることで、単なるイメージではなく、もう少しクリアな将来像をつくることが大事なのではないかな、と思います。
東京では、自民党の小泉進次郎さんやアメリカ共和党のジョンマケインさんなど、様々なビックネームの方からの講演/ 質疑応答の時間を設けていただく機会がありました。
こういう著名な方とお会いすると、とりあえず写真とってfacebookにあげてドヤ顔をして満足してしまいがちですが、やっぱりそれだけではもったいない。
で、このような方々と一対一でお話できればいいですが、それは難しい。ですが、講演の後には大抵夢のQ&Aセッションがあります。こういうときに、どういう質問にどう答えるのか?ということをよく見ておくことが、講演者の方がどういう人なのか、ということを見る上で大事なのではないかな、と思います。(講演者の方がどのような立場で、どのようなオーディエンス向けに答えているのか、ということももちろん考慮にいれなくてはいけないですが。)
そのため、Q&Aセッションでどれだけ「良い質問」ができるか?ということが大事になってくるのではないかな、と思います。
と、いうわけで、今回のJASCで色々なレクチャーを通して、「いい質問」をするために自分の中で注意するようになったことをまとめてみました。
①インターネットで検索できるようなことは聞かない。
質問をすること自体は大事ですが、グーグルで検索すればわかるようなことを聞くのは講演者にとっても失礼ですし、他の皆さんの時間ももったいないです。これを回避するために大事なのは、まずレクチャーの内容に関する質問をしてみることだと思います。
②あり得る返答を予測してみてから質問する。
小泉さんのレクチャーのときに、「日米の学生の交流を促進するためにどのようにすればいいとお考えですか?」と質問した学生に対して、小泉さんが、「君はどう思う?」と聞き、その学生の返答に対して小泉さんが返答する、という場面がありました。
このとき、私も次に質問しようと思っていたのですが、「あ、この質問に対して『君はどう思う?』って聞かれたらなんて答えよう。」と思って考えてみたら、実は小泉さんのレクチャーから、自分でも返答が予測できることに気がつきました。
自分がしようと思っていた質問に対して、まず自分でありうる返答を予測してみることは大事なんじゃないかな、と思います。
③質問を説明的なものにする。
それと同時に、自分が求めたい種の回答を求める上で、どのように質問をするのかということもとても大事です。
②の続きで、小泉さんのレクチャーの時に、「ああ、ありうる返答はこれだ。」と思いついた直後に当てられてしまったので、結局
「現代日本の若者の政治離れが叫ばれていますが、どのようにすればこの事態を打開できるとお考えですか?」
なんて質問しました。レクチャーの中で、「若者と政治家が実際に会える場をつくることで、政治家がどんな人なのかを知ってもらうことが大事。だから今日は皆さんのところに僕は来ました。また、皆さんも自分から政治家について知っていく努力をするべきです。」みたいなことをおっしゃっていたので、そんな感じの答えが来るかなあ、と思っていたら、やっぱりそんな感じのお答えをいただきました。
このときの小泉さんの返答は、「若者がどうしていくべきか?」ということに重きをおいてらっしゃったので、では、「政治家はどのようにはたらきかけていくべきか?」という政治家視点の質問にすればよかった、と思いました。
例えば、
「本日ご講演いただいた中で、若者向けの政策を重視していらっしゃるとおっしゃっていましたが、その政策の支持基盤となるのは若者だと思います。一方で、若者の政治離れが進行しているというのは、その政策実現の障害となるかもしれません。そのような中で、その政策を進めていくためには、政治家として、どのようにすればいいとお考えですか?」
みたいに聞けばよかったかなあ、と。
ので、ある程度質問を説明的にした方が、ドンピシャーな回答をいただくことに繋がるのかなあと思いました。
④質問は端的に。
一方で、こういう質問タイムのときに、やたら長々と語るのも、衒学的であまりいい感じはしません。自分が頭がいいことを周りに見せたくて質問する人がたまにいますが、これはまた講演者の方にとっても、他の聞き手にとってもあまり得にはなりませんし、「なんだよあいつ」と思われてしまうこともあるので、質問者にとっても得ではありません。なんとおそろしい。
これはJASCのファイナルフォーラムでの話なのですが、とあるRTの発表の後に、ひたすら発表とは関係がない、ちょっと哲学的な質問が出まくったときがありました。せっかく発表を準備したのだから、やっぱりそれに基づいた質問から始めるのが筋なんじゃないかな、と思います。
○EC (Executive Committee) Election: 立候補、そして辞退
8月号にも書いた通り、JASCは学生によって運営されているのですが、JASCの最後に翌年のEC election(運営委員選挙)があります。今年の参加者の中から、来年のECをやりたい学生が皆の前でスピーチをして、皆の投票によって、日本側8名、アメリカ側8名の実行委員を選びます。実行委員はその直後から来年の会議にむけて、1年間にわたって準備を行います。
私自身は、全く実行委員をやる気はありませんでした。2年前にHLABで実行委員というものを経験させていただきましたが、ECの仕事に追われてしまって、なかなか参加者の高校生や他の大学生と知り合えないまま終わってしまったなという後悔とか、ECとして、自分は、仕事の面でも、人間性の面でもまだまだだったという反省があって、これからは常に参加者でいたいな、なんて思っていたというのがあります。
しかし、JASC中に、日本側/アメリカ側どちらの参加者/ECから、「EC向いているよ」、とか、「ECになってほしい」、と言われて、ものすごく驚くと同時に、少し勇気づけられました。
なんだかんだ悩み続けて、結局EC electionの締切3分前に、立候補者のところに名前だけ書いて、とりあえず皆の前でスピーチしました。
しかし、その後に、他の人のスピーチを聞いているうちに、自分には、他の人みたいな熱意が足りないな、と思うようになりました。
つまり、他の人のスピーチに共通するのは、「自分がやりたいからやる!」というものでしたが、私のスピーチは「皆に薦められたからやってみたいかな。」という、他人本意のものだったな、と。これじゃあ多分1年間持たないし、(辛いときに、「あの人に勧められてやらなきゃよかった」なんて思いたくないです。)万が一私のような人間が選ばれて、本当にやりたい人が選ばれなかったら、申し訳がつかないな、と。
結果、投票直前になって、「すみません、辞退します。」といって、リストから名前を消してもらいました。
それに対して、「MihoがECに立候補を取り消してしまったけれど、Mihoに投票してもいいですか?」と皆の前で聞いてくれたアメリカ人の友達がいて、嬉しいと思うと同時に、ほんと優柔不断で勝手なことをしてしまって申し訳ないな、と思いました。
○挑戦
JASCが終わって1週間たってみた今。
正直言って、恥ずかしながら、リストから名前を消したことをちょっぴり後悔しています。あれだけ悩んだ、ということは、やっぱり自分の中でもやりたい気持ちがあったんじゃないかな、と思います。
やっぱり、アメリカ側ECとして、自分が仕事面/英語面でやってけるか、Williamsでの生活との両立は大丈夫か、など、先のことを心配しすぎだったのかな、と思います。
今回の経験を経て、何かに挑戦するときに大事なのは、あまり先々のことを考えて萎縮してしまわないことなのではないかなということを学びました。
そういえば自分が英語も大してできないのにWilliamsに留学すると決めたとき、Williamsでの生活がこんなに大変なものだとは夢にも思っていませんでした。しかし、実際に来てみて、こんな無茶ぶりの環境に飛び込んだら、試行錯誤している間になんとかなっていました。
また、一度ECとしての、ある種失敗体験をしてしまって、臆病になってしまっていました。失敗したなら、次は成功させよう、くらいの意気込みでいけばよかったと思います。
これから色々挑戦を繰り返す中で失敗をすることも多くなると思いますが、それをトラウマとするのではなく、それを原動力として、色々と挑戦したいと思います。
今更ECやりたいと言ってももちろん遅いので、自分が今JASCにできることを考えてみたら、来年のJASCに向けて、できるだけたくさんの人にJASCの良さを伝えることで、応募者を増やすことかな、と思いました。そんなわけで、ブログに延々と記事を書いてみたり、Williamsでひたすら宣伝したりしています。
というわけで、来年はJASCが第1回のJASCから80周年の記念の年、アメリカ開催なので、ぜひ、皆さん応募してみてください!
○JASCでの友達
ありきたりに聞こえてしまうかもしれませんが、JASCで出会った友達が、JASCで得た一番の財産です。
こういうイベントでは、皆一人一人と仲良くなりたい!とは思いますし、そうするように努力もしますが、一番大事なのは、本当に心を開くことができる友達を一人でも見つけることだと思います。
JASCでは、3日目にしてものすごい事実をカミングアウトしてくれた友達がいました。そのように友達の方から、ある意味リスクを冒して心のうちを見せてくれたおかげで、私も、JASCの最終日には、その子に対して、それまで
一番親しい友達に話したようなこともなかったようなこと、自分でもそれを言葉にするまで気がついていなかったことを話していました。
自分自身、今まで守りの姿勢に入りすぎていた、ということに気がつきました。
例えば日本に帰ったときとか、Williamsにいるときでも、自分から友達に「会おうよ!」と誘うことはあまりなく、誘ってくれるのを待っていましたし、いざ話すとなっても、あまり自分の正直な気持ちを人にぶつけることもなかったです。
正直言って、その方が色々と楽ではあるのですが、今考えてみると、自分はリスクを冒さなかったかわりに、人と深い関係を築くこともなかなかできていなかった、それと同時に、自分についてもよくわからないままだったのかなとも思うようになりました。
これからは自分の殻を破るべく、もっと自分から人とふれあっていこうと思うきっかけを、JASCで出会った人々はくれました。
○3年生に向けて
韓国でのマラソンからはじまり、船で日本半周キャンプの引率、北アイルランド/ イギリスでG8に参加、長崎県での遠泳指導、JASC、神津島でのキャンプ引率など、今年の夏は色々なところをかけめぐりました。
(…ちょっとやりすぎました。もう少し、それぞれの経験を振り返るときを持てばよかったかな、とも思います…)
色々なところで色々な挑戦をすることを通して、新たな知見を得られたと同時に、自分自身について、色々なことを学ぶことができた、実りの多い夏だったと思います。
ついにWilliamsでは3年生です。留学生活も折り返し地点を迎えてしまいましたが、これから1年間また頑張っていこうと思います!
○付録: 長崎平和記念式典参加希望者のための問題と佐久間の回答
Do you think that the dropping of two atomic bombs by the U.S. was necessary to stop the war?
Some people believe that nuclear bomb was necessary in order to end the war as decisively and quickly as possible. I acknowledge that the dropping of two atomic bombs was one of the main factors of Japan’s surrender, but I do think that there were other ways to stop the war. For example, had the U.S. allowed Japan to continue its imperial system after the war, (which it eventually did,) Japan might have given up earlier.
In addition, the nuclear weapons should be considered differently than any other weapons because of the uncommon effects of radiation; the future generations have to carry the physical, mental, and social burdens. Therefore, I believe that the use of nuclear weapons to the citizens was simply unacceptable.
How do you feel about the United States' recent participation in the annual peace memorial ceremony?
As a Japanese, I appreciate the United States’ participation to the memorial ceremony because it shows U.S.’s sincerity.
However, I do feel that Japanese people and American people perceive the U.S.’ participation to the peace ceremony differently. Owing to the way that Japanese media shows the ceremony, some Japanese people may believe that the U.S. is expressing its apologies of the bombings by attending the ceremony, which is not necessarily true; actually, there are a great number of Americans who think the atomic bombings were justifiable. As for American side, since the ceremony is not as broadly broadcasted in America, some Americans do not even know that there is such a ceremony.
Do you feel that we have move forward in terms of a peaceful world since then? What about a nuclear-free world?
The nuclear weapons might have been a dangerous necessity to keep the Cold War cold. However, with the collapse of USSR and the spread of nuclear weapons to multiple countries, I don’t think we can say that we have moved forward in terms of a peaceful world.
Some countries might be willing to reduce the number of their nuclear weapons, but they are not willing to reduce the number below what they think necessary for second-strike capability. In addition, if a country believes that its security depends on nuclear weapons, to prevent it from acquiring becomes almost impossible. Therefore, achieving nuclear-free world would not be realistic.
(I understand “nuclear-free world” as nuclear-weapon free world, by which I mean that I support the peaceful use of nuclear technology.)
How can we educate people in order to achieve a world without nuclear weapons?
In order to achieve a world without nuclear weapons, I think top-down solution is more effective than bottom-up. That said, I do believe that it is important to teach the people how much effect the nuclear weapons could cause once they are used, and how different in nature they are than other weapons.
In order to do that, I believe that Japan, the only country in the world that experienced the atomic bombings, has the responsibility to reach out to other countries, especially to the countries that have nuclear weapons or that are planning to have one. Some of the ways to educate people may include giving lectures by the “hibakusha”, or establishing a museum.
Do many Americans know about the bombings of Hiroshima and Nagasaki? If so, how was it taught in school?
As a student who was taught about the bombings of Hiroshima and Nagasaki both in Japan and America, I feel that Americans are taught about the bombings in school, but differently from Japan. In America, the education focuses on the reasoning of why the U.S. government needed to bomb the cities. On the other hand, in Japan, students learn more about what kind of disaster or effects the atomic bombs caused after used.
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◇ 2013年8月 ウィリアムズの学生生活~日米学生会議(JASC)前編~
◇ 2013年7月 ウィリアムズの学生生活~自分で考えること~
◇ 2013年6月 ウィリアムズの学生生活~G8 Youth Summit in London~
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◇ 2013年6月 ウィリアムズの学生生活~G8 Youth Summit in London~
6月号です!
今月号では、6月24日から29日にかけてロンドンで開催されたG8 Youth Summitについて紹介させていただきたいと思います。
○G8 Youth Summit (=Y8)
一言でいうならば、G8各国の首脳が集まり議論を行うG8 Summitのユース版です。(今回はG8国に限らず、G20国の参加やIEAやEUなどの国際機関代表としての参加者もいました。)
毎年実際のG8が開催される国と同じ国で行われ、18歳以上30歳以下の各国代表団が世界中から集まり、外務、防衛などの各パネルに分かれて様々な議論について交渉を行い、コミュニケを作成するというものです。コミュニケに載せる文面は全会一致で決めるので、一国でも反対する文/単語は、コミュニケには載りません。
代表団は首相、シェルパ、外務、防衛、法務、開発、エネルギー・気候変動、プレス、OC(organizing committee)から構成されており、私は今回エネルギー・気候変動大臣として参加しました。
○日本代表団の準備
日本代表団は昨年の12月に選考が行われました。私は実は教育大臣で応募していたのですが、色々と変更があったようで、今回のサミットに教育大臣はなかったということになり、代わりにエネルギー・気候変動大臣としての参加になりました。
そのため0からの勉強となったのですが、自分でのリサーチや毎週1回の代表団でのミーティング、合宿、有識者訪問を通し、少しずつ準備を進めることができました。これらは昨年の代表団だった方々が委員会として計画してくださいました。(G8 Youth Summitは基本的に学生によってのみ運営されています。)
○本番までのプロセス
①Agenda Setting
Summitの2ヶ月前頃に、Podioという専用のサイトで、各パネルに分かれて、実際のサミットでの議題について意見交換します。各代表が、自分が話したい議題を、そのトピックを話し合うことの重要性を簡潔に述べた上で3つほど挙げます。それらをもとに、各パネルの議長であるイギリス代表が1テーマ5トピックずつ、計2テーマ選びます。
②Position Paper Setting
2テーマ10トピックが決まった後は、各代表団が全てのトピックに関するスタンスを書くPosition Paperを準備します。
ちなみにエネルギー・気候変動パネルの場合は、以下のようになりました。
Theme 1: Resource Management
1. Land & agriculture sustainability
2. Deforestation protection
3. Water management
4. Clean air initiative
5. Marine security
Theme 2: Climate Change Mitigation & Adaptation (Energy)
1. Mitigation of climate change (carbon footprint reduction, post-Kyoto protocol)
2. Adaptation of climate change (follow?up to the EU Adaptation Strategy)
3. Renewable energy adoption
4. Green economic growth
5. Nuclear energy
これらについて、1テーマシングルスペースでA42ページくらいのポジションペーパーと、トピックごとの優先順位を表したプライオリティリストを作成し、Podioで共有します。
③Strategy
各代表団がPodioにPosition Paperを共有した後、サミットまでの間は、各国代表団は他国のPosition Paperを読み、どのような作戦で臨むか、ということを考えます。
私の場合、コミュニケに一番入れたかったテーマが「原子力発電所の安全性の向上」だったので、これをどうやったら入れられるかなと考えていました。
1) 問題点
一番の問題になったのが、全体のPriority Listの中で、Nuclear Energyが一番下にあった点です。今回のサミットでは、Priority Listの上から話し合われて行き、時間がなくなった場合、優先順位の低いトピックは切る、ということになっていました。
そこで他国のPriority Listを確認したところ、ほとんどの国がNuclear EnergyをPriority Listの一番下に入れていたのですが、Mitigation to Climate Changeを一番上の優先事項に入れていたことに気がつきました。
そのため、Nuclear Energyが取り扱われないときに備えて、「CO2を出さないエネルギーとしての原子力発電」という文脈で、Mitigation to Climate Changeの中に原子力発電所について入れた上で、安全性の向上について触れようと思いました。
2) 根回し
おそらく日本だけがこれをいってもしょうがないと思ったので、Position paperを読んで、私と同じスタンスである、イギリス、EU、中国、韓国に向けてメッセージを事前に送りました。(おそらくカナダやアメリカも同じスタンスだったとは思うのですが、彼らはPosition Paperをポストしていませんでした。)
そんなわけで、皆に”We encourage the continuing use of nuclear energy in a peaceful way while improving its safety.”みたいな内容のことを入れようと思うのだけれどどう思う?ということを伝え、皆からのアドバイスをお願いしました。すると、EU代表の方から、おそらく”encourage”という言葉を使うとドイツが反対するので、”If nuclear energy is to be used or developed by certain countries”という文章をいれると良い、というアドバイスをもらいました。
またイギリス代表からは、「10トピック必ず全て話すから、Mitigationでいれる必要はない。」というコメントをもらいました。
○Summit本番
さて、6月24日から28日にかけてサミットが行われました。今回の会場は、天文台で有名なGreenwichにある、なんと世界遺産のOld Navy Royal Collegeで行われました。スケジュールは以下のような感じです。
初日 Registration, Opening Ceremony, Networking
2日目 Negotiation
3日目 Explore London/ Informal Negotiation
4日目 Negotiation
5日目 Closing Ceremony
2日目と4日目に行われるNegotiationでは、各パネルに分かれて、朝の9時から夜の17時まで部屋にこもってみっちり交渉を行いました。
3日目のInformal Negotiationでは、パネルごとに街に出かけて行って、観光をしながらよりフランクな雰囲気のもと意見交換を行うというものでした。
○Negotiation
Negotiationでは、まず各国が2分以内にそのトピックに関するスタンス/政策提言を発表した後、それぞれの提言に関する議論を行い、コミュニケの文書作成をしていきました。
○2日目: Negotiation 1回目
私のパネルに限らず、やはりどのパネルでも主導権を握ったのは、アメリカ・カナダ・イギリスといった英語圏の国々でした。私も、彼らのように英語を話すことができないので、特に反対するところがなければ、彼らがウラウラ進めているのを横で聞いているだけでした。
また、いかんせん、エネルギー・気候変動系の準備ばかりしていたので、(Theme 2にあたります)、Theme1のResource Managementに関してはあまり知識がありませんでした。そのため、基本的に意味のわからない提案をしていない以外はあえて発言をしませんでした…というより恥ずかしながら発言するだけの知識が自分に備わっていませんでした。
○ワーディングの裏の意味
ただし、それだとつまらないと思ったので、Theme1 Topic5のMarine Securityについて、アフリカ連合がEEZの強化と、違法漁業に関しての罰の強化について訴えたとき、「ああ、これは日本の捕鯨を守るチャンスかも。」ととっさに思って、「harsher penalties on illegal fishingのところに関して意見があります。国内での違法漁業に関しては、penalties at national level足して、国際的な違法漁業のところでは、for the parties that signed treatiesって入れてもらってもいいですか?」と聞きました。
いくつかの国が、おそらく私が捕鯨の権利を守ろうとしているのに気がつきニヤっとして私の方を見ていました。
が、「その文言を入れてくれなければ”harsher penalties on illegal fishing”のコミュニケ入れには賛同できない」とちょっと強硬な姿勢をとったのでコンセンサスがとれました。オーストラリアがいなくてよかったなあと思いました。
このように、ちょっとしたワーディングに実は裏の意味があること、そのワーディングの真意に関しては、ファイナルコミュニケだけを読んだだけでは推し量りがたいことを感じました。
○地域間の差
また、地域間でのフォーカスの差を感じました。[ヨーロッパ、アメリカ、カナダ]と[インドネシア、サウスアフリカ]などでは、全く推しているものが違ったので、例えばREDDやREDD plusといった用語を説明する必要が出てくるなど、基礎知識のばらつきのせいで、交渉に時間がかかったりしました。(自分が知らない事柄に関しては賛成も反対もできませんからね。)トピックリストを見ていただければわかるかと思いますが、かなり広範囲な分野を扱ったので、個人個人の事前知識の差がかなり顕著にあらわれたかなと思いました。
○4日目 Negotiation 2回目
4日目、2回目の交渉です。
まずは、2日目に合意した内容に関してGoogle docsで共有し、全員でファイナルコミュニケ用のワーディングを考え始めました。
しかしその議論にすごく時間がかかったこと、また、Theme 2 の1トピック目であるMitigation of Climate Changeの話し合いがかなり荒れたことから、午前中の休み時間(11:00-11:20)前には、私が一番話し合いたかった、Topic5 Nuclear Energyについて話し合う時間がなくなるんじゃないかフラグが立ち始めました。
休み時間の間にイギリスの議長がやってきて、
「気づいてると思うけど、Nuclear Energyについて深い議論をする時間がなくなってしまった。けれど、事前にメッセージを送ってくれたように、あなたがNuclear Safetyをコミュニケに載せたいことは知っている。だから、あなたがプロポーザルという形で、コミュニケに載せたい文言を書いてくれないかしら?それから全員で採決をとって、全会一致でokだったらそのままそれをコミュニケに載せる。もしそうでなかったら、申し訳ないけれど、これはトピックごと切る。時間の都合上ディスカッションも認めない。これでいいかしら?」
という風に聞かれました。
他のパネルではざくざくトピックが切られて行く中、このような提案をイギリスがしてくれたのは、事前にメッセージを送っていたからだなあと、根回しの重要性を感じました。いかんせんイギリスとしても、事前のメッセージで、「nuclear energyについて話し合う時間があるから、mitigation to climate changeの中に入れる必要はない」と言ってしまった以上、取り扱わざるをえませんよね。
そんなわけで、急いで文言作りを始めました。
事前にEUの代表からもらったアドバイスをもとに、プロポーザルを作成したのですが、イギリスの議長にもっと短くしろ、と言われたので、以下のような文書で採決をとることになりました。
If nuclear energy is to be used and developed by certain countries, G8 countries agree that security and safety must be the priority. We urge each nation to implement IAEA Action Plan on nuclear safety in order to apply the lessons learned from the Fukushima Daiichi Nuclear Accident in 2011. The new regulation should apply latest scientific and technical knowledge on safety issues to existing facilities.
