◇ 2012年2月 ハーバード生の就職活動
◇ 2012年1月 ハーバード375周年
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◇ 2012年1月 ハーバード375周年
去る10月14日、ハーバードのキャンパスの中心部で大学創立375周年を祝う行事が行われた。毎年秋学期に、キャンパスの一部を使って学校全体の親善を深めるためのイベントが行われるが、今回のイベントは、いままでみたイベントの中ではもっとも盛大なもので、印象的であった。 (http://375.harvard.edu/homepage)
375年前の1636年といえば、日本では江戸幕府ができて間もないころである。Wikipediaによれば、日本ではこのころ、林羅山が昌平坂学問所のもととなった儒学の私塾を設けたという(1630年)。当時のハーバードは、学校のもともとのモットーであったveritas christo et ecclesiae (truth for Christ and the church)からわかるように、現在よりも宗教色の強い教育機関であった。学問を通して真理を追究することが、想像主の存在をより明快にするものであるという信念があったようだ。
今回のイベントの目玉は、一辺5メートルもある巨大なH字の形をしたケーキである。草の広場の真ん中に特設のテントが設営され、このテントの下に、スクールカラーである深紅色のケーキが置かれていた。アメリカのスーパーマーケットにいくと売っているようなかなり甘みの強い味が印象的であった。
(http://www.thecrimson.com/article/2011/10/13/cake-375-anniversary/)
このほか、校章の形をした氷細工や、ヨーヨーマによチェロの演奏などがあった。残念ながら、当日は雨が降ってしまい、足元がかなりぬかるんでいたものの、キャンパス全体が活気に満ちていたように感じた。
ちなみに、現在は、375周年を記念して、小さな仮設のアイススケート場が設けられている。寒冷地の人はスケートがうまく、驚かされる。
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◇ 2011年9月 ブロッキンググループ
◇ 2011年7月・8月 夏休み中に考えたこと
◇ 2011年6月 卒業のそのあと
◇ 2011年5月 ハーバードの授業 -Ec1420 American Economic Policy-
◇ 2011年4月 「A Harvard Education Isn't As Advertised」
◇ 2011年3月 ハーバードの理想と現実
◇ 2011年2月 大学生活とリソース
◇ 2011年1月 ハーバードグルメスポット (2)
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◇ 2011年1月 ハーバードグルメスポット (2)
前回に引き続き、キャンパス周辺で軽食の取れるお店屋さんを紹介してみたいと思う。
アイスクリーム
キャンパス周辺には、全国チェーンではなく、地元の小規模なアイスクリーム屋が点々と存在し、真冬でもアイスクリームを食べるアメリカ人のニーズに応えている。お店ごとにオリジナリティー溢れる味がつくられているので、それぞれのお店にいってみたい。フローズンヨーグルト屋もある。
Lizzy's Ice Cream - 29 Church Street
J P Licks Homemade Ice Cream Co - 659 Centre Street
Ben and Jerry's - 36 J.F.K. Street
Baskin Robin - 1 Bow Street
ドーナツ
日本のミスタードーナッツの親会社が経営するDunkinDonutsは、比較的安いものの、日本のドーナッツに比べ、はるかに甘い印象を受ける。個人的には、非常に甘いアメリカのドーナッツと、ブラックコーヒーの相性が抜群だと思う。
Dunkin Donuts - 1 Bow Street
バブルティー
日本でも時々見かけるタピオカティーに似ている、甘くて冷たい飲み物。タピオカの粒(ボバ)が、直径1センチほどあり、選べる種類の多さ(味や氷の荒さの組み合わせ)が特徴。「Tarosnow with boba」(比較的細かいサトイモ味の氷の粒にボバ)という以外な組み合わせがおすすめ。
Bubble Tea - 54 JFK Street
ホットチョコレート