The international community learns from the Fukushima Daiichi Nuclear Accident in 2011 that the nuclear industry should take “the unexpected” into consideration in order to deal with the severe accident. Therefore, G8 countries urge the international community to strengthen crisis management as well.
ポイントは2点あって、1つ目が安全性の向上。もう1つが万が一の時に備えての危機管理対策でした。実際もっと色々あったのですが、一発でコンセンサスをとらなければならなかったので、かなり日本としてはボトムラインの政策提言をしました。
○最後の根回し
時間の都合上、午後の休憩時間/national delegation meeting(15:30-16:30)の間に各国代表が私のプロポーザルを読み、その後に採決をとろうということになりました。
それまでの議論の具合から、どう考えても、文言をポンと出して全員が同意するとは思わなかったので、休憩の間に、パネルの全員に一人一人文言を見せて、「もし質問・提案・反対があれば、今言ってほしい。ワーディングを変えるから。」と伝えました。
私ともとから同じスタンスである、イギリス, EU, 中国、韓国、フランス、アメリカ、IEA、サウスアフリカからはそのままOKがでました。
インドネシアから、「原発についてよく知らないから、この文章が何を意味するのか教えてくれ」と言われたので説明をし、(彼女はひたすら質問をしていて交渉をゆっくり進めていたので、一番はじめに声をかけました。)
アフリカ連合からは、「safety, securityにwaste managementを加えてほしい」と言われたので、「素晴らしい提案だけれど、今回はsafetyに絞りたいので、これで納得してほしい」と説得をし、(waste managementを足すと、原発に頼っている国が反対すると思ったので。)
メキシコからは、「コミュニケではこれでいいけど、日本の技術をもっと推進して、原発のない世界にしてほしい。」と言われたので、「頑張ります」と答え、
アルゼンチンからは、「原発ゼロの世界にしたい」と言われたので、「突然その提案をして、全会一致でokが出るのは難しい」と思ったので、「素晴らしい提案だと思うから、私の提案の下にアルゼンチンの提案として載せてほしい。」といって逃げ、
ドイツからは、「本当は反対したいけど、まあしょうがない」と言われ、
イタリアからは、「Facebookでちょっと今忙しい」と言われた後に、「僕のPosition paper読んだらわかると思うけれど、イタリアとしては原発は一時的な解決策にすぎない、ということを押したい」と言われたので、「その通りだけれど、現状を考えると安全性の向上が第一の課題だと思う。」と言いました。
一番反対したのがカナダで、「この一番始めの文章(“If nuclear energy is to be used and developed by certain countries,”)は、原発を利用している国に対する否定的なニュアンスがあるのでこれには賛成できない。あと2パラグラフ目も、まるで今は危機管理対策ができていないようだ。」と言われたので、「じゃあどの文章なら賛成できるのか」と聞き、カナダと話し合って、ワーディングをかえました。事前の交渉の様子からも、英語圏の国を敵に回すと面倒だと思ったので、カナダには特に気を配ったというのもあります。
そしてできたのが以下の文章です。
We agree that security and safety must be a priority for countries using nuclear energy. We urge each nation to ensure that all operators implement the IAEA Action Plan on nuclear safety in order to apply the lessons learned from the Fukushima Daiichi Nuclear Accident in 2011. The regulation should follow the latest scientific and technological knowledge, and be updated regularly. Finally, we urge the countries using nuclear energy to adopt the most advanced technology and to have in place a robust crisis management plan.
またもや文章がかわったので、全員にまわり直し、OKをとりました。
○いざ決議
休み時間が終わり、いよいよ投票です。
流石にこれは通るのではないかと思い、安心していたのですが、いざ決議になると突然皆がディスカッションを始めました。なんでやねん。
とにもかくにも、イタリアやらアルゼンチンがゴネ始めたので、「エネルギーミックスは各国が各国で決めるべきものだ。今原発に頼っている国もあるのだから、その上で今私たちが最低限合意をとるべきなのは、安全性の向上だ。」ということを言い、okをもらいました。
Chairが、「これ以上この議論に関して話し合う時間はありません。最後の投票を行います!」と言い、「このプロポーザルに反対の国は手を挙げなさい。」と言いました。
すると。
突然。
ドイツが手を挙げました。
「えーーーーお前今まで黙ってたじゃん….! 」
とびっくりしました。あまりにびっくりしたので、そのままドイツのところまで言って、「どういうことなのか説明してくれ。」と言ったのですが、ただ首を振るばかりで、イギリスの議長にも「ちょっとドイツと2人で話させてくれ。」と言ったのですが、「これは既に決まったことです。コンセンサスに至らなかったので、このトピックは削除です。」と言われてしまいました。
○退室
これ以上何をしても仕方がないと思ったのですが、こんなおかしいことないよと怒りがこみあげたので、パソコンをパーンと机において、「信じられない」というようなジェスチャーをしながら退室しました。アメリカのドラマみたいですね。
…そうなんです、議論中にも関わらず、私は部屋を出たのです。
決してその後の議論を放棄しようと思ったのではなく、流石にびっくりしたので、少しだけ部屋を出ようと思っていたのですが、いざ部屋を出てみて、
「…ん?私今何した?...部屋…でちゃった?」
と我に返りました。
が、今更帰るわけにもいかなかったので、とりあえず散歩し始めました。
自分が今まで一番時間をかけてきて、自分の中でも色々葛藤があったトピックなだけに、完全に削除されるのが悲しかったというのが大きく、とりあえず涙がとまらなかったので、それが落ち着くまでもうちょっと外にいようと思いました。
とりあえず大学一周してから近くに戻ってきたら、たまたまイギリスの議長が部屋を出てきて、私が泣いているのを目撃しました。
「あ、泣いちゃってるどうしようやばい。」
という表情をしているのがわかりました。
ひたすらAre you ok? と言われたので、”I’m fine. I just need some time to collect myself.”とか言ってまたその場を去り、なんかもうやけだったのでテムズ川沿いを歩きながら、泣きながら飛んでいるカラスなんかを眺めてました。ただの不審者です。
私がそうして不審な行動をとっている間、色々と大事になっていたようで、各国のシェルパがよばれるわ、私の捜索兼説得にらカナダが出てくるわで、カオスでした。
○コミュニケに入る
そんなわけで、シェルパの協力もあり、意見が両極端にあった、カナダとドイツが妥協案を見いだし、もう一度全員で採決をとることになりました。
議長: “Anybody objects?”
“….”
議長: “okay, this proposal has been approved.”
と言われ、結果的に以下のような文言がファイナルコミュニケに載ることになりました。
The Y8 recognizes that there are international concerns surrounding reactive-mining, nuclear power plant-construction and waste-management. We agree that security and safety must be a priority for countries using nuclear energy. We urge each nation to ensure that all operators implement the IAEA Action Plan on nuclear safety in order to apply the lessons learned from the Fukushima Daiichi Nuclear Accident in 2011. The regulation should follow the latest scientific and technological knowledge, and be updated regularly. Finally, we urge the countries using nuclear energy to adopt the most advanced technology and to have in place a robust crisis management plan.
かなりの博打でしたが、結果オーライですね。
○反響
覚悟の上でしたが、もちろん反響も大きかったです。プレスの部屋でもかなり話題になったみたいで、
その後全く知らない人何人からか、
「君があの有名な日本のネルギー気候変動大臣か。」というように話しかけられました。
もちろん覚悟はしていたのですが、肯定的、否定的、色々なコメントをいただきました。
一番多かったのは、なぜ福島を経験した日本が、原発ゼロを推し薦めないのか意味がわからん、ということでした。実際私もそれが理想論だと思います。しかし、事前の準備で色々な方のお話を伺う中で、日本のエネルギーの現状や、日本の産業の未来を考える上でもそれは難しいということがわかりましたし、各国のエネルギー事情を見ても、原発ゼロという姿勢を押し出してしまっては、コンセンサスに至れず、トピック自体が切られてしまうとも思いました。そのため、ボトムラインとして、安全性の向上という文言をどうしてもいれたかった、という説明をしました。
○反省
今回の大きな反省は自分と事前準備の段階で、自分と反対意見を持つ国に根回しをしておかなかったことです。もし事前にいっておけば、当日このような議論が行われることもなかったはずです。
また、もう少し事前から話し合っておけば、より革新的な案をいれることができたかもしれません。私自身、日本の政府の立場などを考えてしまい、ユースならではの政策を提言することができませんでした。結果、コミュニケに載せるのに色々ドラマはありましたが、コミュニケだけを見ると実際の政府との立場との差はなく、何のためのユースの会議なの?という疑問が残ってしまう結果となりました。
○総括
そんなわけで全ての議論が終わりました。
1) 参加した意義
①政治分野への招待
私は恥ずかしながらあまり政治に熱心なタイプではなかったのですが、今回自分のトピックの調査を通じてエネルギー気候変動系には少しは詳しくなりましたし、他の代表団との話し合いを通じて、外務、法務、防衛や開発などの分野についても見識が深まりました。
それと同時に、海外の学生から質問をされることによって、自分が日本の現状について全くわかっていなかったということがわかり、これからも政治について調べていこうと思いました。
②交渉の難しさ
上につらつらと書いてきましたが、様々な国が集まる中での交渉の難しさを感じました。それぞれの国にはそれぞれの事情があるわけで、一見すばらしい案に見えても、それを反対されることがあります。また、自分としても、一つ一つの提案を丁寧に吟味して、それが日本の国益に反するものではないか、ということを考えなくてはいけなく、表面上の意味だけで物事を考えてはいけない、ということを学びました。今までニュースとかで、首脳会談の成果として「今後も協力を引き続きして行く」というような文言を聞いていて、「なんだそれ」と思っていましたが、実際色々な国の思惑が混じる中で合意に至ることがどれだけ大変か、ということを学びました。
また、何よりも、事前での準備の大切さを感じました。事前に自分のテーマに関して調べるのと同時に、他国との協力体制を進めておかなければ、特に私たちのようなノンネイティブの国が議論で発言権をもつのは難しいなと思いました。
③出会い
今回は多くの出会いがありました。日本の代表団も、会議で出会った他の人々も、すばらしい人ばかりでした。やっぱりこういう会議に参加する一番の意義はこのような出会いにあると思います。
特に、私はアメリカに留学している関係から、外国の友達というとアメリカ人が多かったのですが、今回はヨーロッパや他のアジア諸国、アフリカの人々と出会い、真面目に議論をすることもあれば、フランクに話す機会もありました。自分とは全く違う価値観に触れることができ、とても刺激的な1週間を過ごすことができました。
最近色々なプログラムに参加してどんどん知り合いが増えて行く中で思うのですが、やっぱり世界が広がるにつれて、全員とずっと連絡をとりあっていくことは難しいと思います。ですが、私はこれから会う人に、「もう会うことはないかもしれないけれど、会えてよかった。」と言われるような人になりたいなあ、なんて思いました。
2) 今後のG8 youth summitの展望
私はすばらしい経験をサミットでさせてもらったので、ぜひとも皆さんにもこの経験を味わっていただきたいです!
また、3年後には日本開催ということもありますので、自分が代表団の年だけでなく、ずっとサミットに関わっていただけるような方の応募をお待ちしております!私もOCの一人として、来年の代表団を全力でサポートさせていただきます!
少しでも興味のおありの方は、ぜひG8 Youth Summit Japanの公式サイト(http://g8ysjapan.org/index.html)をご覧ください!今年の成果文書やファイナルコミュニケも随時アップされる予定なので、ぜひご確認ください:D
また、8月10日か11日に都内で今年の代表団による報告会も開催される予定ですので、ぜひいらしてください。
では!
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◇ 2013年5月 ウィリアムズの学生生活~海へ漕ぎ出す勇気~
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◇ 2013年5月 ウィリアムズの学生生活~海へ漕ぎ出す勇気~
もう6月半ばですが5月号です! (ごめんなさい!)
アメリカの大学では5月の終わり頃から8月の終わりまでがっつり夏休みです!!万歳!
さてMysticでは、人間関係の面でも、社会問題の面でも,自分が知らなかった、知りたくなかった世界について触れる機会が多かったです。今月はそのことについてStorytimeとTutorialの授業の2つを例にとって紹介させていただきたいと思います。
①Storytime
遥か昔の記事で一度紹介させていただいたのですが、Williamsでは毎週日曜日夜9時に学内中心の建物で、Storytimeというものが開催されます。これは、毎週1人の学生が、15分間を目処に自分の経験を皆にシェアする、という企画です。担当の学生が話している15分間の間は、聴衆は静かにしなくてはならず、(そうでない限り、アメリカ人の学生は相手の話を遮ってホイホイ質問してしまうので)発表の後に30分程度の質疑応答タイムがあります。自分の友達の話は必ず聞きにいくようにしていますが、自分が全く知らない人でも、ふらっと立ち寄ることもしばしばあります。
そんなわけで、Mysticでも、Williams式のStorytimeをやろう!という話になり、(できるだけ)毎週日曜日の夜にStorytimeを開催することになりました。
○重い話
お姉さんが18歳で妊娠したときの話、トラックチームでの恩師がガンで亡くなってしまった話、両親が離婚してしまった時の話、家がハリケーンでなくなってしまったときの話、痩せなければいけないというプレッシャーから鬱病になったときの話、両親を10歳の時に火事でなくしてしまった話などなど…
…こうやって書いてみるとすごく重たい話が多いですね。
正直、こういう話を聞いて戸惑ってしまうことが多かったです。例えば私の両親は離婚をしていませんので、「両親が離婚をした。」と言われると、どう対応していいのかわからなくなってしまいます。そういう経験をした人にしかわからない苦しみっていうのがあると思いますし、そこに私が「その気持ちよくわかる」なんて言っても、すごく偽善的に聞こえて、何も言えなくなってしまうのです。かといって、「そうなんだ。」という風に受け答えても、なんだか冷たい感じがしますし…。
なので、私自信、友達が打ち明けてくれた勇気に感謝する一方、友達が抱える「闇の部分」(とでもいいましょうか…)に対して、少し戸惑ってしまうことがあったのも事実です。
○指名
しかし、実際に自分でstorytimeをやってみることで、少し見方がかわりました。
このMystic版StorytimeはアレックスというWilliams3年生の友達が運営していて、彼女が適当に次の週に話す人を指名します。
そんなわけでとある日、私もアレックスに指名されました。まさか自分に来ることはないと思っていたのでもうハラハラです。
Storytimeを行うにあたって、今までの自分の人生を振り返ってみた訳ですが、そのおかげで、自分自身がどんなことを考えて、どんな風な人生を歩んできたのかを振り返る、とてもいい経験になりました。全ては話しませんが、こんな感じで話し始めてみました。
私は小さいときから予定を立てるのが大好きな人間です。明日の朝何をしようかな、という短期的なものから、将来何になろうか、という長期的なものまで、色々と予定を立てています。なぜならば、何か自分が目指すものがないと地に足がつかない感じがしてとても不安になるからです。
今振り返ってみると、私が小さいときから立てていた長期的な人生計画は、2回、大きく変わりました。今回のStorytimeでは、それがどんな風に変わったのか、どうして変わったのか、ということについてシェアしてみたいと思います。
…
みたいな感じで始めました。
詳細は省略しますが、概要は:
勉強が大の嫌いで、人生はただ楽しければいい、将来は親のスネをかじって生きようと思っていた小学校中学校時代の人生プラン。
姉の一言をきっかけに奮起して高校受験をし、そのあとは東大文一→法学部→弁護士なんていう、いわゆるエリートになろうとしていた高校時代の人生プラン。
これまた姉の一言をきっかけに留学をしている今。
今の私の人生プランは真っ白ですが、不思議なことに、今まで不安にしか思えなかった白から、今は希望を感じています。
といった感じでした。
すごく嬉しかったのは、その週はかなり忙しい週だったにも関わらず、友達が質問をたくさんしてくれて、夜9時から始まったにも関わらず、気づいたら10時半になっていました。
終わった後にも、
「あのイントロすごくよかったよ」とか
「今日の話を聞いたから、あなたのことをもっとよく理解できるようになったわ」とか
「今までのstorytimeでもfavoriteだったよ。」というコメントを友達がしてくれました。
○友達の「闇」
自分がStorytimeをやったおかげで、少し、友達の「闇の部分」に関する認識も変わりました。
私は普段チャラチャラしているので、温室育ちと呼ばれることが多いのですが、正直なことを申しますと、小さいときにはなかなかのいじめを受けたこともありましたし、大学受験のときにはプレッシャーを感じたり、周りからの理解を得られず、(と、いうか、自分でも何をしてるのかもよくわからず)パニックしてしまうこともありました。
でも、そういうことを正直にMysticの友達に話した事で、なんだかすごく救われた気がするのです。人に話す事で、もう一度過去の自分に正直に向き合えたというか、なんというかふっきれた感じがありました。
アメリカの学生にとって、日本でのいじめがどんなものかであるとか、大学受験のプレッシャーがどんなものであるのか、ということはわからないと思います。ですが、それでも、聞いてくれる人がいる、ということはなんだか勇気づけられます。話した自分自身、別に完全に理解してくれるなんて思っていませんでしたし、この話をきちんと聞いてくれるだけで十分だ、と思っていました。
私もこれからは、友達がなにか打ち明けづらいことを打ち明けてくれたときには、無理にその気持ちを理解しようとしたり、話題をかえようとするのではなく、真摯に誠実に、その話に耳を傾けようと思いました。
○Storytimeをやってみて
私は日本にいたときには、あまり友達に自分の人生のことや自分の考えていることをシェアする機会はありませんでした。恥ずかしい話、自分について深く考えることもなく、なんとなく生きてきてしまった感じがありましたし、自分のことばかりで手一杯で、他の人のことを色々知って行こうという努力をしてこなかったように思います。
しかし、Mysticでは、お互いのことをよく知ろうという文化があるというか、22人という少ない人数で共同生活を行うために、お互いのことを嫌でもよく知ることになります。
この1学期間の共同生活を通して、私は今まで全く知らなかった考え方や生き方について触れることができました。もちろん知りたくなかったことも知ることがありましたが、それを知ったからこそ、今まで、「なんであいつがこんなことするのか理解できない!」と思っていたようなことも、「そうか。こういう考え方をする人だからこういうことをするんだな。」というように、同調はできないことも、理解をする、理解をするようにつとめるようになることができました。
○Tutorial
これと関連して、とある日のliteratureのディスカッションの授業で話し合ったことをお話します。
Literatureの授業は週2回で、1回はレクチャー、2回目は7人ずつのディスカッションを行います。
毎週本1冊を読むことが課題なのですが、メルヴィルの白鯨を読んだときには、文章が難解なこと、長編小説であることから、3回に分けて行われました。
この第2回で白鯨の第58章Britの最後の2パラグラフについて皆で話し合いました。
そのパラグラフはこちらです。
Consider the subtleness of the sea; how its most dreaded creatures glide under water, unapparent for the most part, and treacherously hidden beneath the loveliest tints of azure. Consider also the devilish brilliance and beauty of many of its most remorseless tribes, as the dainty embellished shape of many species of sharks. Consider, once more, the universal cannibalism of the sea; all whose creatures prey upon each other, carrying on eternal war since the world began.
Consider all this; and then turn to this green, gentle, and most docile earth; consider them both, the sea and the land; and do you not find a strange analogy to something in yourself? For as this appalling ocean surrounds the verdant land, so in the soul of man there lies one insular Tahiti, full of peace and joy, but encompassed by all the horrors of the half known life.