非常に濃厚なホットチョコレートを楽しむなら、Burdickがおすすめ。メニューにはないものの、ダークチョコレートとミルクチョコレートを半分ずつ混ぜてもらうのがおすすめ。濃厚さゆえに、量は少なめでも十分に楽しめるだろう。店内がきれいに飾りつけされているのもプラスだ。
L.A. Burdick Chocolate - 52 Brattle Street
お茶屋
キャンパス周辺には、お茶を専門に提供しているお茶屋がある。バラエティーが豊富で、一緒に食べるお茶菓子も食べられる。日本のお茶も豊富に用意されていることが多い。
Tealuxe - 0 Brattle Street
Dado Tea - 50 Church Street
コーヒー
コーヒーは、大学の食堂で提供されているものを飲むことが多いが、気分転換に外で勉強する際には、地元のPeet'sのコーヒーをいただくこともある。日本でもおなじみのチェーンだが、キャンパス周辺のStarbucksの数の多さには驚かされる。
Starbucks - 36 JFK Street; 31 Church Street; 468 Broadway
Peet's Coffee & Tea - 100 Mr. Auburn Street
ケーキ類
アメリカのスーパーで見かける大きくて安いケーキよりも、一工夫されたおしゃれなケーキを探しているなら、Finaleがおすすめ。SweetCupcakeでは、さまざまなデザインの小さいカップケーキが手に入る。
Sweet Cupcakes - 0 Brattle Street
Finale - 30 Dunster Street
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◇ 2010年12月 ハーバードグルメスポット (1)
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◇ 2010年12月 ハーバードグルメスポット (1)
学生の町であると同時に観光の町でもあるハーバードエリア。キャンパス周辺で気軽に入れるお店屋さんを紹介してみたいと思う。
ロブスター
ボストンならではの食事をしたいなら、蒸したロブスターが丸ごと一匹食べられるレストランがおすすめ。Legal'sのほうがNo-Nameよりも多少値が張るが、ロブスターの味自体に差は余りないと思われる。ロブスターはそのまま、もしくはオリーブオイルにつけて食べる一般的なようで、醤油ベースのつけダレがないのが日本人としては残念なところである。
No-Name Restaurant - 151/2 Fish Pier Street
Legal Sea Food - 20 University Road
メキシコ料理(軽食)
もっともお買い得なのは、ブリートというメキシコ料理だろう。「小麦粉で作られたトルティーヤに具材を乗せて巻いたメキシコ料理」(出典:Wikipedia)で、5-10ドルほどで、短時間で満腹感を得ることができる。キャンパス周辺では、チェーン店ではなく、夜遅くまで空いている「Felipe's
Taqueria」のSuper Burritoは5ドルで直径1フィートのブリートを楽しめるのでおすすめだ。
Felipe's Taqueria - 83 Mount Auburn Street
Qdoba Mexican Grill - 1290 Massachusetts Avenue
ベトナム料理
本場のベトナム料理がどのようなものなのか残念ながらわからないが、キャンパス周辺のベトナム料理は、ほかのアジア系料理に比べて、アメリカ化されていないゆえに、食べやすく親しみがわく味だ。Le's Restaurantのフォー(「ベトナム料理を代表する平打ちの米粉の麺」)は何種類かあるが、ボリューム満点でわずか8ドルのXeLuaがおすすめ。
Le's Restaurant - 35 Dunster Street
中華料理
米や麺類を食べたくなったときは、中華料理を食べに行くようにしている。比較的日本で食べられる中華料理に似ている味のYenchingは、平日のランチメニューが低価格でおすすめ。Hong Kongは、電話で注文して届けてもらうことができるので、夜食として友達同士で注文することがある。
Yenching Restaurant - 1326 Massachusetts Avenue
Hong Kong Restaurant - 1238 Massachusetts Avenue
アメリカ料理