この章では、始めにピークォッド号の近くに大量に現れたBritとよばれる甲殻類と、それをただがばがば食べるセミクジラに関する叙述があります。そして謎なセグウェイのもと、最後の2パラグラフで、ナレーターであるイシュマエルが、海の恐ろしさについて語り、それとは対象的な陸での生活の穏やかさについて話しています。
ディスカッションでは先生が何か質問をするときもあれば、私たちが質問を用意することもありましたが、この日はただ
“Discuss”
という丸投げでした。
「え、そんな適当な。」
という空気が流れた後、私たちのグループでは主人公であるイシュマエル、(または作者であるメルヴィル)の読者へのメッセージについて話し合う流れになりました。
ルーシーがまず発言しました。
「この章だけを読むと、海の恐ろしさ、陸の平和さ、という対比から、イシュマエルは、穏やかな陸で過ごす人間は荒々しい海に出てはならない、というメッセージがあるように思える。」
先生が同意します。
「そうだね。陸にいる人間が海を見るだけならば、ここでメルヴィルが指摘しているように、海の表面は非常に穏やかであることが書いてあるもんね。わざわざおそろしい海に出て行く必要はない。」
しかしルーシーが続きます。
「ですが、前の章、確かleewardの章だったと思いますが、ここでイシュマエルは、海での生活の素晴らしさについて、まるで陸で生活する人間が知り得ない特権のように感じています。つまり、この章から今話し合っているBritの章までの間に、イシュマエルの海に対する見方というものが変わったということなのでしょうか?この2つの章の間にある叙述を鑑みても、私にはそう思えないのですが…」
先生が答えます。
「素晴らしい指摘だね。他の皆はどう思うかな?果たしてここでイシュマエルは、陸の人間に海に出た方がいいと思っているのか、それとも陸の人間は海には出ず、平和な陸の上で暮らした方がいいと思っているのか。」
こんな話をしている中で、フッと私の中で思い浮かんだ話がありました。
失楽園です。…唐突ですね。
アダムとイヴは、神様がつくった楽園から出ることは、神様にもう守られることのない、辛い世界に出て行くことだ、ということを知っていました。しかしそれでも二人は、自由と自律を求めて、楽園から外に出る事にしたのです。(私の理解・解釈の上では。)
その話をぼんやりと考えつつ、話が次に進んでしまいそうだったのでフンッと手を挙げて発言しました。普段のクラスと違い、7人しかいないグループディスカッションなので、少し頭の中でまだまとまっていないこともとりあえず発言しよう、という気になります。
「私はここの二つのパラグラフは、失楽園の話の中の蛇の誘惑と同じ働きをしているように思います。あえて、海での生活の大変さ、そこに出た者でしかわからないものをちらつかせることで、陸にいる人間に、「この海での生活を知らないまま,知らないふりをしたまま、ぬくぬくと過ごしていていいのか?」と問いかけているように思います。」
みたいなことを話しました。すると先生がまたコメントをしました。
「それは面白い解釈だね。そしてその視点は他の分野にも応用できることだ。例えば、この世の中は悲しいことで満ちている。私たちが一人では背負うことができないほどの多くの重い、悲しい出来事の『海』に私たちは囲われているんだ。私たちは、平和な『陸』の上で過ごしているのだ。特に僕らみたいなリベラルアーツの大学に通う人間は理想主義的になってしまいがちだよね。私たちはその『海』に対して、いつまでも無関心でいられるか?無関心でいていいのか?私たちにできることは何なのだろうか?知りたいような、知りたくないような、知ってしまったらもう心穏やかには暮らせなくなることもたくさんあるだろう。それでも皆は『海』へと漕ぎだす勇気はあるのだろうか?」
…もうなんて素敵なまとめ方をする先生なんだろう、と思いました。
やっぱりこの世の中には、私たちの普段の生活では意識することができないような、悲しい現実で溢れています。もちろん私たちがそれらを全て認知し、それらについていつも考えていることは不可能ですし、不必要でもあると思います。ですが、それを知りながら、私たちはそれについて知らないふりをして、「陸」での生活を続けるのでしょうか?
私たちはこのような海に漕ぎださないといけないのだと思います。漕ぎ出して、波に飲み込まれる事なく、海の荒々しさを体験した上で、また「陸」に戻ってくることが大事なのだと思います。同じ陸に生きる人間でも、「海」=「人間にとっての永遠の未開の地」の恐ろしさを知っている人間とそうでない人間は、全く違う生き方をすると思います。
…ちょっと仰々しい言葉を使って論点をぼかしてしまった感じがありますね…。つまり、私自身、この「海」が何であるのかを完全にはつかめていませんし、また永遠につかむ事ができないような気もします。だからこそ、人間は「海」に惹かれるのかもしれませんね。
皆さんは、危険を顧みず、「海」に漕ぎ出す勇気はあるでしょうか?
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◇ 2013年4月 ウィリアムズの学生生活~Marine Policy~
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◇ 2013年4月 ウィリアムズの学生生活~Marine Policy~
4月です!
4月といえば、はじまりの季節ですね。
このブログを書かせていただいてる関係で、何人かの高校生の方から日米どちらの大学に関しても質問を受けたり相談にのせていただいたりしたのですが!
たくさんの方から!
合格報告をいただきましたー!
皆さん、おめでとうございます!
このブログが、皆さんの背中を少しばかり押すきっかけになっていてくれていたら、とても嬉しいです。
○Marine Policy
さてさて、2月号ではフィールドワークについて書いてみたので、今月号では授業について書いていこうかなと思います。
普段は履修している4つの授業全てを少しずつ紹介していましたが、今回はMarine Policy の授業に絞って、がっつり紹介していきたいと思います。
①普段の授業、②Research Paper、③Moot Courtの三本立てです。
①普段の授業
○予習
授業はテーマ別で、(Coastal Management, Ocean Governance, Public Accessなど)毎回の授業の前にはそのテーマに沿った判例を4つから5つ読んでおくことが求められます。予習の段階で、それぞれの判例について、
1. Title of the case/ Date/ Name of the Court:
Citation or place where the opinion can be found:
2. Parties involved in the lawsuit:
3. Procedural History:
4. Facts:
5. Issue(s):
6. Holding and rule of law for which the case stands:
7. Reasoning of the court in coming to its conclusion:
8. Summary of Argument made by each side (optional):
をまとめたノートをつくることが先生から勧められています。
法律の文章って今まで読んできた文章とはちょっと違うこともあって、分量としては他の科目と比べてそれほど多くなくても、とてもとても時間がかかります。
そんなわけで私のハウス(今学期はシェアハウスをしています。)では、4人で毎回リーディングを分割して、授業前日の夜に各自がプレゼンをするようにしています。
曖昧な理解のもと発表するとがしがしつっこみが入ります。よく言われる話ですが、人に説明すること/人から質問を受けることを通してはじめてものごとが理解できるようになるので、授業の理解の上でも、教養という面においても非常に有意義です。
○授業
実際の授業では、
教授による法律のレクチャーが1時間、
判例をもとにしたディスカッションが1時間、
締めのアクティビティが1時間
あります。
教授はWilliams-Mysticの卒業生でもある、現役の弁護士の方です。弁護士業の合間を縫って授業を教えていらっしゃるために、授業は週1日、金曜日に3時間あります。
3時間です。
……
….3時間です!!
3時間って長いんじゃないかと思われませんか。(私は思います。)
アメリカの大学では、60分の授業週3回または75分の授業週2回が普通なので、3時間の授業を一気にやるのはなかなか強行手段です。
もちろんぶっ通しでは生徒の集中力が切れることは目に見えているので、授業が1時間半終わった後にはスナックの時間があります。
スナックでは、担当のハウス(学生は22人いて、5つの「ハウス」に分かれて住んでます。)がその日のリーディングを解釈したスナックをクラス全員分つくることになっています。全員の前で自分たちのつくったスナックの説明をします。(FacebookのWilliams Mystic Maritime StudiesのページにKemble Houseのつくったスナックとその説明をしたスキットがあがっているので是非チェックしてみてください!)
○締めのアクティビティ
毎回変わりますが、この前漁業規制がテーマのときに行われたものを紹介させていただきます。この日は4-5人組に分けられて、とある町のケースをもとに、漁師、環境保護団体代表、市長、ビジネスマンの役を与えられました。各グループごとにそれぞれの立場でロールプレイをした上で、全員が妥協できる政策を見つけなさい、というお題でした。最後は全員の前での政策発表をし、どのグループの政策が一番妥当か、ということを投票しました。ただ単に法律を解釈するだけではなく、それをもとに実際に政策をつくる、というところまで授業を持っていくところは素晴らしいなあ、と思います。
②Research Paper
Short Paperはなく、ペーパーは15ページ-20ページのリサーチペーパーのみです。
このリサーチペーパーでは、海洋法に関するテーマを選び、対立する議論を調べた上で、この問題がどのように解決されるべきか?ということに関して自分の意見を書きます。
Introduction, background, factual/procedural history, rules/laws, analysis, conclusion という風に書くように指示が与えられているので、かなりカチっとした論文になるかなと思います。
ではでは私のペーパーについて紹介したいと思います。
○トピック決め: JTMD
(少し話がそれるようですが、結果的に戻るのでご辛抱ください…)
さてさて、このPolicyのペーパーのトピック決めの前に、Scienceの授業のリサーチペーパーのトピック決めが行われました。(今回とっている授業では4つとも最後に大きなリサーチペーパーがあります。)Scienceのペーパーのトピックを聞くためにEcologyのCarlton教授のオフィスに行ったときに、なんと青森県三沢市から震災のときに流されたドックの破片を発見しました。(ちなみにCarlton教授はEcology界でその名を知らない人がいないほどの有名な教授です。)教授に聞いたところ、津波の際に海に流された船やドックなどが海流と風の影響でなんと太平洋を渡って今はアメリカ西海岸にたどりついている、とのこと。さらにさらに教授は今JTMD(Japan Tsunami Marine Debris, いわゆる震災がれき)に付着したが日本のInvasive Speciesの研究チームのリーダーだとのこと。(ちなみにこの教授はTaxonomyの権威で、どんな動物でも見ただけで、一般名とラテン名をスラスラと言えちゃいます。この前レストランで頼んだ貝について質問したら、30分間その貝の生態について話されました。わけわかりません。)
そんな感じで教授が関わっている色々なプロジェクトを聞いている間にすごくJTMDに興味がわいたので、ScienceのプロジェクトでJTMDついて扱いたいなと思ったのですが、ロジスティックの都合上、難しいということになりました。そこで、科学でできないならPolicyで扱えばいいじゃんと思い、PolicyのテーマをJTMDにすることにしました。
○Phone Call
このPolicyペーパーを書くときに絶対におこなわなくては行けないものにPhone Callがあります。対立する意見をもつ人のどちらにも電話をして、その人たちの意見を聞かなければいけないのです。
普段はボディーランゲージで乗り切っている佐久間としては、電話なんて嫌だ直接会って話を聞きたいなあ、どうにかphone callを避ける手はないか、と思っていました。
<Personal Interview>
そして巡ってきたチャンス。
実はこのトピック決めはPacific North West(オレゴン州ワシントン州あたりをバンでぐるんぐるんまわるフィールドトリップをしました。)に行く前日に行われました。そのため、旅行中に誰かエキスパートに会えるかもしれない!と思い、旅行直前に教授にメールをして、州の役人の方と科学者の方3人にアポイントメントをとってもらいました。(---@state.govという、@の後にstateが入っている人にメールを送ったときにはとてもとても緊張したのを覚えています。)
かなり融通を聞かせてもらい、旅行期間中に皆が自由時間があるときにサクっと車で研究施設まで送ってもらい、色々な方にインタビューをさせていただきました。
このとき感動したのは、皆さん大変忙しいにも関わらず、私のような一学生のために喜んで時間を割いて説明をしてくださったことです。Oregon Department of Fisheries and Wildlife のRumrill博士にいたっては、研究室で冷凍されているJTMDとそれに附属した日本の在来種を持ってきてくださったり、他の学生も近くにいると言ったら、なんとその貴重なサンプルを持って颯爽とバンに乗り、皆のためにミニレクチャーを行ってくださったりしました。
(余談)
…結局personal interview後にも質問がたくさん出たので、EPAやらNOAAやらその他諸々の機関の偉い人たちになんだかんだ電話をせざるをえなくなったのも事実だったりします。いい人もいたり、あまりフレンドリーではない人もいましたが、とても良い経験になりました。このおかげで電話をするのに物怖じをしなくなりました。
(余談その2) JTMD翻訳
Rumrill教授とお話しているときに、「そういえばこれちょっと訳してくれない?」と言われて、震災がれきに書かれた日本語の訳をしました。(「いけす使用可能場所以外でいけすを使用してはいけません」と書かれていました。「いけす」の英語がわからず、(日本語でもうまく説明できません。)電子辞書を持ち歩いていた自分に感動しました。)
それから色々ありまして、いまや震災がれきに書かれた日本語の翻訳をしています。はじめは新たに流された震災がれきのを訳すくらいだったのですが、教授から「めんどくさいから今までのものも全部やってほしい。」といわれ、震災がれきに関する全ての写真をいただきました。文字通り全てなので、震災がれきに附属した生物の写真、その解体作業の様子、笑顔でハイキングに出かける科学者の皆さんの写真、震災がれきを神からの贈り物として祝っているハワイの人々の写真など、なかなか興味深い写真が盛りだくさんです。働く時間でお金が決まるのでかなりまじめにやっていたら、「Mystic後にも是非続けてくれたまえ」とのお言葉をいただきました。やりました。
さらにその関係で、教授と建築関係のエキスパートとのメールを転送してもらったり、なんだかよくわからないグラフを送ってもらったり、まだ開かれていないホームページのアクセス権を持っていたり、なんだかすごいことになっています。
Pacific North West旅行中に色々な方に会えたのも、震災がれきの翻訳をやるようになったのも、なんだかよくわからないすごいことになってるのも、全て人とのつながりによるものでした。コネクションといえば聞こえは悪いですが、個人的には、教授とこのように強いコネクションができるのはリベラルアーツの強みだと思います。
○Draft
つい最近PaperのDraftを提出したのですが、計5716words、22ページになりました。いやはや長き戦いでした…。教授からのコメントがそのうちどかーんと返されることになります。
③Moot Court
3月の終わりにはMoot Court(模擬裁判)が行われました。
「Moot Courtってどういう意味なんだろう。」なんて思いながらほんわか過ごしていたのですが、(模擬裁判みたいな意味だと思います。)Moot Courtの1週間前の金曜日に、「来週は月曜日と水曜日の夜7時から10時までPrep Sessionをやるから読んできてね。」というメモとともに、Moot Court Packetなるものが配られました。
Packetには、今回のMoot courtで扱う判例と、Federalistというジャーナルの論文がいくつかと、Study Questionsなるものが入っていました。
(1989年の “Edward B. BELL, et al.v. TOWN OF WELLS, et al.”という判例がテーマでした。こちらに全文が載っているので興味のある方はぜひ読んでみてください。
http://scholar.google.com/scholar_case?case=4144146086181372332&hl=en&as_sdt=2&as_vis=1&oi=scholarr) )
②準備期間
A. Prep Session 1
月曜日の夜。先生が友人の弁護士の方を招いてGovernmentとLandownersに分かれて、普段の授業のように、先生によるレクチャーとディスカッションが行われました。
この日にロジスティックスが発表されて、
Opener (1人): government側の主張の要約
Argument 1 (3人): 今回の判例において重視されるべき法律の確定(common law, statutory, or custom law)
Argument 2 (3人): public trustかprivate propertyのどちらがこの件においては重要か
Argument 3 (3人): このケースを法廷で話し合うことの意義
Closer (1人) : government側の主張の要約とlandowners側への反駁
で、分かれることになりました。
この日は教授にズタボロに批判され、皆で心折れたまま、夜家に帰り、皆でカップケーキを食べたのを覚えています。
B. Government Meeting
火曜日の夜7時半にGovernmentの学生だけで一度集まって、誰が何をやるのか、という話し合いをしました。
この日私はArgument1をやることになり、水曜日にあるprep session 2までに誰がどの部分を担当するのか、ということを話し合ってくるように、ということになりました。
C. Argument 1
Argument1の他の2人となかなか予定をあわせることができず、朝の7時半に集まって、誰がどんなことをいうか、という話し合いをしました。
朝一ということもありましたし、皆機嫌悪いわやる気はないわヨーグルト食べてるわでなかなか無意味なミーティングとなってしまいました。グループワークの難しさを学んだミーティングでした。
D. Prep Session 2
自分が一体何を言えばいいのかよくわからないまま、マッハで原稿を仕上げてPrep Session 2.
この日は教授を裁判長として、自分のプレゼンをすることになります。
Openerが終わりいよいよArgument 1の番です。
このプレゼンで大変なのは、気持ちよく5分間プレゼンができるわけではなく、プレゼンの最中に”Excuse me, counselor.”という言葉でピシャッと切られ、ゴリゴリザクザク質問をされるところです。
私のプレゼンは主に2点ありました。1点目はColonial Ordinanceで定められているFishing Fowling Navigationが実質的な意味を失っているため、Colonial Ordinanceの改訂が必要だ、ということ、2点目は、Intertidal Lands Actはその改訂の例であるということでした。この2点を明確にした上で、Landowners側の議論であろうIntertidal Lands Actの違憲性への反駁、という感じに議論を持っていこうと思って話し始めました。
そして開始1分後にやっぱり来た”Excuse me, Counselor”のお言葉。
Intertidal Lands Actで定められている”recreation”という言葉の意味についてめちゃめちゃ追究されて、「私のポイントはそこじゃないんだー」と思いながら大分的外れな解答を延々と喋り、”TIME UP”というお言葉をいただきました。
また細かい言語の問題も色々と指摘されて、法律って難しいや☆なんて思ってました。
まあこれは別に良い練習になったな、ということでいいのですが、問題だったのはその後のArgument2.
なんとほとんどの議論が我々Argument 1の議論とかぶっていたのです…
Argument 1と2の事前コミュニケーション不足から生じてしまった問題でした。
そして“Hey, I am listening to the same argument again and again.”という教授のコメント。
同じことを繰り返すことは許されていないため、金曜日の本番までにまた話し合い、ということになりました。水曜日の夜11時のことでした。
①Argument 1&Argument 2 meeting
木曜日のお昼1時。Argument 1と2、6人でのミーティングが行われました。このときは、全員で自分たちが発表した内容を書き出し、それをうまく分担しようということになったのですが、議論が白熱し、ついに2時間突破。穏やかに始まったはずのミーティングだったのですが、もはやカオス。私もせっかく書き上げた意見が他の人にとられてしまって、このやろう、なんて思ってたりもしました。お互いに、「なんでお互いのことが嫌いになるミーティングなんてしてるんだろうね。」という疑問を密かに持ちながら、ミーティングを続けていました。
そしてお昼の3時。私はscienceの授業のresearchでイソギンチャクの研究をしており、3時はお世話をしている60匹超のイソギンチャクに色々なえさを与えたり、水をかえてあげたり、basal diameterを計るお時間。リサーチのパートナーがすごい顔で部屋の外から私を見ていたので、…have a great day!とか言いながら、そそくさと教室からフェードアウトしました。
②Government Prep Session 2
そして夜にはgovernment側の生徒だけで集まってもう一回run through. ここでも問題発生です。
いざ自分の発表の番。
水曜日のセッションのときには全ての原稿をタイプして持っていったのですが、今回はbullet pointに落とし込んで話しました。
すると。
ム、思ったように言語が出てこない。
直前でわちゃわちゃ議論をかえたので、自分でもわけのわからないことを喋ってしまいました。
しょんぼりしながら席について、argument 2の人の発表をぼんやりと聞いていたときに、この1週間の色々な修羅場が走馬灯のように頭の中を駆け巡り始めました。
ミーティング長かったな。
皆が話している英語、よくわかんなかったな。
色々細かい英語のところ直されちゃったな。
せっかく自分で書き上げた議論も他の人にとられたしな。
ハア。
ヒイ。
フウ。
こんなときに味噌汁があればな。
なんて思っていたら、気づいたら目がうるうるしていました。
ただただ無言で涙を流しながら話を聞いている私を見て、
皆もソワソワし始めて、なんで美帆泣いてんの?みたいな雰囲気がながれ、
友達から”Baby, are you alright?”なんていうtextが送られてきたりしました。
とりあえず練習が夜10時頃に終わりましたが、私はかなり焦っていました。
原稿をまたもや書き直すことになったので、お昼にカオスなミーティングを一緒に行った友達に、「原稿書き上がったら見てもらってもいい?と聞いたところ。」いいよ!との一言。
自分の原稿書き直しができる前に、私の英文を全部読んでくれて、練習にもつきあってくれました。練習のときに英語につまったときには、
「とりあえず原稿おいて、私に説明する感じで話してみ。」
とアドバイスをもらったので、原稿をポイして話してみたりもしました。
ミーティングのときは多少攻撃的だったけれど、それは人格批判ではなく、議論に対する意見だったんだな、なんだこいつやっぱいいやつだな、なんて思いました。
②Moot Court本番
ついに来ましたMoot Court本番。
お母さんに送ってもらったかっこいいスーツ(あまりのかっこよさに友達に奪われるところでした。NOと言えるようになりました。)を来て、いざ出陣。
今回はアメリカに12しかないCircuit Courtの1つの裁判所の裁判長(とりあえずものすごい人です。)としてお迎えしての模擬裁判です。Mystic卒業生の弁護士の方のお知り合いの方らしいです。人のつながりってすごい。
私の番が来て、あれほど長い時間をかけて原稿を書いたのに、始めの5文くらいを読んだところで、
“Excuse me, counselor.”
の一言。
ヤーメテーーーーー!
と思ったのですが、実際に聞かれたのは、prep sessionで突っ込まれた”recreation”の定義。
Government側に座っているみんなに向かってニヤリとして、その後の質疑応答になんとか堪えました。
模擬裁判本番、その後の裁判長とのブランチなど、非常に楽しかったですが、やっぱり一番印象に残っているのは、色々思考錯誤しながら皆と準備したことでした。
○まとめ
長々と書いてきましたが、Policyの授業はこのような感じです!
もりだくさーん!
来月号ではMysticのまとめのような記事を書きたいと思っています。
では今月はこのあたりで!
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◇ 2013年3月 番外編~プリンストンの学生生活~
◇ 2013年2月 ウィリアムズの学生生活~Williams Mystic - Beautiful Sail~
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◇ 2013年2月 ウィリアムズの学生生活~Williams Mystic - Beautiful Sail~
2月になりました!
Williamsには1月はwinter studyという時期がありますが、アメリカの大学は大抵クリスマス頃から1月中旬?下旬頃までが冬休みで、2月は新学期が本格的に始まる時期です。
日本と比べて冬休み長いね暇だねと思われるかもしれませんが、この時期は夏のインターンシップやプログラムに向けて応募書類を書く時期だったりします。
大抵の応募書類では、大学の成績、レジュメ、エッセイ、先生からの推薦状2通くらいが必要とされ、締切が2月か3月のものが多いので、1月は皆エッセイをがつがつ書いたり、先生のところに行って推薦状を頼みまくります。
○Williams Mystic
さてさて、今学期私はWilliams-Mysticという、Williams Collegeとコネチカット州のMystic Seaportが合同で行っている、海洋学を学際的に学ぶプログラムに参加しています。今月号ではこのプログラムをさらりとご紹介した後に、1月末から10日間行われたフロリダでのField Tripについてがつーんと書いていこうと思います。
○Williams-Mystic
①概要
プログラム参加者は22名で、半分がWilliamsから、もう半分がHamilton, Mount Holyoke, Colgateなどなど、東海岸を中心に、アメリカ各地からの参加者です。
寮はなく、4名から6名の学生で普通の家に住みます。そのため、料理、洗濯、掃除などは自分たちで行います。このまえハウスメイトにトンカツをリクエストされたので、(ちなみにスーパーに行ったとき、パン粉は”PANKO”として売られていました。)もう一人のハウスメイトとつくろうとしたとき、色々とミスって真っ黒な炭ができあがったりしちゃったなど色々話があるのですが、詳細はまた今度。
②授業
Maritime History, Maritime Literature, Marine Policy, Marine Science の4つの授業を全員が受けます。
歴史の授業では、海から見たアメリカ史を時系列・テーマごとに扱います。また、Museum Object Presentationというコーナーがありまして、毎回の授業で生徒一人が何かしら歴史的なモノを事前にリサーチした上で8分間のプレゼンを行います。(私はLongshoreman’s hookの説明をする予定です。)
文学の授業では、ヘミングウェイの「老人と海」やメルヴィルの「白鯨」などの海を扱った文学を読みます。月曜日の授業はレクチャー、水曜日の授業では7-8人ずつの小さなグループに分かれてのディスカッションを行います。
海洋法の先生は現役の弁護士の方で、実際の判例を読みながら、アメリカの法律について解釈します。学期の途中にはアメリカの判事の方をまじえてMoot Courtという模擬裁判のようなことを行う予定です。
科学では海の生態学について学んでいます。Mystic Seaportに出かけて、(といっても徒歩1分くらいなのですが)数年前に設置された網を引き上げて、網にひっかかった海の生物を顕微鏡で見て皆で喜ぶというラボがあったりします。
③Field Seminar
このプログラムのハイライトともいえるのがField Seminarです。フロリダでの10日間の船旅、西海岸での10日間のフィールドワーク、ルイジアナでの4日間のフィールドワークです。
○OFF SHORE TRIP IN FLORIDA!
そんなわけで1月31日から2月9日までフロリダのKey Westにいってきました!
正直言って、フロリダで10日間の船旅と聞いたときには、
「のんびりクルーズに乗って、カリブ海とかまわるのかなー豪華ーふふーん。」
なんてのんきに考えていました。
ただし、直前の説明会で
「シャワーは3日に1回しか浴びれません。」
「パーソナルスペースは一畳程度の大きさのバンクベッドだけです。」
「1日10時間労働です。」
「船酔いを経験する人も多く、嘔吐は免れません。」
などなど言われたときには、ちょっとおかしいなと思ったのですが、
「またまたご冗談を☆」
と現実を直視せずに、(悪い癖です。)鼻歌まじりにフロリダにむかいました。
○S.E.A.
現実はやはり厳しかったです。
今回の旅はただの観光旅行ではなく、S.E.A.という機関による帆船の教育を目的としたプログラムでした。10日間かけてメキシコ湾をグルグルまわりながら、客ではなくクルーの一員として、帆船での航海(帆の揚げ下げ、操縦の仕方、地図の見方など)を学んだり、海洋実験を行うという趣旨のものでした。
Corwith Cramerという全長40m程度の船(これ実際に見るとめっちゃ小さいです。)に、Williams Mysticの生徒22人、教授1人、スタッフ3人と、S.E.A.から船長1人、航海士3人、科学者3人の計32人が乗りました。
・日程
海上の生活は陸の生活とは全く違います。
陸では、朝に起きて、昼は活動して、夜は寝るのが普通ですが、海の上ではそんな贅沢はできません。
法律によって、一時間おきにLogという記録をつけることが義務づけられていますし、夜中にサンプルを採取する必要があることもあるため、24時間誰かしらが起きていなければいけないのです。
そんなわけで、乗組員は生徒7-8人、スタッフ1人、航海士1人、科学者1人ずつの3つのWatchというグループに分けられて、常に誰かしらが起きている仕組みになっていました。
こちらがその日程の例です。
0700-1300 A Watch
1300-1900 B Watch
[1400-1500 Class]
1900-2300 C Watch
2300-0300 A Watch
0300-0700 B Watch
例えばA Watchでしたら、朝の7時からお昼の1時まで6時間仕事があり、そのあと10時間ほど休憩が入ります。(この間、授業に出る/食事をする以外はバンクベッドに戻って寝ます。)夜の11時から朝方3時までまた仕事が入り、その次はお昼の1時から7時まで仕事が入る…という不規則きわまりない生活を送ることになります。
また、常に誰かが起きていなくてはいけない=常に誰かは寝ているので、バンク付近では静かにしなくてはいけません。そんなわけで、アラーム時計はもちろん禁止だったので、watchの交代のときは、前のwatch人が次のwatchの人のバンクベッドのところまでいって、返事があるまで名前を耳元でささやき続けて起こすというなんとも古典的な方法の目覚ましが行われました。
○Watchの仕事
Watchの仕事は大きく分けて3つあります。
1. Deck(3-4名)
Deckでは、Helm(舵取り)Look out (見張り)Boat Check(船の点検)Weather Check(天気、雲、波の状態などの記録)などを1時間おきにローテーションして行います。また、帆の揚げ下げも随時行います。
2. Lab(3-4名)
1時間おきに、緯度経度、気温、海水の塩分濃度、ADCP(波の速度と方向)、葉緑素の質量などを記録するHourlyを行います。また、Surface Station, Super Station, Neuston Tow, Phytoplankton Tow, Sediment Sampling, Winklingなどなど、色々な実験を行います。
3. Galley(1名)
お皿洗いやGalleyの掃除を行います。なんとも簡潔明瞭な説明ですみますね。
○いざ出発
さてさて、概要はこのくらいにして、(概要とかいって結構ぐだぐだ書いてしまいました。)これから今回の船旅を振り返っていこうと思います。
① Day 1 ? 3 : 船酔い
朝の3時45分にMysticを出て、ProvidenceからFloridaのKey Westまでばびゅんと飛行機に乗り、12時頃に乗船しました。
船をデッキにつけたまま、Watchの仕事、実験の説明、帆の揚げ下げの仕方などのオリエンテーションをがつーんと6時間くらい行い、就寝。
次の日も3時間ほどオリエンテーションがあり、お昼の1時、ついに出航です。
1. 船酔い
出航したときは私も元気で、潮風を楽しみつつ、写真なんかもきゃっきゃ言いながら撮ったりしてました。適度に海を楽しんだところで、バンクに戻って23時からのwatchに備えて眠ろうとしました。
(船は二段構造で、地上階に舵やら帆やらその他諸々があり、階下に全員のバンクと食堂があります。非常に狭いです。)
しかし、出発15分後くらいから、バンクベッドで寝ていると体が浮いてしまうくらい海が荒れ始めました。びっくりでした。
始めは遊園地のアトラクションみたいで
「海にきたナー。」
と楽しんでいたのですが、そんなのが30分も続くとさすがに気分が悪くなります。なんというか、体内の水分がかきまわされているような感覚(とりあえずもう気分最悪ってことです。)になり、デッキであがって休むことにしました。
デッキに上がったときにはもう手遅れで、もうあまりの気持ちの悪さから動くことができなくなってしまいました。そんなわけでデッキに座ったまま気分がよくなるまで待とうと思いました。
しかし、結局動くことができないまま、
夜が来て、
雨が降り始め、
体の震えが止まらなくなり、
寒いのであたたかい洋服をとりにいきたいが気分の悪さから動くことができず、
全身が疲労感に襲われているのに気持ちの悪さから眠ることもできず、
食べ物だけではなく水さえ体が受け付けなくなり、
糖分が足りないせいか徐々に頭の動きがにぶくなり、
それでもwatchのスケジュールがあるために、使い物にならなくてもデッキにいなければならず、
etcetc…
とまあ、この後の詳細は省略しますが、間違いなく人生で最も肉体精神的に追いつめられたうちの1つに入る3日間を過ごすことになりました。水さえ体が受け付けない経験ははじめてで、1日中何も飲めなかったときはああこのまま死ぬんだなと悟り、短い人生を振り返っていたりしました。
そんなわけで3日目にようやく水が普通に飲めたときには自然と涙が出ました。
2. 船酔い後: 広大な海の上での小さな船での孤独感
船酔いから回復して、よし働くぞと思っても、そう簡単にはいきませんでした。
ready on the main downhaul!とか
get the hourly とか
what’s ADCP?とか
make it fastとか
We’ll give!
とか指示を出されてもわけがわからず、おろおろするばかりだったのです。
私が船酔いでダウンしている間に、他の皆はデッキの仕事の内容とか、実験の方法とか、データシートの記入の仕方とか、ライン(帆の揚げ下げをするときにひっぱる縄のことです。)とかを覚えたのです。
私は大幅に遅れをとってしまっていました。
そんなわけで、私が基本的な作業ができていないと、
なんでできないの?
という目線を向けたり、
”here!”
といって私から仕事をとってしまったりするwatchのメンバーもいて、もどかしい思いをしました。
役に立ちたいと思っても立てず、まわりからはやる気のないやつと見られてしまうのはなにやら悲しかったですし、うまく英語が使えず(特に帆船独特の言い回しがわからず)誤解を生むこともあり、孤独な思いをすることも多かったです。
3. 助けを求める
そんなわけで色々と本来の自分の力量(と自分で思っているもの、と言った方が正確ですね。)が発揮できない歯がゆい思いをしました。
ただ、この経験をしたおかげで、
「自分ができることできないことをはっきりさせて、できないことは人に尋ねることの大切さ」
を知りました。
今まで独立独歩は美徳だと思っていましたが、やっぱり一人でどうしようもないときっていうのはこれから絶対に訪れると思います。そんなときに変なプライドを持って自分でやりきってみせる!というのは賢明ではないな、ということに気がつきました。
「まわりが知っているのに自分が知らない」というのは決して恥ずかしいことではないのです。
自分ができないことの言い訳を考えたり(船酔いが原因であろうが、やる気がないのが原因であろうが、できないという事実は同じなのですからね。)、わからないことを隠すよりも、自分ができること、できないことをきちんと把握すること。できないことは人に尋ねるか頼む勇気をもつことの大切さを知りました。
こういう教訓は、アカデミアではなく、このプログラムだからこそ学べたことだと思います。いかんせん、わからないことをわからないままにすると船沈んじゃいますからね。大変です。
② Day 4 ? Day10 一生に一度の経験
ちょっぴり大変なこともありましたが、4日目くらいから徐々に旅を楽しめるようになりました。
1.360度の大自然
船酔いのときには、空気も読まずにひたすら波をおこし続けたやんちゃっ子としてしか捉えていなかった大海原(なんとも人間中心的な考え方ですね。)
船酔い回復後は様々な自然を見せてくれる母なる海として捉えることができるようになりました。
(1)空
航海していたときに一番はじめに感動したのは、360度どこを見ても水平線が見えることです。地球が丸いというのは知識としては知っていましたが、実際に船の上で見たときには感動しました。
また、空を遮るものは何もない状態で、日の出と日の入りを楽しむことができました。バイオリンやギターを持ってきている友達がいたので、時には素敵なBGMとともに日の出日の入りを楽しみました。
それだけでも贅沢なのですが、なんといってもすばらしいのが夜。
自然のプラネタリウムとでもいいましょうか、満天の星空が輝き、時には流れ星を見ることもできました。
(2) Bioluminescence
さらにさらに。夜、海面を見ると、Bioluminescenceという現象を見ることもできるのです。船が進むことによって波が引き起こされ、その波が海面近くの微生物を刺激し、微生物が発光するんだよと友達が言っていましたが詳しいことはよくわかりません。いずれにせよ、微生物の発光によって、船のまわりに星空があらわれたかのように、海面がキラキラと輝くのです。びっくりです。
(3)生物との出会い
i.イルカ
旅の途中でドライトルトゥーガというカリブ海の島の近くで錨をおろしたのですが、夜anchor watchの仕事をデッキでしていると、パシャリという音が。
ん?
と思って見てみると!
なんと自然のイルカが6匹群れをなして泳いでいるではありませんか!!!!
どうも船の明かりに引き寄せられた魚を食べにきたみたいですが、なんとも幻想的な光景でした。夜、船の光に照らされて、イルカの体はぼんやりと白く浮かび、静寂の中イルカが泳ぐ音だけが聞こえるのです。
ii.魚
また、次の日ドライトルトゥーガに上陸しビーチで授業をした後に、
“Let’s move on to the second half of the class…which is… snorkeling!”
という教授のなんとも粋なセグウェイの後で皆でシュノーケリングをしたときには、大小様々な魚をかなり間近に見ることができました。
③ Hands-on experience
このように観光要素にもちょくちょく恵まれましたが、私が特にこのプログラムで気に入ったのは、実践主義なところです。
1. Deck
デッキのwatchでは、帆船点検や、舵取りなどがありましたが、一番多い仕事は帆の揚げ下げです。オフィサーの指示は、”Ready on the JT halyard!!”など、縄の名前しか言ってくれないので、私たちは65ある縄の場所と名前を全て覚え、指示が出された瞬間、その縄のところまで競歩し(デッキでは走ってはいけません。)、オフィサーの指示を待って縄を引っ張ります。
慣れてきたときかからは、例えばオフィサーが”We’ll give.”という指示を出したら、watchのメンバーの中でコミュニケーションをとって、必要なライン(giveの場合はmain sheet, jib sheet, forestays’l sheet, jib halyardとjib downhaulです。確か。)を考えて、自分たちで役割を分担をするようにもなりました。
2. LAB
LABでは、スーパーステーションの器具をワイヤーとj-frameという機材をつかっておろし海底の沈殿物を採取して分析したり、Neuston netという器具で海面近くの動物プランクトンを採取し、顕微鏡で100countというのを行ったりしました。(って書くとちょっと仰々しいですが、様々な色のM and Mを海に投げて色と光の透過性の関係性について調べる楽しい実験もありました。)
3. Science Presentation
この旅のまとめとして、Day8には2-3人のグループでの科学プロジェクトのプレゼンテーションが行われました。各グループそれぞれにお題が与えられ、500字程度のResults/ Discussionペーパーを作成した上で、模造紙を使って発表するというものでした。私は3回行ったスーパーステーションの地点におけるADCP(波の方向と速度)を比較し、なぜそれらが違うのかということの理由について友達と発表しました。
これは温度の変化から見て海流の影響だとか、いやいやphosphateの値にはこれは海底からの水の上昇だとか、お前はこの理論を勘違いしてるぞとか色々と議論を交わしながら準備を進めました。今までペーパーは基本的に一人で書いていたので、グループで何かのプロジェクトをするというのは、とても新鮮な経験でした。
2. 実際の体験からわかること
(1)帆船文学への世界
また、このように実際に体験したことで、海を扱った文学をより深く理解できるようになりました。
やはり文章から得られるものというのは知識に過ぎず、ヘミングウェイやメルヴィルなどの帆船文学などは実際に経験してみて初めて、船酔いの辛さとか、ラインを引くときの大変さとか、作中に出てくる自然の描写などがより活き活きと伝わってくるのです。
「老人と海」を読んでいたときにも、このプログラムに参加する前とは全く違った方法で理解をすることができました。また、mysticに帰った後に皆でmaster and commander を見たときも、自分たちの経験と繋げて話し合うことで、より深く作品を理解することができたと思います。
(2)歴史のhumanization
この経験は私の専攻である歴史への理解も深めてくれました。
このField Tripを通して、今までは単なる輸送機関か軍艦くらいにしか捉えられていなかった船が、より深く理解できるようになったのです。
コロンブスはどんな帆船に乗って、どんな風や海流を利用してアメリカまでたどりついたんだろう、とか、今回の旅でもう死ぬほど気持ちが悪かったのに、奴隷船で運ばれた奴隷は一体どんな体験をしたんだろうか、昔海を渡った人も、自然の美しさとかを感じていたのかな、とか考えるようになりました。
○まとめ
今までつらつらと書いてきましたが、今回の旅は存在さえも知らなかった海の上での世界を私に与えてくれたすばらしいものでした。
最後の日に船長もおっしゃっていたのですが、
残念ながら私が経験した海の上での生活というのは、言葉だけで語ることができません。
実際にそれを経験したものにしか、
船酔いの辛さとか
大自然の迫力とか
海が見せる色々な表情とか
文明から切り離された時間とかが
どんなものであるのかを本当に知ることはできません。
だからといって皆さんに今すぐ港にむかって出航しろ、と言っているわけではもちろんありません。
知識を色々と蓄えるのもすごく大事なことですが、皆さんも旅行をしてみたり、実際に自分の手を動かしてみる経験をしていただくと、世界がより広がるかもしれません。
いずれにせよ、今回の旅は、もうこの経験ができたから死んでもいいや、くらいの衝撃を私の人生に与えてくれました。
人間いつかは死ぬのですから、ただ単に死ぬのを待つのではなく、死んでもいいやという経験をできるだけして、楽しい人生だったなーと思いながら死ねたら幸せなんじゃないかな、なんて思いました。
そして最後に。
今まで意識してきませんでしたが、Watchでlook outをしていたときに私の名前「美帆」を英訳するとBeautiful Sailということにフっと気がつきました。
…なんとなく今回の旅に運命を感じつつ、今月号を締めくくらさせていただきます。
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◇ 2013年1月 ウィリアムズの学生生活~日本の大学生の学生団体~
◇ 2012年12月 ウィリアムズの学生生活~成績至上主義の呪縛~
◇ 2012年11月 ウィリアムズの学生生活~歴史は「暗記科目」で「将来役に立たない」??~
◇ 2012年10月 ウィリアムズの学生生活~これからの話をしよう:将来生き延びるための哲学~
◇ 2012年9月 ウィリアムズの学生生活~2年生スタート!~
◇ 2012年8月 ウィリアムズの学生生活~日本にて-H-LAB特別号-~
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◇ 2012年8月 ウィリアムズの学生生活~日本にて-H-LAB特別号-~
8月になりました!
今月はH-LAB特別号です!!
○H-LABの概要
以前の記事にもちょいちょい書かせてもらっていましたが、この夏H-LABという高校生向けのサマースクールに実行委員として関わらせてもらいました。
H-LABってなにー?と言われて、コンテンツとか理念とか色々と語ることができるのですが、まあそのへんは後述する/H-LAB公式ホームページ(http://hcji-lab.org/?page_id=107)に譲ることにして、
このサマースクールの軸となる概念を一言でまとめるならば、
「高校生がBeyond Borderできる場(ba)の創造」
であるかな、と思います。
…ハァ?
って感じだと思うので、すこし説明を。
<Beyond Border>
H-LABのLABは
Liberal Arts Beyond Borders
の略です。(HはHarvard [College Japan Initiative]の略です。)
H-LAB創始者の小林さんは、留学生が年々減り、内向き社会と言われる現代において問題なのは、日本と海外というボーダーの交流がないだけではなく、日本国内においての、ジェネレーション間や様々な分野間での交流が少ないことなのではないか、と考えられたそうです。
そこで、高校生を主役として、
高校生と高校生、高校生と大学生、高校生と社会人、高校生と世界
のボーダーを取っ払ってみよう、つまり、これらの人々が交流できる場を創造しよう!という理念を持ち、去年からこのサマースクールを始められました。
<場(ba)の創造>
で、我々実行委員がこの様々なボーダーを超えた交流を押し進めるのでは意味がないのです。我々はあくまでこの交流の場をつくるにとどまり、高校生自身が、主体的にボーダーを超えて交流を深めてもらおうという趣旨なのです。
…はて?
という感じだと思うので、ここでは具体的にどのような場が用意されているか、ということを紹介しようと思います。
○一日のスケジュール
まずは1日の基本のスケジュールから。
*午前中 セミナー
ハーバード生とその補助を行う日本の大学生(TF)がペアとなり、一つのセミナーを開講します。その内容はInvention and Innovation, Psychology of Happiness, Topics in Mind, Brain, and Behaviorなど多岐に渡ります。
高校生は23あるセミナーのうち4つ選び、サマースクール前半にはじめの2つのセミナー、中日を挟んだ後、後半に残りの2つのセミナーをとります。(サマースクール自体は8泊9日です。)一つのセミナーあたり、高校生は大体4人です。
*午後
セミナー後、六本木にある政策研究大学院大学(GRIPS)に移動して、フォーラムまたはワークショップを行ったり、夜にはレセプションがあったりなかったり。旅館に戻った後には各ハウス(*1)ごとにリフレクション(*2)を行った後、社会人の方とのフリーインタラクション(*3)を行い、夜の11時30分には怖い実行委員のお兄さんに寝かしつけられます。
<いくつか用語説明…>
*1 ハウス: 高校生6~7人、ハーバード生2人、TF2人、実行委員2人からなり、このサマースクール期間中移動や食事をともにするグループのことです。
*2 リフレクション: 夜ハウスで集まって、その日自分たちがどんな学びをしたか、というのを共有する場のことです。
*3 フリーインタラクション: 夜9時から10時にかけて5~10人ほど、社会人の方に旅館の大広間にお越しいただき、フランクな雰囲気で高校生と話してもらう場のことです。
*脱線: 大学院大学について
政策研究大学院大学(GRIPS)…
「大学院大学」は果たして大学なのか大学院なのか?…いやー、気になってしょうがないですよね。
結論からいうと「大学院」らしいです。
大学に附属しているわけではない、つまり大学院単独の教育機関のことを大学院大学と呼ぶそうです。
ちなみになぜ「大学院」の後に「大学」を付けるか、ということは文部科学省の「高等教育の概要」というページに書かれている高等教育機関の定義上、高等教育機関として認められているのは高校とか大学であって、「大学院」はないそうなのです。と、いうわけで、大学院の後に大学という言葉を入れることで、高等教育機関であることを示すのではないか
…みたいなことがyahoo知恵袋に書かれてました。
いやはや、しかしこの世の中には紛らわしい名称が多いですよね。例えば「都立国立高校」とか、初めて見た時は、都立なのか国立なのか気になって気になって…。「とりつこくりつ高校」じゃなくて「とりつくにたち高校」と読むということを知った時の、ちょっとした恥ずかしさと感動といったr…
さて、話を戻します。
○フォーラム
今回は4つのフォーラムが行われました。
ISAKの小林りん氏、Teach for Japanの松田悠介氏、Human Rights Watchの土井香苗氏と吉岡りよ氏による日本の教育に関するフォーラムや、東京大学数物理連携宇宙研究機関機構長の村山斉氏によるダークマターやダークエネルギーに関する講演、Intecurのウィリアム斉藤氏によるEntrepreneurshipに関する講演、そしてハーバード大学経営大学院教授/一橋大学名誉教授の竹内弘高氏によるリーダーシップに関する講義などが行われました。
これらの内容について深くお伝えしたいのはやまやまなのですが、盛りだくさんすぎるので、紙面の都合上泣く泣くカットさせていただきます。(松田さんの「当事者意識をもつこと」、ウィリアム斉藤さんの「Successの反対はNot doing anything」である、「Entrepreneurshipとは起業することではなく、アイディアを行動にうつすことである。」など、非常に興味深いお話を伺ったのですが、また何かの機会に…!)