一般的に酷評されがちな「アメリカ」料理だが、巨大ハンバーガー、ステーキやシカゴスタイルのピザなど、キャンパス周辺のアメリカ料理屋は概して質が高く、しっかり食事を取りたいときによいはぜひ訪れたい。UNO'sは全国規模のチェーンであるが、アメリカ料理は一通り提供されており、ハーバード周辺の(学生が食事できる価格帯のレストラン)では、サービスも非常良い。Pinocchioでは、イタリアンスタイルのピザを夜遅くまで食べることができるので、週末の真夜中頃は、非常ににぎわっている。
Uno Chicago Grill - 22 JFK Street
Pinocchio's Pizza & Subs - 74 Winthrop Street
Mr. Bartley's - 1246 Massachusetts Avenuee
日本料理
キャンパス周辺の日本料理は、価格が高いうえに質が高いとは言いがたいものの、お寿司では一味変わったメニューが提供されていたり(Takemura)、すき焼きや鍋料理のような料理もメニューにあったり(CafeSushi)するので、極限までアメリカ化された日本料理に挑戦したいなら足を運んでみる価値はあるだろう。
Takemura Japanese Restaurant - 18 Eliot Street
Cafe Sushi - 1105 Massachusetts Avenue
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◇ 2010年11月 ハーバード図書館めぐり
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◇ 2010年11月 ハーバード図書館めぐり
ハーバードには、大小70以上の図書館に、1600万冊の本がある。今回は、勉強するために私がよく訪れる図書館のそれぞれの特徴について紹介したい。
Lamont
学部生が夜遅くまで勉強している、24時間開いている図書館。友達としゃべりながら勉強するのであれば、木曜日の夜など、課題の提出期日前にはいつも人でごった返しているカフェ、もしくは地下二階のスタディールームが便利。集中して勉強したいなら、図書館の三階の学習室が最適である。比較的静かな環境で、個人用のブースを使うことができる。地下一階には、CDやDVDの視聴ブースがある。
Yenching
東アジア研究関連の資料が陳列されている図書館。三階建ての建物だが、二階・三階部分に、日本語書籍が並べてある。一昔前の本であれば、英語の本と違い、読める人があまりいないので、ほぼ新品の状態で読むことができる。日本ブームのころを彷彿させる。残念ながら、最近の小説や専門書はあまり揃っていない印象を受ける。
Langdell
ハーバードロースクールの図書館。1997年に改築されたとのことで、比較的きれいである。四階のリーディングルームは、大きな吹き抜けになっており、壁にラテン語の格言が書き並べられていたり、格式のある柱が立っていたりと、堂々とした佇まいだ。金曜日や週末の夜も24時間営業しており、真の意味で24時間営業の図書館で勉強するならここ。
Cabot
キャンパスの中心にあるサイエンスセンターの一階にある図書館。教室からのアクセスが良いため、授業の合間などに勉強するのであれば、ここの図書館がお勧め。さらに、入り口付近に、ソファがあるため、人が仮眠をとっている姿を見かけることも多い。
Widener
ハーバードで最大の図書館。地上6階、地下4階の空間に延べ三百万冊の蔵書が92kmにおよぶ本棚に陳列されている。タイタニックで息子を失ったワイドナー婦人の寄付によって設立された図書館で、館内には婦人の希望により、息子のための慰霊室が設けられている。とにかく広いため、たった一冊の本を見つけるために、階段を上り下りしたり、自動で消灯する電気のために薄暗くなっている廊下を歩いたりと、非常に時間と労力を要するのが難点。
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◇ 2010年10月 友人へのインタビュー (4)
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◇ 2010年10月 友人へのインタビュー (4)
今回インタビューするのは、今春卒業したアンドリュー・ヌクンバラ(Andrew C. Nkumbula)。私の参加している起業クラブの先輩で、シンガポールへの旅行で親しくなった。アンドリューは、学部にいるわずか三人のザンビア人のうちの一人だ。