○フォーラムから学んだこと
これらのスピーカーの方々全般に関して言えることは、
皆さん
① 伝えるべきコンテンツ と、
② コンテンツを伝える力
をお持ちだ、
ということです。
① 伝えるべきコンテンツ
今回のフォーラムは自分にとって未知の分野に関する話が多かったのですが、講演を聞き終わった頃には「松田さん主催のTeach for Japanに応募しよう」とか「村山さんのようにダークマターの研究したい!」という気分になりました。
前の記事にも書きましたが、正直言って自分の知らない分野のことって、わからないことが多い分、あまり聞いていても楽しくなかったりすると思うんです。でも、そんな分野に関して本気で取り組んでいる人がいると、何が彼らを突き動かしているのか?っていうことが不思議になってきます。
今回のスピーカーの皆さんは、オーディエンスにとって未知の分野に関して、オーディエンスの興味を引けるほど、自分が話す内容に関して、経験に基づく深い見識=人に伝えるべきコンテンツがある方々だなあ、と思いました。
② 伝える力
ただ知識を分け与えるのではなく、オーディエンス自身が行動を起こそう!とさせるように伝える力、さらに、オーディエンスを楽しませる力(魅せる力と言ってもいいかもしれません。)を皆さんはお持ちだな、と思いました。
今回のフォーラムではパワーポイントを使用される方々が多かったのですが、これがまた、非常にわかりやすい。文字をずらずらと載せるようなものではなくって、図や写真だけのページがドンっとあったり、かといって聞き手がパワーポイントだけを見てしまうような話し方ではなく、小粋なストーリーを間に挟んでみたり、とにかくプレゼンテーションに色々な工夫がありました。
・竹内先生の講演
特に、竹内先生の講演は授業というよりもはやショーでした。なんというか、竹内先生がお話されているときは、我々は聴衆ではなく観客になってしまう、というか
アイスブレイクを入れてみたり、ぴょっと観衆に意見を聞いてみたり、会場内を歩き回ってみたり、ジョークを挟んでみたり、etcetc… 2、3時間あった講義だったのですが、本当にあっという間に終わってしまったという感じでした。
講義を受けながら、多分竹内先生はActingの授業とかとったことあるんだろうなあ、なんて思っていたら、最終日の閉会式のときに、「実はフルブライトから2年間の演劇の奨学金をオファーされたことなんかもあってね。。。」とおっしゃっていて、やはり演劇関係のバックグラウンドをお持ちであったか…と一人でニヤニヤしていました。
ちなみにWilliamsでもActingのクラスはすごく人気で、それは決して演劇の能力をつけさせるため、というだけでなく、人を魅せる力、人に楽しんでもらう力を育てる上でも有効なものなのかもしれません。
○根本にあるのは「情熱」
①②どちらにおいても大事なのは 情熱 だと思いました。
何かに情熱をもって取り組まなければ、人が知りたいなと思うようなコンテンツを持つことは不可能だと思いますし、
それを人にわかってもらいたい、他の人に広めたい、という情熱がなければ、伝える力はつきません。
この、①伝えるべきコンテンツ、と②伝える力の大事さはワークショップでも感じました。
○ワークショップ
インプロ、自己分析・自己表現WS、Appleでの映像作成という3つのWSが行われました。
私は自己分析、自己表現WS、Appleでの映像作成の担当だったので、これらについて触れようかと思います。
○自己分析/自己表現ワークショップ 通称Y-LAB
こちらのWSは皆さんご存知、Agos代表の横山さんによるWSです。
しかし横山さんは、Agos代表としてではなく、本サマースクールのアドバイザー(a.k.a. 校長先生…a.k.a.皆のお父さん)としてこのWSを担当してくださいました。
ちなみに、横山さんはこのサマースクールの設立の際からずっと私たちをサポートしてくださっていて、横山さんには本当に感謝してもしきれません。この場をかりてお礼をさせていただきます。いつもありがとうございます!
○自己分析/自己表現
このWSでは、まず自分について振り返ってみたのち(自己分析)、自分のペアに対してそれを話し(自己表現)、最後はいくつかのグループに別れて、お互いのペアのことをグループにむけて発表するというものでした。
① 伝える内容 ?「内容」と「経験」は違う
意外と皆さん自己分析をする機会ってないと思います。
確かに今まで色々な経験はしてきたけれども、一度振り返ってみて(リフレクション)はじめてその経験に「意義」がつけられるのだな、と思いました。
一番わかっていると思っている「自分」に関してでさえ、きちんと振り返ってみないと他の人に伝える「内容」の部分はできないものです。
このWSでは、まず自分に関して振り返ってみる時間を設けてから、他の人に自分のことについて話す形式でした。
もしいきなり「では、パートナーの人に自分について話してみましょう」という自己表現の部分に、自分の経験について特に意義づけすることもないまま入ってしまっても、何が自分にとって大切か分からないまま話し始めてしまった高校生が多かったかと思います。
どんなにすごいと言われる経験をした人でも、それが自分にとってどんな意味があるのか?ということを分かっていなければ、その「経験」はただの「思い出」になってしまうのだと思います。
○伝える「力」
Apple Store銀座店にて、高校生に対して「自分たちにしか作れない自ハウスのCM」というテーマのもと、サマースクール期間中に撮影した画像や映像をもとに、iMovieで1分半ほどの映像を作成してもらいました。
このWSも涙と笑いの話が色々とあるのですが、まあそれもおいといて、最後の上映会のときの話。
○上映会の司会
私はこのWSの担当だったこともあって上映会の司会をやったのですが、ハーバード生もいるので英語でやらないといけないわけです。いやはや。
で、まあ必要事項だけ淡々と伝えてさくさく始めるのもいいかと思ったのですが、なんかせっかく最後の企画だし盛り上げられないかなあ、と。
そんなわけで同じハウスのTFの佐野君に相談し、以下のような感じで上映会を始めました。
Thank you all for coming.
Let’s start the Field Trip to Apple Store Ginza, H-LAB 2012!
We’ll screen the movies one by one.
Your presentation is consisted of three parts.
First, we’ll ask you guys, high school students, the concept of your movie.
Then we’re going to screen the movie, and finally, we’ll ask the Harvard students of the house to give us some comments on the movie.
These short movies were not made in the last two hours…
They are the essence of the unforgettable week we spent together…
Let’s make this presentation be the best ending to this blasting week!!
みたいな。
一見普通のはじまりに見えるかもしれませんが、佐野君による工夫が色々とあります。
上映会の紹介についても、
「3つのパートがあるよーということを言ってからFirst, Then, Finallyって入れるだけで、聞き手にとってわかりやすい。」
とか、
その後の部分についても、
「”These short movies were not made in the last two hours.”ということで聞き手をちょっとびっくりさせて、関心をひきつける。」とか。
「best endingのBとblastingのBが続けてくるとかっこいいでしょ。」
とかとか。
こんな短い文章でも、構成の仕方とか、単語の選び方とか、色々とこだわることってできるんだな、と感心しました。
○プレゼンの心構え
また、この文書を考えているときに佐野君が言っていたのは、
「プレゼンとかって、人に見てもらうわけでしょ。例え、10人に対してのプレゼンでも、自分のプレゼン×10の時間をもらってるってことを自覚すべき。そうしたら自然と良いプレゼンするべきだって思うでしょ。」と。
…おっしゃる通りである!!
と、納得しました。
○そして失敗する
実はこの上映会の後、閉めの言葉を全く考えておらず、無難なことを焦っていってわちゃわちゃ言った結果、なんだかあまり会場を盛り上げることができませんでした。
そんなわけで、佐野さんからは後で、
「佐久間さん、盛り上げるの下手だね。」
とさくっと言われてしまう始末でした。
人に楽しんでもらう、場を盛り上げるのって難しい! 私にはまだまだ伝える力、特に魅せる力が不足しているのでしょう。
佐野君みたいに素敵なプレゼンができる人になりたいものですね。
○レセプション
2回レセプションが行われました。
H-LABレセプションという、このH-LABに支援をしてくださっている方や、ハーバードの卒業生の方をお招きしたものと、ホームカミングレセプションという、昨年参加した高校生を招いたものです。
・レセプションの意味
一つ残念だなあと思ったのは、参加者の中で、H-LABレセプションにお越しいただいた方々の名刺をもらうことが目的となってしまっている人がいると聞いたことです。たくさんの名刺を集めて、ポケモンカードゲームならぬ名刺カードゲームでも戦うのでしょうか。
こういうのって、なんというか、美術館に行って、美術品をよく観たりするのではなく、写真撮ることに終始するというか。FacebookでひたすらFriendsの数を増やすことに終始するというか。 まあ要するに、
本質はそこじゃないぞ!
と言いたいんですね。
もちろん、世の中にはそういう人もいるんだなあということを認識しておくことも大事で、そういう人に会ったときにその人たちを黙らせるような肩書きを持っておくこともなんだかんだ必要だったりするのかもしれませんが。
○レセプションでの立ち居振る舞い
レセプションだと、初対面の人がとにかくたくさんいて、一人あたりで話す時間も長くないわけです。そんな中で相手に
「またこの人と会いたいなあ」
と思わせられるかどうか、ということが勝負なんじゃないかな、と思います。
そのためには、相手にとって何か魅力的な話をすることができたら素敵ですが、我々青二才たちは、もっと
「聞き上手」
になるべきだと思います。
・聞き上手
相手の話を真剣に聞いて、相槌を打ったり、質問をしたりする中で、相手から色々なことを引き出せますし、話している側としても、人に質問される中で新たな発見があったりして、「この人になら何だか色々話せるなあ。」という気分になったりするものです。
①ただひたすら熱心に聞く とか ②興味のない話には耳を傾けない
ということをやってしまっている人が多かったのですが、この二つはどちらも聞き上手とは言えないのかな、と思います。
○留学に関して
今回のサマースクールでは留学に関する質問を何人かからか受けました。
それで結構多かった質問/意見が、大学への申請書類に書くために
「課外活動ってやっぱこういうことやっといた方がいいですかね?」
とか
「私こういうプログラムやったんで評価高いと思うんですよね?。」
というものです。
もちろんそういう活動から学ぶことも多いとは思いますが、大事なのはそういう活動をやったことではなく、
「そこから何を学んだのか」
ということを忘れないでほしいと思います。
○私の経験
留学するためにエッセイを書くぞ!という人は、自分と同じ経験をした人がいても、その人たちとは違って、自分がどんなことを経験したのか、ということを考えてみればいいのではないでしょうか。
例として、私が実行委員としての仕事を通して学んだことをいくつかご紹介しようと思います。肩書きから言えば、20人程度いた実行委員は全員「HLAB実行委員」なのですが、その一人一人が経験したことは違うはずです。
①言葉に出して言わないとダメ
私は基本的に弱気な人間なので、何かをズバズバ言うことも言われることも苦手です。できればお互いのことをあまり指摘せずに以心伝心、阿吽の呼吸でやり過ごしたいタイプなのです。
ですが、私たち実行委員は高校生80名、ハーバード生23人、TF23人を預かっている身なので、綿密なロジスティックスを組む必要があり、そのためには実行委員内でのコミュニケーションで齟齬があってはいけないのですね。
どんな人間でもミスは犯します。そのためロジを詰めるときは、複数の人員でチェックすることが大切です。
そんなわけで、今年のはじめから毎週行われていた実行委員のミーティングでは、担当者が進捗状況を報告し、それに対して皆でズバズバつっこみをいれていく形をとりました。
この際に、
きちんと言葉で指摘をする/質問をする
ということが大切だと思いました。
「多分このことはやっているだろう。」とか、「ちょっとここはおかしいけど、わかってるだろうな…。」と思っていると、後になって一番大事なことが決まってなかった…!ということが起こったりするのです。以心伝心なんてものに頼らず、必ず言葉によるコミュニケーションをとることが肝要だ、ということを強く感じました。
・言い方に気をつける
何かを言葉で指摘する際に、仕事に関する批評を人格に対する批判だと捉えさせてしまわないことが大切です。そのため、指摘する側は言い方にも気をつけなければなりません。
サマースクール期間中にも、すこし感情的にとある企画に対して指摘した人に対して、「なんだよ俺がわるいのかよ!」と指摘された側がすこし怒ってしまったという出来事がありました。言葉によるコミュニケーションも大事ですが、人的摩擦の回避も仕事を円滑に進める上では大事なのだなあと思いました。
・初対面の人の中で
今回は実行委員のほとんどの方とは6月に初対面!みたいな感じだったので、この夏に行った林間学校や部活の合宿の運営とはずいぶん勝手が違いました。
林間学校ではOBOGさんが同じ高校卒業ということもあってすぐになじめましたし、部活の合宿にいたっては、2年間苦楽をともにした仲間ということもありお互いのことをよく知っているので、コミュニケーションをとることが本当に楽だったのです。
でもこれから、初めて会う人と一緒に何かをする機会というのは絶対に何度も出てくるものだと思うので、
?言葉でコミュニケーションをとること
?指摘する際には言い方に気をつけること
?指摘されたときは真摯に受け止めること
が大切だな、と思いました。
②挨拶と声かけ
挨拶とか声かけってチームをつくる上ですごく大事だと思います。
私は小学校中学校でバスケ部/ハンドボール部、高校大学ではテニス部に所属していました。
廊下とかで部活の人と会ったときには必ず後輩が先輩に対して挨拶をしますし、部活中も声だしってすごく大事だったと思います。
気持ちよく挨拶されるとすごく嬉しいし、練習中辛いときでも相手に対して声をかけることで、相手を元気にすることもできるし、自分も元気になったりするものです。
こういう挨拶とか声かけっていうのは、体育会系の部活だけでなく、何かのプロジェクトを一緒にやる上でも大事だと思います。
と、いっても、私自身、サマースクール期間中、「この人たちまだ知り合って日が浅いし、挨拶しても返してくれるかなあ…」なんて思って、自分から積極的に人と関わることができませんでした。なかなか皆さんと話す機会がなく、事務連絡が多くなってしまったので、今後は挨拶から頑張ろう、と思っています。
③高校生はわかってくれている
実行委員の仕事やら、アレルギーのせいで寝込んだりで、今回のサマースクールでは、あまり高校生と話すことができませんでした。
で、ある日、「TFの人はいつも一緒にいるから働いてくれているのがわかるけれど、実行委員の人って何してるんですか? TFの人は大変そうですけど、実行委員は働いているんですか?」と聞かれたことがあって結構ショックだったのを覚えてます。
もちろんTFの方々の助けなしにこのサマースクールは成り立たなかったけれど、実行委員の中心メンバーは去年から何度も何度もミーティングを重ねてこのサマースクールを作り上げてきたのにな、しょぼーん、と思いました。…私は帰国してからの参加なので、3ヶ月くらいしか実労働はしていないのですが。
でもでもやっぱりちゃんと見てくれている子もいて。同じハウスの女の子が、「実行委員の方があまり会えないのはそれだけたくさん私たちのために働いてくれているからですよね。ありがとうございます。」と言ってくれたり、
「佐久間さん大好きなんですよー、私。あまり話す機会がなくって寂しいですよ。」と言ってくれたり。
最終日の閉会式の後、ちょっと体調が悪いこともあって、式が終わるや否や家に帰ったのですが、その後も、
「佐久間さんなんで帰っちゃったんですかー泣 最後に話したかったのにー泣」みたいなメールを送ってくれる子もいて、ありきたりな表現ですが、すごく嬉しかったです。
・部活の合宿
ちょっと話がそれますが、部活の合宿での高校生たちのかわいい反応について…。
サマースクールが始まる前、高校のテニス部の合宿に指導をしに行きました。
一班6人程度で4班あり、私は合宿中はずっと一班の担当だったのですが、帰るときに、他の班の後輩たちが、
「佐久間さんのミーティングでのお話が参考になりました!」とか
「練習後のランニングでの目標になりました!」(午後練の後に山中湖まで走って(往復3kmくらいの短いコースなのですが。)タイムを測るという伝統がありまして、私はなぜか現役と一緒にガチで走ります。)とか
「佐久間さんのボール拾いの姿かっこよかったです。」
とかなんだか色々言ってくれました。…ボール拾いの姿をほめられたのはじめてです。
1班の子しか見られなかったのに、他の班の子たちにも自分は何かしら影響を与えられているのかなあと思ってなんだか嬉しくなりました。
・自分の好きな仕事
こうやって色々と高校生から感謝されると、色々あった大変だったこととかもどうでもよくなってすごく嬉しい気分になります。
自分は上層部から指示を出す仕事よりも、現場のレスポンスとかを肌で感じられるような、草の根的な活動が好きなんだなあーと思いましたし、私自身、これからは色々な人への感謝をちゃんとその人に伝えよう!と思うようになりました。
…と、いうわけでまだまだたくさんのことを勉強させてもらったり、感じたりしたのですが、このあたりで。
○もしエッセイを書くならば…
海外大学入試の際にエッセイを書く人は、こういう風にいくつか自分の経験とそこから学んだことを並べて書いてみて、その中で一番書きやすそうなもの=一番自分が深く考えたこと、について書いてみるといいのではないでしょうか?
たとえば今回紹介した私の経験に関して私が一つエッセイテーマを選ぶとしたら、
「言葉に出して言わないとダメ」 を選びます。ただ、このブログに書いた部分には、実際にどんなことがあったか?を書いていないので、例えばApple企画のときに起こってしまったハプニングなどの具体例を用いて、これを膨らませていくと思います。
「挨拶と声かけ」のくだりで、挨拶とか声かけの大事さについて書いていますが、今回のサマースクールでは実行が自分でもあまりできなかったので、「果たして挨拶に本当に効果があるのか?」ということが書けないので、サマースクール関連させるエッセイとしては弱いです。学んだこと、というより反省ですからね。
「高校生はわかってくれている」のテーマでは、結果として自分が好きなことを見いだしていますが、それが人から与えられた自分の評価にとどまっているため、読んでいる側としても、私がどんな風に自分のことを考えているのか?ということが伝わらないので、これまたエッセイとしては書きづらい内容だと思います。
とまあ、こんな感じに自分の経験を吟味してみてください!
テーマが決まったあとどんな感じに推敲するかはGo Study Abroadに記事を投稿しましたので、そちらも是非ご参照ください。(http://gostudyabroad.boo.jp/?p=463)ちゃっかり宣伝は忘れません。
○終わりに
H-LABってなんだか立派な企画だなあと思われたかもしれませんが、個人的にこの夏私が関わらせてもらった他の企画も同じくらい私にとって意味のあるものでした。
有名なもの、とか、社会的影響力の大きいものを重視して、「私はこんなすごいことをやってるドヤ。」「意識高いでしょドヤ。」と自慢している人がいたりしますが、大事なのはそこじゃないですよね。
私は林間学校で山登りをしたときとか、部活の指導で後輩と接しているときとかからも多くのことを学ばせてもらったし、何よりもすごく楽しかった。
この記事で何回も触れていることですが、
自分が何をしたか
よりも
そこから何を得たか?
ということを大事にしていきたいものです。
もちろんH-LABでの経験も佐久間美帆史上かなりのインパクトを与えてくれましたが、それはハーバード云々の話ではない!ということだけ付け加えさせていただきます。
○新学期!
3ヶ月強の夏休みがついに終わります。
今改めて考えて3ヶ月って…1年の4分の1は夏休みだったんですね…。
いよいよアメリカに戻ってまた勉強づけになるわけですが、こんなストレスフリーの生活からいきなり戻れるのか、正直不安で不安でなりません。
でも、去年あんなに何も分からない状態でアメリカに行って何とかなったんだから、何とかなるんじゃないでしょうか! ちょっと飛行機でミスったりしちゃったのですが、まあ何とかなる!というか何とかする!
そんなわけで、また新しい一年の始まりです!
今後ともどうぞ、よろしくお願いします!!
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◇ 2012年7月 ウィリアムズの学生生活~日本にて-節目の夏-~
◇ 2012年6月 ウィリアムズの学生生活~夏休み~
◇ 2012年5月 ウィリアムズの学生生活~留学一年目を終えて~
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◇ 2012年5月 ウィリアムズの学生生活~留学一年目を終えて~
5月です!
帰国しました!
さてさて今年の8月やら9月から留学される方はそろそろ何をもっていこうかなあとか考えていらっしゃるかもしれませんが、考え過ぎは禁物です。
必要最低限のものを持っていきましょう。
私は学年末で部屋を空けなければいけないというときに、20本のスティックのりを発見して、1年前の自分は何を考えていたんだと思いました。1本も使わなかった…
なんだか空しくなったので、レターセットを買ってお世話になった人たちに手紙を書いて、封筒にいれるときにのりを使いました。(自己)満足!
そんなわけで一年間の留学が終わったのですが、今月号ではさくっと一年間のまとめでも書いてみようかなあと思います。
○勉強面
日本とアメリカの勉強の違いって結構この一年間で書いてきたと思います。たぶん。
まあ色々と違いはあるのですが、一年間を振り返ってみて思うのは
「どんな教育形態でも慣れが大事」
ということです。
日本の教育をずっと受けてきた私のような人は、
アメリカのセミナーの授業での発言重視の体制とか、英語できないからひよっちゃうなあ、とか思っていたのです。
が、いやいや待てよ、日本でもこんな授業やってたら果たして私は発言するのだろうか?と考えてみたら、まあ発言しませんよね。
要するに、こういう勉強形態には、「何か発言をしなければならない」というプレッシャーの下、何回も何回も挑戦をしていく中でようやくまともなことが言えるようになるものであって、決して、頭がいい悪いとか、語学ができるできないとかの問題ではないんじゃないのかな、なんて思います。
逆にアメリカの学生たちは、暗記とか苦手です。私自身、一年間点取りゲーム(日本の試験の成績とれればokみたいな形式のことです。)から外れていたので、日本に戻ってきてから皆が試験勉強していることを見て、こんな大変なことよく皆やってるな、と感心しました。
これは勉強だけではなくて、運動とかでも一緒だと思います。
例えばテニスの一流選手でも、バスケも一流並みにできるとは限らないですよね。だから、ずっとテニスをやっていた人が、バスケを初めてやってみて、うまくいかないからといって変な劣等感をいだく必要がないように、ずっと日本の教育を受けてきた人がアメリカですこしうまくいかなかったからといって、卑屈に思う必要もないのかな、と。
一方で、テニスで鍛えた足腰がバスケにも役立ったりするように、日本の教育で培った力というのはアメリカでも通用するものもあります。やっぱり知識って思考の上では基礎となるものです。
そんなわけで、日本の教育とかアメリカの教育とかで線引きをしてしまって、どっちが良い悪いなんて話をするのはナンセンスで、教養という大きな視点をもつことが大事なんじゃないかな、なんて思います。
[メイクアップが可能]
また、発言ができないなら、教授のところにきちんと事情を説明して、別の方法を模索することも大切かもしれません。私はあまり発言が得意な方ではなかったので、教授のオフィスアワーに行って色々と質問をしていた結果、あの英語の教授から次のようなメールをいただきました。
I regard you as a model student: in America, perhaps out of defensiveness, we have invented a narrative about Asian education systems: that they train students to excel on tests and in feats of memory, that they emphasize rote learning, but that they kill creativity and squash any curiosity or love of learning. But I have a sneaking suspicion that that's all bullshit.
日本においてもアメリカにおいても、教養という面から考えて重要なのは、自分がやっている勉強に興味をもっているか、楽しんでいるか、ということなのではないでしょうか。
○部活 ? Just embrace it
さてさて部活です。部活ではフィジカルはもちろん、メンタルをずいぶん鍛えてもらったと思います。
[勝ったときは謙虚に、負けたときも誇らしく。]
うちの部活のモットーです。
5月の終わりにNew England(州大会)とECAC(東海岸大会)という二つの大きな大会がありました。
私のボート(Freshmen1)はNew Englandで優勝、ECACでは準優勝で、1V,2V,3Vのボートはどちらの大会においても優勝し、チーム優勝もいただきました。
1. 勝ったときは謙虚に
とまあ実績を書くとすごいなあという感じなのですが、私がうちの部活でいいなあと思うのは、その謙虚さです。
金メダルやらなにやらをいただいたのですが、式典での写真撮影が終わると、すぐにメダルをTシャツの中にいれて隠すように言われるんですね。また、式典が終わった後は、決して順位がどうのこうのの(ダブり)話はしません。
1位をとったというのは、あくまでそれまでの練習の成果が出たというだけであって、誇らしく思うのは大いによいのですが、決して人に自慢するようなものではない、という。結果は重要だけれど、それはあくまで努力の延長線上にあるものであって、結果ありきではない、というポリシーが好きです。
2.負けたときも誇らしく
ECACで準優勝に終わったときについて。(0.4秒差で負けました。)
以前紹介したように、Betting Shirtsというものを、負けた場合は優勝校に渡さなければいけないのですが、New Englandのときに、悔しいからといってシャツを我々に投げつけていった学生もいたのです。
その気持ちもわからなくもないですが、相手も自分たちも全力を出した結果なのだから、どのような結果であれ、誇りを持ってシャツを渡すべきですよね。
ECACは、同じボートメイトでの最後の試合ということもあって、絶対に勝ちたかったのですが、負けてしまいました。しかし結果は結果、誠意をもって、優勝校の健闘(ちなみにこの学校はNew Englandでシャツを投げつけた学校でした。)をたたえ、皆でシャツを渡しに行きました。
Coxswainのジュワンが、「ここで私たちが堂々とシャツを渡すことで、私たちは、試合には負けたけれど、勝負には勝つの。」と言っていたことが印象的です。
…まあもちろん悔しいですが!来年見てろよ!
○Just Embrace it.
コーチの口癖です。
結構皆が神経質になってしまう期間というのがあるのです。
部活中で言えば、例えば風のとき。ボートって風とか吹いちゃうと、漕ぎづらいわ、水はボートの中に入ってくるわ、びしょびしょになるわ、たまにボート壊れるわ(まさかですよね。)で、結構最悪なんですね。というわけで正直風が吹いているときは皆のモチベーションなんかも下がっちゃうんです。
部活以外でも、部活と勉強のバランスなんかもなかなか大変な時期とかがあって。2kテストという、エルグでのかなり辛い試験が学校の方の期末試験期間とがっつりかぶっちゃうこともあったりして。
そんなときにコーチのMegはいつもほんわかとした笑顔で(彼女自身Williamsの卒業生でかつて最速だった人ですが、なぜかほんわか系です。)
“Just embrace it :D !”
と言います。どんなことがあっても、それに対して喜んで対処しなさいって感じですね。風が吹いたときには、風があるときの試合の練習だと思えばいいわけですし、2kテストも自分がどれだけ頑張ってきたか、皆に見せる機会だと思えばいいのです。天候とか、部活のスケジュールとか、自分で変えられないものに対して迷っても仕方がない、と。自分でできることは頑張って、できないことはjust embrace it,というメンタルは重要だと思いました。
○アスリートのメンタル
大抵Varsityに入っている人は、三歳からこのスポーツやってきましたみたいなわけわかんない人が多くて、州大会だの全国大会だのを経験している強者が結構いたりします。
春休み前に入ってきたジェナはノルディックスキーの(詳しくは知らないのですが)なんだかものすごい実績をもった人なんですね。
で、彼女がすごいのはフィジカルだけじゃなくて、やっぱりメンタルです。
大きな大会の前だと、試合の前日に会場に近いホテルに移動するのですが、そのとき同じ部屋にクリスティンとジェナがいたのです。
で、夜になって私とクリスティンが
「もう明日だよー。」とか
「風吹いてたらどうしよう。」とか
「相手ムッキムキだったらどうする?」とか
「見た目から負けるよね私ら。」
とか、とにかくソワソワうだうだキョロキョロして落ち着きがなかったのですが、彼女は、
「自分がやってきたことを信じて出す。試合を楽しむ。それだけだよ。」
と一言。
イケメン….!
と思いました。
彼女はノルディックスキーを通して、今までなんども緊張する体験をしてきていて、そういう状況でも、というかそういう状況こそ、落ち着いて、楽しんでスポーツをすることができるんだな、と尊敬しました。
[ビリを経験]
あと、部活に入ってよかったなと思うのは、自分がビリという経験をできたことです。
あんまりビリを経験することはなかったのですが、部活ではergのタイムが大抵ビリだったんですね。
ただ、毎回文字通りチームメイト全員が応援してくれるんです。それを見て、いくらこれだけ厳しいチームでも実力ばっかりが全てじゃないんだなって思ったり。
年度末にBest rowerとかbest freshmanとかを投票で決めるときも、何人かは私にbest freshmanを投票してくれたりとかして、もうなんていうか感動ですよね。
いくつかそのときのコメントを。
"Miho, I know that she hasn't been on the team very long, but I think her love for this team and sport has been evident from the start. She is a wonderful example of dedication and commitment."
"Almost every time I walk down Spring Street, I see Miho going to or leaving the gym. She has worked incredibly hard this year and demonstrated a willingness and eagerness to learn that has been truly inspirational. This woman's commitment to being her personal best is unparalleled, and even though she has made huge strides this year she remains humble."
女子クルーチームは40人と大きいのですが、皆一人一人のことを大切に思っていて、本当にいいチームだなって思います。All for one, one for all,ですね。
皆のおかげで、最後の2ktestでは目標としていたsub2を達成することもできました。
○社交面
Williamsなどのリベラルアーツでよいところは、友達の色々な側面を知ることができるところにあると思います。
毎日Williams Daily Message, 毎週末Williams Social Calendarというのが送られてきて、コンサートやらVarsityのチームの試合などが紹介されます。
で、コンサートホールやら試合のコートなど、色々な設備が校内にあるので、友達の発表やら試合を簡単に見に行けるんですね。
そのおかげで、皆のいろんな方面での活躍を知る機会が多いです。
一方で、日本の大学では友達の一側面しか知る機会しかないように思います。
例えば「この人はクラスの友達。授業中よく真面目に聞いてるし頭よさそうだなあ。」とか、「この人は部活の同期。テニス頑張ってるな。」とか、自分との共通点でしか友達を知ることができないことが多いかと思います。
でも、実際自分とは関係がないところで皆すごいことをやってたりするものなのです。
今回日本に帰ってきてから比較的時間があるので、友達の試合やら発表はできるだけ行こうとしているのですが、皆のいろんな側面を知ったり、自分の新しい興味を引き出す結果になったりしました。
○六大学野球
非常に恥ずかしいことに、私は野球のルールとか何も知りませんでした。
えーと、ホームランとストライクは知ってます、くらいでした。
なのですが、たまたま同じクラスの男の子がピッチャーとして六大学野球に出るということ、同じクラスの女の子がチアリーダーとして、その応援をすることを聞いたので、野球好きの友達を連れて神宮の六大学野球の観戦に行ってみました。
するとすると!とにかく野球っておもしろいんだなということに気がついたり、実はその男の子が、2年生にして野球部のエースとして大活躍していたということを知ったり、応援部のチアリーダーの女の子の笑顔やらダンスに癒されつつも、あんなに炎天下の中長時間笑顔で軽々と踊っている姿を見て、なんだかもう、素直に尊敬しました。
一日だけ観戦の予定がついつい次の日の試合も見に行っちゃったりなんかして。
やっぱりこうやって友達の新たな側面を知ったり、自分の興味の分野を広げることはすごく楽しいことだなと思いました。
他にも私のクラスでいえば、模擬国連やらUTDSというディベートサークルで頑張っている友達がいたり、劇団綺畸という劇団で演劇のキャストをやっていたり、他のサークルやら部活で執行として頑張っていたり、皆いろんな方面で頑張っていることに気がつきました。
やっぱり皆自分が一生懸命になって取り組んでいることを話すときは、(なんというか、やや恥ずかしい言い方をしますと、) 輝いていて、すごく話を聞いていて面白いです。
日本では、お互いのことをよく知れるような環境はあまりないかもしれませんが、ぜひ、お互いのことをもっとよく知れるようにできればいいなあ、と思います。
ではでは、今月号はこのへんで失礼しようと思います!
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◇ 2012年4月 ウィリアムズの学生生活~アメリカでのGPAについて~
◇ 2012年3月 ウィリアムズの学生生活~日常編:春休み~
◇ 2012年3月 ウィリアムズの学生生活~授業編:中間試験~
◇ 2012年2月 ウィリアムズの学生生活~日常編:疲労感と筋肉痛はマブタチ~
◇ 2012年2月 ウィリアムズの学生生活~授業編:今学期の授業~
◇ 2012年1月 ウィリアムズの学生生活~Winter Study~
◇ 2011年12月 ウィリアムズの学生生活~日常編・この年のまとめ:二人目の存在~
◇ 2011年12月 ウィリアムズの学生生活~学生生活編:「有言」実行~
◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活~日常編:人種差別~
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◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活~日常編:人種差別~
<日常編>
さてさて日常編です。非日常的な話題を取り扱います。
「人種差別」
日本では実感することがありませんでしたが、多くの人種が集まるアメリカでは人種の問題はかなり敏感な問題です。これから、私の学校で起こった、ある日の授業を全てキャンセルするにまで繋がった事件についてお伝えします。
この事件に関しては、実際に送られた英語のメールをそのままのせています。
○事件発生
11月18日、金曜日の夜。Prospective houseという寮の壁に、
“All Niggers Must Die.”
という人種差別的な落書きが書かれました。金曜日は皆がパーティーを開いてお酒を飲みまくっているので誰かが酔って書いたのだろう、とはじめは軽く捉えられていました。ただし、けしからんだけじゃすまないぞ、という内容のメールが学長から送られました。以下に原文を載せます。
①学長からのメールその1
To the Williams Community,
It is both saddening and upsetting to report that a racially hateful phrase was written last night on a wall in a student residence hall. It did not seem targeted at an individual. The writing was removed and a full investigation begun.
There is no place at Williams for such behavior. In addition to the effort to identify whoever is responsible, we will be in touch regarding ways that we can together respond to this attempt to disrupt our community.
その後学長の呼びかけで人種差別に関して生徒・教授を含めた多くのミーティングが開かれました。その後また学長から全校生徒へ、事件の詳しい内容と学校の対応が送られました。ちょっと長かったので、冒頭だけ原文をのせます。(元のメールはこの3倍くらいの長さでした。)
②学長からのメールその2
To the Williams Community,
We want to report to you the full facts of what took place early Saturday morning. What follows here is very disturbing.
On Saturday at around 12:30 a.m. a student called Campus Safety and Security to report seeing scrawled on a hallway wall on the fourth floor of Prospect Hall the phrase “All Niggers Must Die.” We are horrified by this act and regret needing to repeat such language in a college communication.
学長の呼びかけで、さらに大規模な(200人規模)の学生のミーティングが開かれました。しかし、一部の学生が、これは学校全体で取り扱うべき重大な問題だということを学長に抗議しました。その結果、次の月曜日の授業は全てキャンセルになり、朝は人種差別反対のデモ行進、昼は大学の様々な部門のトップによる演説と生徒によるオープンマイクが行われました。では、授業がキャンセルになったときのメールの冒頭をどうぞ。
学長からのメールその3
After consulting with the Faculty Steering Committee, we have decided to cancel all classes and athletic practices tomorrow (Monday). We understand how this disrupts important college functions, but in the wake of a shock such as this, the campus community needs to take a pause. An event that we expect all available students, faculty, and staff to attend will take place at 11 a.m. on Chapin Lawn. Details of that will be sent later. We also hope that all those attending will be able to find ways to have lunch together in small groups.
全てに一段落がついた後に学長から送られたメールの全文を載せます。
学長からのメールその4
To the Williams Community,
In the wake of such a powerfully moving day for me personally and for the college, I want to express appreciation to all involved.
Thank you if you helped push for the cancelation of classes and practices so that we could take a moment to reflect together.
Thank you for the courage it took for so many of you to stand before a crowd of people and tell your heartfelt, often painful, story, and for all who made the commitment to march, to attend, and to listen.
Thank you to the many staff and faculty who helped support students and each other at this challenging moment and who, often behind the scenes, made the logistics work.
And thank you for the energy to continue these conversations, to generate ideas, and to take action toward making this a campus on which such painful stories are a thing of the past. The main lesson of recent days is not just the importance but the urgency of that work.
We will continue the effort to find and hold accountable the perpetrator(s) of last weekend’s crime. And, as was said by so many yesterday so eloquently, all of us who care about this college must strive to hold ourselves accountable for the quality of our community.
With a heart full of gratitude, I look forward to doing this work with you.
月曜日のイベントに全て私は参加しましたが、印象的だったのは、人種差別は何も今回ターゲットになった黒人だけではないということです。デモの時も、”Black, White, Yellow, Brown, Same struggle, same pain!”というフレーズが言われたり、オープンマイクの時にもいろいろな学生の人種に関わる問題を聞きました。さらに人種だけではなく、アジア人とアジアンアメリカンに関わる問題なども、根深い問題であるということがわかりました。詳しい内容は載せませんが、人種について深く考えることになった事件でした。
(終わりに)
最後まで読んでくださりありがとうございました!
12月号では、今月号に載せられなかった学生生活について色々と書こうかなと思っています。
○告知
12月24日の13:00から15:00まで、「イエール大学 vs ウイリアムズカレッジ アイビーリーグとリベラルアーツカレッジ徹底比較」というイベントがagosで行われます。イエール大学からは、前回紹介させていただいた留学情報サイト発起人の田口君が参加します。ブログでは書ききれなかったところも喋ろうと思いますので、クリスマスイブで恐縮ですが、来ていただけると嬉しいです。
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◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活~授業編:中間試験~
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◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活~授業編:中間試験~
11月になりました( ´ ▽ ` )ノ!
(この顔文字の意味は皆さんおわかりでしょう、更新が遅くなってしまってごめんなさい。)
学問の秋!食欲の秋!ということで、日々知識と体重を蓄積しています、佐久間です。
今月号も授業編と日常編に分けて、淡々と書いています。授業編は主に中間テストやらペーパーについて取り上げています。日常編は前回とは違い、ちょっと重たい内容を扱っています。サンクスギビングのお休みで友達のニューヨークの家にお邪魔したことやらムービーナイトやらランチディスカッションなどなど色々とのほほんとした話題もあるのですが、それは次号にまわし、Williamsで起こった人種差別の事件についてとりあげることにしました。
<授業編>
ではでは早速授業編です。中間試験/ペーパー、それと授業についても少し触れてみました。教授のコメントは原文のままでのせています。
○Math 103
○中間試験
普段の授業はのほほんと進むのに、中間試験は鬼畜でした。教授によって試験の形式は違いますが、この試験は記述式大問10問90分、115点満点でした。
個人的な感想としては、今までで受けた試験の中でもかなり悪い出来で、家族にも「おわたー。ぴぎゃー(^o^)/」なんてメールまで送っていたのですが、蓋を開けてみれば110点でした。決して日本の学校でありがちな嫌みな謙遜とかではないです。実際日本の学校の採点方式だったら50点がついたと思います。とにかく答えが間違ってても考え方があっていたら9割は点数をくれるという採点でした。計算間違いが多い佐久間にとってはとても嬉しい採点です。
○アメリカの数学教育の問題
しかしながら平均点は70点でした。どうもアメリカ人の学生は記述式の試験に慣れていないのかなあと思います。いかんせんSAT(R)などの大学入試に必要な試験は選択問題形式ですので、そのトレーニングばかり積んでいるために言葉で説明するのが苦手なのかなあ、と。(実際今まで記述式の問題なんて解いたこともないと言っていた人もいます。)さらに授業も教授と生徒の双方向の関係が築けているのはいいのですが、教授の単発的な質問にいかに素早く答えるかに必死になってしまっていて、知識の統合ができていないのかな、と。つまり、解説を見ればどのステップも理解できているが、自分でゼロから問題を解くことができないという状態です。テストを受けたときにそのことに気がついて絶望し、解説を見て「この問題解けた…」と思い込んでまた絶望するよくあるアレですね。またまた、試験前にとりあえず量をこなせばいいやという考えからひたすら難しい問題に手を出していっているように見えました。その点、日本の大学受験で要求される記述式の試験は良いものだと思いますし、だからこそ日本人は数学ができるなんて言われるのかもしれません。
ただ、私のとっているMath103は結構数学が苦手な人が集まっている授業ですので、もっとレベルの高い授業をとっている人はまた違うと思いますし、「アメリカ数学教育の問題」なんて強引な一般化は限りなく黒に近いグレーゾーンです、てへ。
○HIS220/ CHIN210 Chinese Culture
中間は試験ではなく7ページの課題でした。課題は、それまでに授業で扱ったものと、中国の時事問題を関連させてなんでもいいから書けというものでした。私のペーパーのテーマは、中国の教育と試験の関連を、孔子の時代から現代にわたってまで、儒教道徳ベース?(科挙の導入)?知識ベース?(海外留学ブーム)?創造力ベースの3つに分けて書いてみました。
ではでは評価と先生のコメントをのせておきましょう。
評価 B+
A decent effort here. Your summary of these transitions between different stages in learning is interesting, and I like the way you break it into these different categories. At the same time, are these stages really separate? Confucius wouldn’t have completely separated morality and knowledge (as one had to know how to be moral, and much of that knowledge was located in texts). Likewise, the exam system did create a certain type of morality. 1) There was the notion that if one learned these texts one would embody their ideas and 2) the discipline to master all this knowledge was morally significant as well. Whether is worked out this way is a different question. One larger criticism is that there’s too much summary here. I would have liked to see more focus on your most original idea, namely the transition to a focus on creativity. Do you see any evidence of this happening? Or are there just complaints that it hasn’t happened. What would this new exam look like? The SAT(R) may test a certain type of aptitude, but it certainly doesn’t test (or reward) creativity. So, this is a solid paper but there’s also room for more of your own creative thought here. Grade: B plus
…とのことです。50人分のペーパーにこれだけ細かいコメントをつけているなんてすごいですね。
内容は、「よく頑張りました。テーマはまあまあ面白いけど、自分の道を突き進んじゃって事実を無視しちゃいましたね。さらに言わせてもらうと、要約部分多くて君がどう考えたのかがよく見えないよ。まあ次頑張れや。ほい、B+。」みたいな感じです。成績の分布的にはちょうどクラスの真ん中でした。
○ペーパーを書くこと
教授のコメントももちろんとても役に立つのですが、ペーパーを書く段階で色々な人のアドバイスをもらったことは、そのペーパーだけでなく次のペーパーにも役に立ちます。今回のペーパーではWriting Workshop, Writing Partner, TA,姉にアドバイスをもらいながら書きました。
なんだかんだ姉からの、
① 読み手を把握して、読み手が面白いと思うテーマを設定する。
② そのテーマを常に頭におきながら書く。
という一般化されたアドバイスが次のペーパーを書くときに一番役にたちました。何にでも言えることですが、一般化して頭の中にしまっておくことは後々いいことがあるものです。私も受験勉強の時には、どの教科でも個々の問題を解いた後で何か一般化できるコツみたいなものをメモするようにしていました。格言なんかもそういう個々の事象の一般化から生まれた類いのものなのかもしれません。
<HIS 220 授業>
やっぱり人数が多いので講義主体ですが、今回もこの教授、やってくれました。今回は教授とTAのコラボレーションによるプチ天安門事件再現でした。
その授業の前日にTAから「明日天安門事件の再現をするから、それぞれ準備しておくように。ターゲットは教授!だけど詳細はヒミツ!」というわけのわからないメールが来ていました。それに加えて、その日の授業では天安門事件に関するリーディングが事前に課されたのですが、なぜか一つだけ古代中国の兵法に関するリーディングがありました。なんだこれ、なんだあのメール、なんて思いながらもとりあえず読んで授業に臨みました。
○授業にて
授業の途中で先生が、
「ではこれから兵法のリーディングに関して課題を出します。来週までにこのリーディングの文章と私の解説を全て覚えてくること。来週からは全て暗唱テストとし、これは成績の90%を占めることにします。シラバスは変えます、hehe。」
と言いました。最初聞いたときは、これは私が英語を聞き間違えているんだ☆なんて思っていましたが、そんなことはありませんでした。TAのAdamがバンと机をたたいて、「そんなのは不公平だ!教授という権力をふりかざしやがって!」と言い始めました。するとポカーンとしていた学生たちが、ああこれが昨日のメールで言っていたことか、と気づき始め、わーわーととりあえず何かを言っていました。Chrisという学生は、文化大革命のときに資本家などが首から下げさせられたプレートみたいもののレプリカを予めダンボールで作って教授の首から下げたりまでしていました。ただ、私を含めほとんどの学生はオロオロあたふたするだけ。しかしこのオロオロあたふたを教授は味わってほしかったようです。文化大革命は中国の抗議運動の中でもかなり大規模なものですが、だいたいの学生はたじたじしつつ、何が起こっているのかもわからないまま、とりあえずわーわー言っていただけだった、ということを伝えたかったのだと思います。
○欠点
良いことばかり書くのもなんですからちょっとだけ不満を書くと、やっぱり人数が多いと短いリスポンスペーパーの扱いが適当です。初回のリスポンスペーパーは末尾にチェックだけでしたし、二回目のリスポンスペーパーは”some interesting points.”にチェックだけでした。もっとなんか書いてくれよと思いましたが、そういう人のためにオフィスアワーが設置されているので、なんだかんだ良くできた制度です。…あれ、批判になってないですね。
○Dance100
さてさて、danceの授業なんてとりやがっておぬしペーパーから逃げとるな、なんてお思いのかたもいらっしゃったかもしれませんが、そんなことはありません。ダンスの授業も5~6ページのペーパーを2回書かなくてはいけませんし、ペーパーの質問が漠然としていて何を書けばいいのかがよくわかりません。初回のペーパーの質問は「Ping ChongのモダンダンスとBalanchineのバレエを見て、授業/リーディングで習ったことをもとにペーパーを書け。」というもので、もうどうしたものかと思いました。とりあえず食材は与えてやったからあとは自由に料理をしたまえ、何料理でもかまわんがおいしいのを期待してるぜ、という感じの自由さ、適当さでした。
○Danceのペーパー
歴史のペーパーのときと違う点は、歴史が文献分析がもとなのに対して、ダンスの授業は視覚的な分析がもとになっているということだと思います。視覚分析なんてやったことあんまりないから書けないよう、なんてはじめは不安に思っていましたが、授業中のディスカッションで他の人がどのようなところに目を付けているのか、リーディングでどのようにダンスについて書けばいいのかということがわかるので、途方に暮れることはありませんでした。
私はdancer/audienceの両方に対して、2人のchoreographer(辞書を引いたら『振り付け師』と出たのですが、ちょっと違ったニュアンスな気がしなくもないです。)が全く違った方向の仕掛けをすることを通して、どのように共通のテーマであるphysical/metaphysicalの事象を取り扱っているのかということを書きました。姉からもらったアドバイス①②に注意しながら書いたところ、なかなか良い評価がもらえました。
では教授からのやや短いアドバイスをどうぞ。
Paper grade: A
Comment: Your paper was a good comparison of the choreographic approach of used by Balanchine and Ping Chong. We do recommend that you attend the writing so that your sentence structure and use of vocabulary allows your ideas to be communicated more directly.