アンドリューに母国での留学事情を聞くと、ザンビアでは、留学するという発想がそもそもないとアンドリューは切り出した。国内に二つの大学があり、現地の学生らのゴールとしては、専らこのどちらかの学校に入ることである。国内の閉鎖的な状況で、夢も制限されてしまうことが多い。海外に留学するのは、通常裕福な家庭の子供がイギリスや私費留学するだけで、国内にある情報は乏しく、アメリカの大学の奨学金制度などはむろん知られていない。アメリカへ行く自体、人々の憧れのまなざしを受けるという。
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アンドリュー自身は、親戚の紹介を通してスワジランドにあるインターの存在を知ることができた。学年に65人ほどの小規模な学校だが、地元アフリカのみならず、ヨーロッパから多数、また少人数ながらアジア系の学生も通っていたという。やはり、インターに通うと、「Diversity(多様性)」というアメリカで重要視される価値観に慣れ親しめるという意味で、アメリカ留学の心構えにもなるという。学校では、人々の異なる価値観が小競り合いを生じることもあった。リベラルなヨーロッパ人の一部の家庭が、保守的な南アフリカの人の設けた学校のルールが厳しすぎると感じ、もっと自由な校則にすべきだと抗議をしていたことがあるという。
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ハーバードに来たアンドリューは、ダイバーシティーになれているという意味では、すぐにアメリカの文化にも馴染むことができたものの、小さい学校で、学生同士お互いの顔と名前が一致するような関係が築けるようなところから、同じ学年でも知らない人がたくさんいる大きい大学に来たため、はじめはあまり嬉しくなかったという。たしかに、ハーバードでは、新入生を歓迎するようなイベントもあまり多くない。
そこでアンドリューが気づいたのは、ハーバードでは、自ら人に会おうと出向く必要がある、ということだ。だから、彼はいろいろなグループに参加することにし、その中でも特に、地元の小学生に勉強を教えるボランティア活動を通して、多くのハーバード生と仲良くなれたという。私も度々思うことだが、新しい人に会うのを楽しめることは、ハーバードでの生活をフルに活用するためにも必要な条件だ。ハーバードでの四年間を振り返って、彼はいろんな人に会えたのが一番よかったという。
卒業後、アンドリューはハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でリサーチ・アシスタントとして働いていたが、今は南アフリカにある銀行に勤めている。大学在学中からお世話になっていた教授に評価され、フルタイムのアシスタントとして採用されていたという。HBSでは金融に関連した研究をやっているが、将来はMBAもしくは経済政策に関連した修士号を取得し、経済政策に関連したコンサルで働きたいという。
卒業直後に帰国する予定はないものの、いつかはザンビアに戻りたいという。ザンビアの内政はかならず悪いわけではないが、社会保障や教育制度において改善できると感じているという。国内の教育機関を確立することも重要だが、一方で、アメリカなど海外にある教育についても情報を積極的に提供する必要があると彼は考える。
現在のザンビアで行われている政治は、あまりに少数の人にしかその便益を享受できない仕組みになっている。保守的な政治家が多く、古い世界観を有している人が多いという。少しでも新しいアイディアをもっているものは、買収され、保守的な政党へと引き込まれてしまい、結果として、対立する勢力がないという。どこの国でも少なからず存在する、よく見られる組織の仕組みだが、ザンビアでは、特に汚職がひどく、現職に対立する勢力が存在しないのが最大の問題だという。
熱心で自国のために活躍したいと感じている政治家でも、一度政治の仕組みの中に入ってしまえば、その意志がたやすく変わってしまう。一度できあがってしまった仕組みを変えるのは難しい。アンドリューは、ザンビアでは、相手の意見に対立するのは何もいいことがないという。仕事をやめさせられるだけだからである。人々から良くしてもらうためには、相手に良くするしかかなく、誠実さや価値観を妥協することになる。ザンビアの人々は頭が良いが、機会を与えられることがない。ザンビアでは、その市民が一番重要な資源であり、それをうまく使われる環境を整えることを必要だと見る。アンドリューは、こういった政治の状況を内側から変える必要があると感じている。