うむ、やっぱり歴史の先生と比べるとちょっとコメント少ない…しかも後半はwriting workshop行けよっていう提案だけだし…提出する前にwriting workshop行ってコメントももらったのに…ブツブツ。
と、いう私のような生意気な学生のために、教授はクラス全員にoffice hourを設けて、paperについて直に話し合いました。(歴史の授業のペーパーのoffice hourは任意です。)このとき言われたのは、とりあえずwordyだということです。テーマは良いからもっと簡潔に書いてくれや、ということでした。
クラスの大半がBかCをもらったとのことなので、英語のうまさよりもアイディアに評価をおく姿勢があるのかなあと思います。決して私自身のアイディアが評価されたのではなく、ペーパーに現れた私のアイディアが評価されたというところに注意してください。つまり、私自身が創造力にあふれている必要は(成績上は)必ずしもないのです。逆にどんな創造力があっても、それがペーパーに書けなければ(成績上は)意味がありません。
○生徒の意見の反映
ついでにこのoffice hourで授業についてなんでもいいから意見を言えと突然言われました。いきなり聞くなんてちょっと反則ですよ、なんて思いながらも、①先生だけの意見じゃなくて、授業中にもっとお互いにアドバイスを出す方がいいんじゃないか、初心者のダンサー同士だからこそのアドバイスも出せるんじゃないか、②先生たちってどんな準備体操してるんですか。授業中にいろんなこと習いましたけど、いろんなダンスで共通しているところ/違うところもありますし、それらを繋げるような準備体操できたらいいですよね。なんてことを適当に話しました。
するとすると。次の授業で早速Sandyという教授が「はい、今日の授業はペアになってお互いに意見を出しながら授業を進めていく形式にします。」と言って、授業の形態を全く変え、Bachierという音楽の先生は「はい、次の火曜日までに今まで習った準備体操を組み合わせて、一人30秒の準備体操を自分で選んだ3つのtime signatureの違う音楽にあわせてつくりあげることー。発表会するから頑張ってね。」という課題を出しました。
どちらの教授もそれを言った後にニヤリとしながら私の方を見ていました。ニヤリ返しました。
こうやって生徒の意見を即座に授業に反映しちゃうところがリベラルアーツだからこそできることなのかなあと思います。
○クラスグレード
ダンスの授業は授業中に実際ダンスもしますので、その成績も出されました。
では教授のコメントを。
Class grade: A-
Comment: Everyone agrees that you are doing very well in class! Please continue to work with the focus and enthusiasm that you bring to learning about dance.
*この授業は6人の教授から習うので、“everyone”という表記になっています*
始めはダンスなんてできるのかしらーなんて思ってましたが、いかんせん英語ができないから英語がいらないところで頑張るしかないと思って色々やっていたら、毎回の授業でのお手本4人に選ばれるまでになりました。必死になってみるものです。
○Art History
Paper grade A-
さてさて先月号にのせた信じがたいほど長い問題文のペーパーです。先生のアドバイスは実際のペーパーに鉛筆で色々と書かれていたので省略しました。ごめんなさい。実際字がちょっと達筆(?)すぎて読めなかったという事情もあったりします。
この教授のコメントも、なかなかアイディアはよかったから英語頑張れや、というものでした。
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◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活~日常編:アメリカと日本~
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◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活~日常編:アメリカと日本~
<日常編>
日常編では色々な経験のもと考えたことを書いていきます。ほんとに徒然なるままに書いたので、話が脱線しまくっていますが、これも顔文字のかわいらしさに免じてお許しください(*゚ー゚)v。
前半は、学生生活を送る中でアメリカについて思ったこと、最後の方はアメリカに来てみてから日本について思ったことについて書いています。
全体的に経験談形式です。
[アメリカ編]
○Ask
“Everybody is willing to help you... only if you ask them.”
・・・と、いうかっこいい言葉はもちろん私の言葉ではなくて、ARTHの先生の言葉です。
彼女がこの言葉を送ってくれたときは、助けやら協力を求めるという意味でのaskだったのですが、アメリカに来てから、1.質問をするask, 2. 助け・協力を求めるask, 3.日常面でのask の3つが大切、というかこれができなければどうしようもなくなることがわかりました。
1. 質問をするask
① 授業に関する質問
“If you come up with a question during the class, there are at least two students who have the same question. Don’t hesitate to ask.”
と、いう言葉も私のではなく、数学の先生の言葉です。
数学に限らず、授業中に質問をすることは自分だけではなく他の人の理解も助けになりますし、教授としても学生がどのようなところにひっかかっているのかがわかりやすいので、授業中質問をすることは奨励されます。と、いうか質問をしないといない人間とかわりません。私はある日の数学の授業でなにも言わずに授業を受けていたら、授業の最後に中間テストが返されたときに、”Miho?今日いたかしら?”と教授に言われ、(12人くらいのクラスです。)ああ、質問しないとこうなるのかと思いました。
また、質問をしようと思って授業に臨むと授業に対して自然と集中することができるので、やはり質問は大事ですね。
2. 助けを求めるask
冒頭のARTHの教授のおっしゃった通り、リベラルアーツの学校はものすごく制度がしっかりしています。いくつかご紹介します。
①Writing Workshop
Writing workshopは学内に3箇所設けられていて、トレーニングを受けた学生がペーパーの相談やら添削をやってくれます。さらに、私のようにペーパーを書くことに慣れていない人は、Writing Partnerといういつでもどこでも相談に乗ってくれる個別のパートナーをつけることができます。私は基本writing partnerに見てもらっていますが、内容面に関しては、教授やTAに見てもらっています。
② Study Skill Session
これは二人の学生が、週1回のペースで勉強のストラテジー面(Time management, Note taking, Writing, etc.)を30分程度プレゼンテーションをするものです。学生だからこそ、どのようなところに他の人がつまづくのかもわかりますし、現実的なアドバイスをくれます。
③ Tutor
どの授業でも、チューター(たいていはその授業を過去にとったことがある学生)をつけることができます。1on1で話すので、自分がどれだけ理解できているのかがわかります。(人に話してみると、わかったつもりになっていたことが実は全くわかっていなかったなんてことがわかるっていうあれですね。)
④ オフィスアワー
これ有名ですよね。TOEFL(R)TESTのリスニングセクションとかでもなぜか必ず出てくる、悩める学生と、時に優しく時に厳しく、建設的な意見を出す教授というシチュエーション。まああんな感じです。
強いていうなら、人文科学系の教授のオフィスアワーにはたいていペーパーの相談をしにいくことが多いと思うので教授とふたりきりですが、数学のオフィスアワーの場合は、その時間にきた学生みんな一緒になってあれやこれや話し合ったりします。
他にもAcademic Resource Center, Math and Science Resource Centerその他諸々がありまして、非常にサポート体制は充実していますし、これらのサポートは全てタダで受けられます。(学生のアルバイト料金は学校が出します。)
が、始めのARTHの教授のお言葉通り、自分から助けを求めないと、何もかわりません。主体的に関われば関わるほど、得られるサービスも増えます。
3. 友達にask
タイトル適当ですね。まあ要するに、日常会話で相手について色々尋ねることの大切さです。
私は始めのうちは、英語が話せないから黙ってることしかできないと思っていたのですが、路線を変更しました。
とりあえず質問をして、あとは笑顔で聞き手にまわろう、と。
みんな話すのが好きなので、私が一つ質問をするだけであれやこれやと教えてくれます。(時々”How about you?”なんて聞き返されるので気が抜けませんが。)
相手のことを知っていくのはとても面白いことですし、相手としてもこいつは自分に興味を持ってくれているのか、と思ってくれる(と嬉しいのですが)ので、日常面でも質問って大事です。
○失敗を活かすこと
失敗は成功の糧
と、いう言葉も私の・・・(略)、私の小学校のときの先生の口癖です。
失敗を失敗としてとらえていると、失敗すること嫌になりますよね。少なくとも私は嫌です。私の場合、失敗を成功の糧として捉えてみると、失敗してもこれを絶対活かしてやるって気分になるので、そういう風に考えるようにしています。
アメリカ来てから、やっぱり失敗することも結構多いのですが、それがいろんな形で次の成功に繋がったりしました。2つほど、私の経験をご紹介しようと思います。
1. わかってるのに・・・
失敗1 “It is the opposite.”
これは歴史の教授が、授業中に私を当てられたときの私の答えに対して、さらりとおっしゃった言葉です。
中国史の授業はあらかじめdiscussionでの話題が出されて、先生が授業中にアトランダムに指名したり、学生が手を挙げたりするなかで進みます。
ある日、私はそろそろ自分もあたるんじゃないかと思って、かなり事前から授業の準備を始めていました。そのために授業の時には前の方に読んでいた文献の内容がうろ覚えになっていました。ありがちです。そのために、いきなり前の方の文献について尋ねられたときにびっくりしてしまって、間違えて後の方の文献に書かれていたことをぺらぺらと話し始めてしまいました。その結果”It’s the opposite. Did you read the text?”と言われてしまう始末でした。落ち込んでしまって、もはや授業に集中できず、授業の後半のopen discussionでせっかく用意していたことを言うこともできず、黙っていました。悪循環ですね。
失敗2 “ニヤニヤ”
擬態語です。数学のオフィスアワーのときに、Mpaza(パザと読みます)という少年が私に向けた表情を表してみました。
前述したように、数学のオフィスアワーはその時間帯に来た人皆で同時に話し合います。その時のオフィスアワーには、先生、John, Mpaza,そして私がいました。(先生とJohnが白人、Mpazaが黒人、私が黄色人種ということで、三色人種コンプリート☆なんてわけのわからないことを考えていました。)
そこで皆で一つの問題について考えていたのです。何の質問かは覚えていないのですが、ものすごく簡単な質問を先生がしたのです。なんだめっちゃ簡単じゃんと思って答えようとしたときに、なぜか「割る」という言葉の英語が出てこなかったんですよね。いや、普通にdivideだろって今なら言えるのですが、そのときはなぜか”subtract”が出てきてしまって、頭の中でsubtractの行進なんかもはじまって、divideが全く出てこなかったんです。
そんな感じでもごもごとしていたら、Mpazaが”It’s so easy… DIVIDE BY 3! ”と元気よくニヤニヤしながら言いました。そして「ニヤニヤ」の光線を送り続けるMpaza。その後のオフィスアワーではずっとMpazaのニヤニヤ攻撃を左頬に受け続けました。わかってるのに、英語で表現できないとわかってないと判断されるんだなあ、ああ、ニヤニヤしやがってちくしょう、なんてしょんぼりしてました。
これら二つの失敗をもとに、「読んでるだけ、わかってるだけではだめで、それを実際の授業で正しく英語で発信することが必要なんだな」と思いました。
3.糧 “Great job, Han Fei Zi”
さてさて、そんな二つの失敗から教訓を受けた佐久間は、この失敗を活かす機会はないか、と虎視眈々とそのときを待っていました。
ある日の(というか前述した)HISの授業のディスカッション。(授業編に詳細があります。こうやってどっちも読ませようとするなんて姑息ですね。)私はHan FeiZi(韓非)の班になりました。韓非子に関しては、その前のリーディングの課題で”Two Handles”という文献を読んでいたので、それを基に話し合うことになります。Two Handlsには①為政者は賞と罰を与える権利のどちらも持たなくてはならない。②人民は各々の名前に見合った行動を過不足なくとらなくてはいけない。という2つのことが書いてありました。
グループでのディスカッション(7人でした)が始まったときに、とりあえず我先にと皆が話し始めるので、とりあえず黙って聞いて、どっかで自分の意見をすべりこませようと思っていました。皆が言いたいことを言っているのを聞いていると、①の罰と②の名前にみあった行動に関してはカバーできているのですが、①の賞についての議論がされてないなあということに気がつきました。「わかってるだけじゃだめなんだ、言わなくちゃ」と思って、えいやと思って②の賞を与える権利について議論がなされていないこと、賞についてこの事例だったらどうやって応用できるのかについて話してみました。何回噛むんだこいつ、てくらいカミカミでしたけど、皆必死に聞いてくれて、それを基にまた議論を続けてくれました。結果、最後の各班の発表のときに、先生からは”Great job, Han Fei Zi. You guys covered three important points of his thoughts.”とおっしゃっていただけました。
失敗は成功の糧
です。
2. 的外れな質問
DANCEの授業で、Ping Chongの劇団員の方が公演の前にお話に来たときに、皆で円になって色々と質問をしました。なんとなく会話が途切れたので、質問すること大事って誰かが言ってた!と思って、
えいやー
っと、あまり深く考えずに質問したところ、もともとの質問自体が良くなかった上に、英語でうまく表現できず、私自身わけのわからない質問になりました。場は凍りつき、先生の顔の微笑は苦笑にかわりました。劇団員の方が”Part of the answer to that question might be…” といって、話を続けてくれました。(要するに君の質問よくわからないよ、ということですね。)そのときの皆の「あっちゃー、あの子やっちまったー」という雰囲気が本当にしみて、もう質問なんてしないやい、と思ったのを覚えています。
しかしなんだかんだで、良い質問ってどんなのができたのかなあなんて考えながら、その晩の演劇を見ました。
次の日に朝ご飯。紅茶でもおかわりするかー(ほんとはおかわりはだめですけどね、気にしません。)なんて思いながら食堂を歩いている(ちなみにWilliamsはメインの食堂が3つあって、どれもものすごくおいしいです。おかげさまで太りました。しかしかなり良いジムもあります。おかげさまで痩せました。)と、なんと前日質問に優しく答えてくれた劇団員の人が近くで食べているではありませんか。これは昨日演劇の間に抱いた質問をするチャンスではないか、と思ったのですが、いかんせん前日の失敗のせいでなかなか勇気がでません。
すると劇団員の人が、「ああ、やってしまった子じゃないか」という感じですぐに気がついてくれ、「君のことは覚えているよ。たくさん質問を受けたけど、君のはある意味一番印象的だったからね、ハハ。ところで昨日の演劇どうだった?」と話しかけてくれました。もう君にはどんだけ変な質問をされても驚かないよ、という雰囲気だったので、失うものは何もないと思って質問をしたところ、「君…それはまさしくPing Chongが望んでいる視点だと思うよ。」なんて言ってくださって、ついでに色々と舞台裏なんかも教えてくださいました。
<脱線-東大の成績発表と愚痴>
○夏学期成績発表
さて、脱線して、東大の話でもします。東大の夏学期の成績は10月3日に発表されます。文系は7月に試験が終わるのになぜ、とお思いかもしれませんが、試験は全員共通の英語1以外はすべて記述式なので、採点にかなりの時間がかかるということがあるのだと思います。正直知りません。
私もドキドキしながら日本時間の10月3日の夜中0時にアクセスして、(実際の発表は朝の10時でちくしょうなんて思いながらも、)成績を見ました。
成績は優・良・可・不可、主題科目は合格不合格で出ます。確か優3割規定なんていうのもあった気がしますが、もはやあまり覚えていません。受験期とは違い、周りがすべて東大生という環境下です,haha.
私は可もなく不可もなく、とりあえず80点をとれていたので、まあこんなもんか、と思っていたのですが、成績表の下の方を見ると「不合格」の文字があるではありませんか。
○学術俯瞰講義 そして愚痴
なんと主題科目が不合格でした。
(少し東大批判的なことを書きますが、これはあくまで主題科目で不合格をとった人間の負け惜しみだと思って、嘲笑しながら読んでください。)
以前東大の授業について紹介させていただいた時に、まあ別にいいやと思って省いた科目に主題科目というのがあります。
主題科目のうちにも、全学自由研究ゼミナールとか色々とあったのですが、忘れました。詳しく正しい説明は東大のHPにお任せします。
私は主題科目のうち、学術俯瞰講義というものをとりました。この授業は一つのテーマに沿ってたくさんの教授が授業を展開するオムニバス形式の授業です。履修する人が多いために、メインの会場だけでなく、別会場で生中継をしながら流します。この授業には試験がなく、学生証を毎回スワイプして、A5くらいの用紙にその日の感想やら何やらちょいちょいっと書いて提出すれば(寝ていてもジャンプ読んでいても内職していても(ノンフィクション))合格が出ます。
私は、学生VISAをとるために一回、七帝戦(部活の試合)に出るために一回、寝坊が一回、授業に「聞いていない授業に出るのは意味がない。」と思って、ツベルクリンの注射を受けにいった結果欠席扱い一回で、休んだ結果不合格になりました。不合格になった原因は明らか(出席重視の授業に出席しなかった)ですし、やっぱり授業中に注射なんて受けにいっちゃだめですよね。
いやしかし、そもそも学生証のスワイプしかしないというところで、生徒を番号として処理してるんだなあなんて思ったり、事前に七帝戦に出るための公欠をお願いしたときにシステム上そんなものはないとさらりといわれ、頭かたいぜ、と思いました。
まあ不合格をもらった人間の負け惜しみです。
いやしかし、東大の制度には疑問を持つところがなくもないのですが、東大の先生、そして友達はすばらしい人ばかりでした。ヨイショじゃないですよ。
閑話休題
<言葉で説明すること>
“We need a good writer.”
Sandraというdanceの教授のお言葉です。
日常生活で起こることって一瞬のうちに過ぎ去っちゃうじゃないですか。でも、その事象を言葉で的確に残すことができたら、時間と場所を超えて、たくさんの人と共有できるってちょっとすごいですよね。
別に学問に限らず、私はこういう言葉のすばらしさみたいなものを日常生活でいつも感じます。
① カレーの味
卑近な例を一つ。
東大のときのクラスの女子で、(37人のクラス中6人しか女子はいませんでした。)女子会なるもの(要するに女子だけでご飯を食べにいく会)をビュッフエ形式のところで開いたときに
カレー
が、あったんです。立て札がなかったので、何カレーかはわからなかったのですが、まあ普通のビーフカレーでしょう、なんて思ってとりました。
これがまた、レトルトの味になれている私にはおいしいおいしい。なーんかビーフじゃない気がするけれど、レトルトと本物のビーフは違うからかな、なんて考えてました。
すると、一人の子が、
「これシーフードカレーだね。」
と言ったんです・・・。衝撃でした。そうか、これはただレトルトビーフとおいしいビーフの違いじゃなくて、もっと根本的なものであったか、と。
でもシーフードとして意識して食べると全然味が違って。もの自体は全然変わってないのに、言葉を介しただけで、全然受け取り方ってかわるんだ、言葉ってすごいなあなんて思いました。
②まとめ
今年の夏に先輩に言葉で的確にものを表すことの感動話をしたところ、「言い得て妙ってやつね。」とさらりと言われました。私のわけのわからない話を「言い得て妙」という概念でまとめあげた先輩の力量。先輩のその言葉こそ言い得て妙です、なんて思いました。
言い得て妙なこと、つまり事象を的確簡潔に表現する練習を、多角的な面や方法から今自分はしているのだと思います。
さてさて、最後にまじめに今までの生活全般の話をしようと思います。
○環境に飛びこめ
”Strikingly optimistic people with enormous ambition”
私の友達がとある経済投資クラブの学生たちを形容した言葉です。
私日本人って頭いいと思うんですよ。ただ総じて、彼が言うようなあふれんばかりの野望と楽観思考に欠けている気がします。行動になかなか起こさないというか。頭がいいからこそ先を心配してしまうのかもしれません。
留学したいけど、勇気が出ないなと言う人がいますが、勇気なんかださなくていいんですよ。ある程度の英語力つけてからーとか考えずに、とりあえず、淡々と留学するのに必要な英語力だけつけて(=toeflとかSAT(R)で最低限の点数出して、)とりあえずアメリカ来ちゃってみる、っていうのもいいと思います。私自身そうでしたし、それでよかったと思っています。
私自身思うのは、できない分だけ伸びしろもあるということです。私にとっては、ただの日常会話でさえ勉強になりますし、知らないことが多い分だけ一つのことから学ぶこともたくさんあります。
「英語できないくらい言えるだろ」
私が最も影響を受けた人の一人である姉の言葉です。私がアメリカに来て、何もできず姉にひたすら電話をかけたとき、周りの人に相談するようにアドバイスを受けました。そのときに、そんなことできないよ、と言ったところ、
「英語できないんです。どうすればいいですか、くらい言えるだろ。」
の一言。
・・・・言える。
って思いました笑 その時に気づいたのは、私を縛っていたのは私の英語力なんじゃなくて、私の英語ができないと思ってる思考なんだな、と。実際教授とかに会いにいってみても、一言話すことさえできれば、意外とペラペラ話している自分がいて、教授にお前英語話せるじゃねえか、とつっこまれたくらいでした。
○Necessity is the mother of invention.
格言です。
私は小中高日本の教育で育ってきたので、英語は科目としてやってきましたし、受験が終わってからは、大学の授業でちょいちょいやっていました。
そんなわけで、留学した直後は、「うわー、こいつら英語喋っとるー!笑」という、わけのわからないことに一人でツボっていました。
当たり前じゃん、っていう。
でも英語しか周りとコミュニケーションをとることができないので、やっぱり必要に迫られると吸収も速くなりますし、日本の英語の授業では絶対出ない難しい文献を膨大な量読むということも、「できて当然」という環境下にあるので、できないことなんか考えずに毎回仕上げます。少人数であるだけに、落ちこぼれられないんですよね。
○終わりに
今回の記事ではひたすら人の言葉を引用しました。
このことからもわかると思うのですが、私が学んだと思えることって、人との関わりの中でのことが多いです。今までもこれからも、人とのつながりを大事にしたいなあと最近ひしひしと感じています。
Williamsでやっていることが日本でできたら、間違いなく日本はかわると確信しています。しかし、Williamsでやっていることがそのまま日本でできないことも、残念ながら、間違いなく確信しています。私はWilliamsに来て、もちろんつらいこともありましたし、日本に帰りたいなあ、なんて思ったこともあります。ただ、留学を後悔したことはありません。
記事だけでは伝えきれない良さ悪さがたくさんあるので、もっともっとたくさんの日本人に実際に出て体験していただきたいと思います。できれば長期で。・・・まあ2ヶ月しかアメリカにいない私が言うのも変な話なのですが笑
ではでは。ものすごく冗長になってしまいました。
11月号はThanks Givingについて、Readingをすることについて書く予定ですので、11月下旬の更新になると思います。これだけ長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございました。
追記:以前紹介させていただいた、Agos卒業生で現在イエール大学に通う田口君が中心となってつくりあげた留学情報サイト"Go Study Abroad!"に大学留学に関しての多くの有益な情報があります。[私もエッセイ体験談集のところに体験談をのせています。(とちゃっかり自分の宣伝をします。姑息ですね!)]
是非ご覧になってください。
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◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活~授業編:教科書は原書とCoursePacket~
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◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活~授業編:教科書は原書とCoursePacket~
10月になりました( ´ ▽ ` )ノ!
・・・って顔文字使ってかわいこぶってもちょっと苦しいですよね。
すでに11月になろうとしていることはわかっています。顔文字のかわいらしさに免じて許してください、佐久間です。
9月号のときは、ネタも切れるだろうし、小出しにしとこう…と書いてしまったのですが、杞憂でした!毎日発見ばかりです。Deanの方に、毎日思ったことを書き留めなさい、というアドバイスを受けましたので、まじめに毎日ちょいちょい思ったことを書いていたのを色々とお伝えしようとしたところ、非常に長くなってしまいました。(前回の五倍です。)
と、いうわけで今月号は9月号で予告していた授業編と徒然なるままに書いた日常編の2部構成です!
<授業編>
さてさて、授業編です。真面目に紹介していきますね。
(全般)教科書は原書とCourse Packet
どの授業でも重すぎて教室に持っていけません(そして実際持っていきません。)というくらいの教科書があります。(人文科学と社会科学の教科書は原書です。私が持っている教科書で一番長いのは1200ページ(Owen)のものです。)
それに加えて特徴的なのは、教授がその授業にあわせてCourse Packetを用意していることです。Course Packetとは、様々な文献から授業に関係ある部分のみをコピーして一冊の教科書に教授がしたものです。(著作権は大丈夫なのだろうかなんて思いますが、多分大丈夫なのでしょう。知りません。)
全体的には少人数Discussion形式ですが、クラスによって形態は全く違うので、
これから私がとっている4つのクラスについて個別に紹介していきたいと思います。
Math 103 Calculus MWF 9:00~9:50
<概要>
この授業は微分を主に扱う授業です。日本の大学を受験するときに微分は習ったのですが、受験後に学問としての数学に全く触れていなかったことと、数学を英語で勉強したことがほぼなかったので、(SAT(R)のmathのために必要な分の数学単語を覚えて、受験後にすぱっと忘れました。)基礎からやろうと思ってとりました。(地味にdivision3(自然科学)を満たすためにとったというのもあったりします。二年生の終わりまでに最低2つは自然科学の授業をとらなくてはいけません。)クラスはlecture形式ですが、人数が15人程度で先生の質問に生徒が自主的に答えていくことで授業が進みます。ちなみに指名されることはまずありません。
<数学は世界共通?>
数学は世界共通言語だなんてよく言われますが、共通の記号を使っていても表し方の違いがあります。例えば初回の授業で、x=[4,8] とか(∞,8) という記号が出てきて、恥ずかしながら何のことやらよくわかりませんでした。(ちなみに前者は4≦x≦8 , 後者はx<8 のことです。)同じことを表していても、違う表し方をされるとわからないものです。
また、よく知られていることですが、分数の読み方も日本とは逆です。たとえば、3/4は、日本語では「4分の3」ですが、英語では”3over4”です。
そっちかーい…って始めは思いましたし、今でもなかなか慣れません。特に書くときは、分母から書くことに慣れてしまっています。
(余談ですが、HISの授業でMalcom Gladwellの中国の農業と数学に関する論文を読んだときに、この分数の読み方の違いについて色々と書いてありました。なかなかつっこみどころ満載の論文ですが、全然関係のない分野がこんな風に繋がったりして興味深いです。)
<質問>
このクラスの面白いところは、生徒が数学の根幹部分の質問をするところです。微分でも、「なんで突然放物線の傾きなんて求めなくちゃいけないんですか。」なんていう、適当にはいくらでも答えられるがまじめに答えると時間がかかるぞ的な質問を繰り出します。先生がさばくのもうまいので聞いていて楽しいです。また、生徒が生徒の答えに対して質問したりします。私が先生の質問に答えたときも、「なんでそういう答えになったのか説明して。」と突然聞かれて、やめてーと思いながら適当に答えました。
<課題>
先生の提供する課題がなかなかおもしろいです。数学の授業なのに毎回reading課題が出ますし(数学の定義などのパートと、数学の歴史的な側面のパートがあります。)、毎回の宿題に加えて、金曜の授業の後に出されるQuizの第二問はconcept questionという、なぜその定義が正しいのか、とか、この定義の逆が成り立たないことを証明せよ、ということを問う問題が出ます。これがなかなか良問で、きちんと定義をわかっていないと解けないようになっています。
<課題文献>
さらにさらに数学に関する記事なんかも渡されます。この前の授業で渡された、”What is mathematics for?”というA4、3ページくらいの記事がなかなかおもしろかったです。(数学なんて仕事と関係ないからやっても意味ないじゃないという思考に疑問を投げかける論文でした。仕事に役立たない→やる意味がない、と考えるよりも、単に数学が楽しいからやる方がステキじゃありませんか。という内容でした。いいこというなァ。)
<カリキュラムの違い>
カリキュラムの組み立ても日本とは違うので、今までとは違った角度で微分をとらえることができて新鮮です。例えば、日本で微分を習ったときには、関数の連続性についてはあまり触れませんでしたが、アメリカでは微分を扱う前に、合成関数の連続性の証明まで済ませてから、微分の授業に入ります。微分を習ったことがある人は積分やら二変数関数の微分の授業から始めなければいけないのですが、こういうカリキュラムの違いを踏まえると、この授業にしてよかったかなと思います。
HIS 220 Cultures of China: Conflicts and Continuities
<概要>
この授業はもうとにかくよくここまで教授が準備したなあと思うくらいうまく構成された授業です。Origins, Language, Learning, the Natural World, Youth, Order and Control, Protest, Reclusion, “War, Violence and Disorder”, “Passion, Negotiation, and Heartbreak”, The Cultures of Romance, Commerce, etcという風に多角的な視点から、様々な文献を読みつつ、古代から現代までの中国について学びます。
<課題図書>
この授業で特徴的だと思うのは、Primary resources、つまり原典を読むことです。例えば、初回の授業のreading assignmentは、
“Heavenly Questions” (CP, Hawkes, 122-151) “She Bore the Folk” (Owen, 12-15) “Shiji 6: The Basic Annals of the First Emperor of the Qin” (CP, Sima [Qin], 35-83) “Legends of Confucius” (Mair, 234-241) “Shiji 8: the Basic Annals of the Emperor Gaozu” and “Shiji 16: Reflections on the Rise of Emperor Gaozu” (CP, Sima [Han], 51-88) “The Curly-Bearded Hero” (CP, Minford, 1057-1064) “The Divine Announcement” (CP, Lu, 1-4) [CPはCourse Packetです。]
という感じでしたが、この時は特に原典が多かったので、正直退屈だなあなんて思いながら読み進めました。(仕舞には原典をググって日本語訳を読んでから英語に目を通したりしました。秘密ですよ、ニヤリ。)
<原典を英訳で読むこと>
正直言って、原典を英語で読むのって微妙だと思います。例えば、原典では「如何。」と書かれていても、英語訳では”What’s this!?”となっていました。いや、What’s this!?ではないだろう。少なくとも「!?」はおかしかろう、違うだろう、なんて思ったのを覚えています。
そうであっても、解説を読んで考えるよりも、原典を読んでいろいろと考えることは、分析力を高める上で必要なことだと思います。
<授業形態>
授業は講義半分、discussion半分で進みます。教授は毎回のdiscussionに備えて問題をメールであらかじめ送ったりします。
Learningの授業のdiscussionの問題からいくつか例を挙げたいと思います。
1What kinds of different approaches to learning in general do you find in the texts we’re reading for today? What similarities are there between different modes of learning?
2What do you think of the Thousand Character Classic, the Meng Ch’iu, and the Three Character Classic as educational tools? What sorts of knowledge do they convey? What types of educational structure might they require to be used effectively (keep in mind that they are intended for young children)? What types of educational values to they seem to embody?
3How is Wang Wei’s “Stopping by the Temple of Incense Massed” about learning? How does it conceptualize knowledge?
4What is the value of the “child mind” according to Li Zhi and Yuan Hongdao? How do you see these pieces fitting in with other models of learning we’ve seen? What similarities are there between these ideas and those of Zhuangzi?
5What similarities do you see in the basic approach to “learning,” if we may call it that, in the pieces by Li Zhi, Yuan Hongdao, and Zuqin?
こんなのを授業中にぽいっと聞かれます。正直言って、
知らんがなー・・・
なんて思いますが頑張って答えます。
失敗してしまっても、次挽回すればいいやという気合いでいけばいいと思います。(Discussionでの私の失敗については日常編に詳しく書いてあります。)
<ビデオ鑑賞>
また、たまにビデオ鑑賞もします。今まで”Hero”, ”In the heat of the sun”, “Blind Shaft”, それと“The Gate of Heavenly Peace”を見ました。(どれも授業外に時間をとって見ます。)登場人物が中国語で話している下の英語字幕を読みながら日本語で理解するというわけのわからないことをやっています。
映画を楽しんで見ていたら、”What did memory play role in “In the heat of the sun?”とまたまた、ぽいっと質問を出されるので、気が抜けません。もし、In the heat of sunを見た方がいらっしゃったらお分かりかと思いますが、教授の出す問題は表面的には現れていないものから出されます。ですが、自分で考えることは印象に残りやすいですし、その後で教授の説明を受けると、どういう風な視点で映像分析をすればいいのかということがわかります。
<Discussion>
結構大きなクラス(50人くらい)なのですが、少人数でのdiscussionをしよう教授の努力が垣間見れます。要するにグループ分けをしてその中でDiscussionをした上で、全体でDiscussionをするという感じです。
この前あった面白いdiscussionは、1989年の六四天安門事件のときに政府がどのように対応すべきであったか、ということを、孔子・孟子・荀子・韓非子・毛沢東の著作を基に、彼らならどうしたかということを班に分かれて話し合え、というものでした。画面に天安門広場に集まった民衆の写真が出されて、「大変だ!私はどうすればいいんだ、さあ孔子教えてくれ!あなたは何もかもご存知なんでしょう!」とか「さあ孟子教えてくれ。孔子とお前が違うことを証明してくれ。」なんてノリノリで先生が各班に質問を繰り出します。生徒も「ワタクシ孔子が思いますに・・・」とまたノリノリなのでDiscussionは楽しいです。これについても詳しくは日常編に。
<Writing>
短いResponse Paper (A4,2ページ)2つとLong paper(A4, 6~7ページ)の二つがでます。今のところResponse Paperと長いPaperを一つずつ提出したのですが、まだ返ってきていないので、これについてはまた次号でご紹介します。
<まとめ>
教授が出す問題は、どの問題も、単にテキストの抜粋とか映像で表面に現れていることではなくて、そこから自分で考えなければいけない類いのものであるという共通項があると思います。
ARTH 103 Asian Art Survey TTH 9:55~11:10
<概要>
この授業では、インド、中国、日本の芸術を比較しつつ学びます。今のところインドが終わって、中国に入ったところです。知識を得てから美術品を見ると全く違った視点をもてて楽しいです。
今まで美術館にいっても、「似たような仏様の像がたくさんあるなあ。・・・てか美術館ってなんか疲れるよな。」くらいにしか思いませんでしたが、今なら「urna(眉の間にあるでっぱり。これって髪の毛だったんですよ。)、ushinisha(頭のてっぺんにある出っ張り。元はターバンをひっかけるためにあったらしいですが、今では仏陀の知恵を表しているらしいですよ。)、そして耳たぶがのびているところ(仏陀は悟りを得る前には王子だったので、イヤリングをつけていたらしく、耳たぶがのびてしまったらしいです。)がiconographic traitsで、mudra(手の形)を見ることでこの仏陀がどんなメッセージを・・・(ブツブツ)」みたいなことができちゃいます。ちょっと気持ち悪いですね。(間違っていたらごめんなさい、かっこわるいですね。)
<課題>
この前出た課題は問題文がまるまるA4、3ページ以上で、二つの仏像の比較をせよという問題でした。その長過ぎる問題をのせましょう(ちなみにこれでも抜粋です)。
Read the following instructions carefully.
Two Buddhist images are on view in the Faison Gallery at the Williams College Museum of Art (1st floor). The first one is the head of the Buddha in grayish blue schist from the ancient Gandhara region of India, datable from the 2nd-3rd century. The second is a seated Buddha *Vairocana in gilt bronze made in China during the 14th century. Compare and contrast these two images. This is not a research paper; what you have learned about Buddhism and Buddhist art from class thus far should be sufficient as a basis for your analysis.
First, look at the artworks carefully, and then generate ideas by asking these questions of each of the images:
-Who does the image represent? What are the identifying marks (iconographic traits)?
-How effective is the artist in suggesting volume and qualities of the human form and its details (facial features, hair, and so forth)? How effective is the Chinese artist in suggesting the volume and movement of the drapery? Do the media dictate or affect the final artistic forms of the images and in what ways? Consider the lost-wax technique, which might have been used to cast the Chinese image, in contrast to the stone-carving technique used to create the Gandhara image.
-What is the ideal that the Chinese Buddha Vairocana represents? Is the artist successful in conveying the ideal and how? Without a body, does the Gandharan Buddha head still convey to you some Buddhist ideals and why?
-Take into consideration the images’ sizes and forms, and speculate on their original physical contexts. What purpose did the works once serve? To teach, to fulfill a service, to delight the eye, to express a feeling, to convey certain ideals, and to illustrate a story, etc. These are not mutually exclusive.
-What purposes do the Buddhist images serve now? Do their current physical location (in the museum), the way they are displayed (in a glass case), and its new functions and audience affect your appreciation of the images and the ideals the images represent, and in what ways?
うわ、問題長いと思うかもしれませんが、これだけ書いてくれていると、教授がアウトラインをくれているようなものなので助かります。逆にHISの授業で出た、「授業中に扱った範囲と現代の中国の問題を関連させてレポートを書いてね。7ページは書かないとだめだよ。」というのはもうどうしようもないです。TA,Writing Workshop,そして何よりもたよりになる二人の姉、そして母にメールをしまくってなんとかなりました、いや、なんとかしました。
<まとめ>
上のような問題も出ますが、基本は美術品の画像を見て、①名前②時期③図像的特徴④芸術的要素⑤美術史的文脈の5つを覚えまくる感じです。が、中間試験には「ヒンズー教について、授業中に扱った画像を最低4枚は用いて、論ぜよ。」というエッセイが出たりしました。やはりwritingは重視されるようです。
DANCE 100 Foundation of Dance TF 1:10~3:50
前回紹介したETA(Exploring the Arts)でStepやらIrish Danceをやったときに、お前ダンスの才能があるんじゃないか、この授業をとりたまへ、と先生に言われたのでとってみました。(単に人数が足りなかっただけなんじゃないかと思います。)この授業ではモダンダンス、アフリカンダンス、ピラティス、バレエ、アイリッシュダンスの基礎を習ったり(実際にスタジオでやります。スタジオが壁二面が全面鏡、もう二面がガラス張りで、ものすごくきれいです。)、それにまつわる文献を読んだり、ビデオを見たりした後にディスカッションをします。1回の授業が2時間40分もあります。
Williamsでは毎週の金曜の夜にプロの演劇団がやってきて、演劇を行うのですが、(学生は3ドル)、Danceの授業をとっているとその演劇がタダになったり、その演劇を見る前に劇団員の人とお話をすることもあります。この前はニューヨークバレエ劇団の方たちに来ていただいて感動しました。
もちろんWritingのassignmentもあって、中間として出たのは”Ping Chong(モダンダンス)とBalanchine(バレエ)の芸術作品の違い、その歴史的文脈について書け”という7ページの論文が出ました。社会科学系の論文とは、書き方、使う単語が違いますので、勉強になります。
PE (Physical Education) Intermediate Tennis TTH 11:20~12:35
各学期ごと2タームあって、卒業までに4ターム分の単位が必要です。
特徴としては、とにかく種類が豊富なところです。普通の日本である体育に加えて、スカッシュとかヨガとかクルーとかハイキングとかカヌーとか、もうとにかく豊富です。そして施設が良すぎます。体育館は競技ごとにどかーんどかーんとありますし、アイススケートのリンクとか、3階建てのジムとか、わけがわかりません。
<Intermediate Tennis> 1st quarter
授業の都合上、バドミントンからテニスに途中でかえたので、このクラスに入ったときはアウェイ感が半端なかったです。「なんだこのアジア人は」、「いつの間にきたんだ」、「入ってくんな奇数になるだろ」、みたいなまなざしを向けられて、あわわわと思いました。
しかしテニスをしていく中でどうも認めてくれたらしく、今や授業の最後の試合では、”Hey Miho! You can do it! Beat him!” “See?Your backhand is your weapon, use it!!”と応援してくれたり、テニスについて色々話したりしています。もはや道で会うとハイタッチしたりする仲です。人って不思議なものです。
○アメリカンテニス
日本にいるときは、結構試合のときはひよってしまって、ボールをコートにいれなきゃとか思ってましたが、今はその不安から取り除かれ、ばっこばっこ打ってます。アメリカ人っておもしろくて、多少出ちゃっても気にしないぜ!見たいな感じでお互いテニスをするので個人的にはとても楽しいですね。
○球拾いの自由
ほんとに些細なところにもアメリカの自由の精神を感じます。些細なところ、そう、球拾いです。私は小学校のときに女子スポーツクラブ(バトン回しからしっぽとりまで)、中学でバスケとハンド、高校大学でテニス部に所属したのですが、なんかどこでも、ボール拾い(しっぽとりの場合はしっぽ拾い)は皆でやるべきものだ!みたいな雰囲気がありました。ここではボール拾いでさえ、やりたい人がやってます。そしてボール拾いをしている人は、ボール拾いをせずに喋ったり部屋に帰ったりする人について、別にイライラしたりしません。拾いたくないやつは拾わなきゃいいんだよ、っていう。「下級生がボール拾えよ。」という暗黙の了解がなりたっていた環境で私は育ったので、とても新鮮です。
<部活>
ちなみにWilliamsは部活がものすごく盛んです。一日2回、毎日部活に所属している人は練習をして、週末は他大と試合です。
そしてやはり施設がいい。例えばテニスの場合、アウトドアが20面、インドアコートが5面あります。ナイター完備ですし、外コートはコート全体に響きわたるほどの大音量で音楽を流す設備まであって、テニスの授業中は皆でステキな音楽を聞きながら楽しく自由にテニスをしています。アウトドアのコートは周りが山なので、もはや授業というよりリゾートです。
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◇ 2011年8月 東大生の夏休み~いよいよ出国~
◇ 2011年7月 東大1学期を終えて~素晴らしい出会い~
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