こういった考え方は、ハーバードでの経験も影響している。ザンビアでは、このように大きく考えることはなかった。回りに意識の高い人が集い、彼らといつも接触することができるからこそ、ものごとを大きくとらえるマインドセットが身についた。チャレンジされ続ける環境において、自分の考えは常に極限まで考えるように強いられると彼は感じている。このような環境が、ハーバードでのイノベーションの動機にもなっていると彼は見る。また、大胆な考えを持っていても、その志を小さくしたり、まわりの圧力で制限されることがないのも大学のよいところだと彼は見ている。
もっとも、アンドリューは、必ずしもハーバードでの人々の考え方を評価しているわけではない。彼は、誰しもが、何か大それた志をもっていることが期待されている環境を嫌っている。母国に帰って家族とゆっくりとした時間を過ごす、というと、周囲から変な目で見られる。限定されたものにしか価値観が見いだせないところに、ハーバードにいるような学生の短所があると指摘する。
アンドリューは、ハーバード生は、大志を抱き、大きな人生プランをもっている傾向があると考えている。周囲からのプレッシャーが、そもそもそのような大きな夢をもっていなかった人にも、そういう考えを抱かせるのである。そして次第に、「私には大きな夢を実現しなければならない使命がある」と思い込んでしまう。各個人が本来のあるべき姿の自分で過ごし、誰もが大きな夢を実現できるわけではないことを受け入れるべきだと彼はいう。
結局、仮面をかぶった状態の人が多いとアンドリューはいう。ハーバードでは、リベラルで利他的であることが期待されている。ゆえに、多少極端な考えをもっていても許されるものの、学生も少し「リベラルぶって」他人のことを気にかけている振りを強いられる。一度ハーバードを去れば、すぐにその仮面の価値観はなくなってしまうのに関わらず、在学中は残念ながらその仮面を取れない人が多い。
大きい大学なりにハーバードでは、いろいろな人に会えるという一面がある一方で、それぞれの人とのつきあいが浅くなってしまうこともあると指摘する。友達よりも、知人が多いことも事実だ。仕事や宿題の話に時間がかかる一方で、その人のパッションや、夢について改めて語れる機会がない。人数の多い経済専攻だと、教授らとも仲良くなれないが残念である。
アメリカに来てから、アンドリューもダイレクトでフランクに考えを語れるようになった。アンドリューは、自分の考え方を妥協するのは好きではない。ハーバードでいろいろな人に会うにつれて、ダイレクトになったように思う。
(2010年4月30日・Pforzheimer食堂にて。)
※一部、アンドリューの卒業後の進路を反映するため、2010年10月6日のメールインタビューによる。
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◇ 2010年9月 ファイナンシャルエイドについて「need-based」と「need-blind」
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◇ 2010年9月 ファイナンシャルエイドについて 「need-based」と「need-blind」
先日、アメリカ学部留学についての説明会に参加させていただいた。このイベントは、アメリカの大学学部を卒業した有志によって運営され、大学進学する際に海外にある大学も視野にいれててほしい願いで活動しているUSCANJによって企画されたもので、夏休みの終わりが近い8月22日開催され、中高生やその親御さんが多く参加された。
(この団体については、こちらを参照ください。
)
私は、英語の勉強方法や奨学金についてプレゼンをさせていただいた。特に学費が高いことで悪名高いアメリカの大学に存在するファイナンシャルエイド制度について広く理解してほしいと思い、特に「need-based」と「need-blind」をキーワードに説明を行った。今回は、その際にいただいた質問や意見を反映し、簡単にこの二つのことばを説明したい。
ファイナンシャルエイドとは、大学から出る経済的援助のことをさし、大学以外の団体からされる奨学金とは異なる。通常、このファイナンシャルエイドは、大学に出願と平行して応募する。ファイナンシャルエイドは、後々返済しなければならないと思われがちだが、各大学で独自のFA制度が設けられており、学校によってファイナンシャルエイドの支給のされ方が違い、支給された金額の一部または全部が返済不要である場合もある。こういう事情もあるため、下調べは欠かせない。そこで、各校のファイナンシャルエイド制度を調べる際にまず注意していたあきたいのが「need-based」というキーワードである。これは、「merit-based」と反対の考え方で、FAは学生の能力や成績に応じて出るのではなく、その学生の家庭の状況(収入や家族構成、特別な事情など)を考慮して支給されるということである。合否がでる前に経済的援助に申し込むことになるため、(大学に負担をかけない)裕福な家庭ほど合格しやすくなるのではないかという懸念が生まれるのも自然なことである。そこで、第二のキーワード「need-blind」に注意する必要がある。「need-blind」の学校は「need-aware」な学校と違い、家庭の経済的状況を考慮さずにまず合否を出し、その後FAの内容や金額を計算する。「need-blind」である学校は、それがその学校のセールスポイントである場合も多いため、FAを担当する事務局のウェブサイトなどに全面的に書かれている。
講演では、(残念ながら)まだ海外からの留学生にも「need-blind」で「need-based」なFAを出している学校がほんの一握りである現状も紹介させていただいた。
各大学のFAは、その大学のFinancial Aid Officeなどのウェブサイトで調べることができる。また、Financial Aid
Officeに電話すると、丁寧に応対してくれることが多いので、直接電話してみるのも情報収集に有効だ。
当日の講演で多くの参加者と話す機会があり、自らの初心を振り返る一日であった。今後もアメリカへ、学部の段階で留学することの長所や短所について広く知っていただけるような活動に貢献していきたい。
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◇ 2010年8月 内外の報道で見るハーバード
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◇ 2010年8月 内外の報道で見るハーバード
三ヶ月連続紹介させていただいたインタビューシリーズに小休止を打ち、今月は国内外の報道でとくに興味をもったハーバードを紹介してみたいと思う。
ハーバード白熱教室、日本でも開催へ 関連記事
NHKで数週間にわたり放送された、ハーバードの名物授業が、日本で特別に開催されることになった、という報道。NHKでは「ハーバード白熱教室」という名前で放送されているそうなのだが、本来はJusticeという名前の授業で、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事によれば、日本では授業を行っているサンデル先生の授業の進め方が特異であるため、注目されたと紹介されている。
日本人学生の奮起を促したファウスト学長 関連記事
3月にファウスト学長が来日した際の様子を紹介した記事。ファウスト学長は日本人学部生の絶対数が少ないことを示唆して「日本人学生
存在薄い」と発言したのだろうが、同時に、今ハーバードにいる学部生の存在感が薄い、と解釈することもできると友人から指摘され、今の状況が他人事ではないと感じた報道であった。
ハーバードと日本の深い繋がり 関連記事
これはファウスト学長の来日に合わせて書かれたハーバード大学の広報局による面白い記事だ。駐日アメリカ大使をライシャワー教授が勤めていたことは良く知られているが、大学の日本との繋がりはそれ以上に深く、なんとあの岩倉使節団も1870年代に訪れていたと紹介してされている。ハーバード元学長が1910年代に日本を訪問し、国賓扱いされていたことなどを踏まえても、日本との繋がりは強いものの、今日の学部生の数と必ずしも結びつかないのは上で紹介した通りだ。
映画『ソーシャルネットワーク』公開 関連記事
この映画を、キャンパス周辺で撮影をしていたのを度々見かけていたものの、私はまだ見ることができていないでいる。facebook誕生秘話を取り上げた映画について、ハーバードの学生新聞は、ハーバードについて「もっとも正確」な映画であると紹介し、大学生が使っているファイナルズ・クラブといった言葉が映画のなかでも使われているという。
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◇ 2010年7月 友人へのインタビュー (3)
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◇ 2010年7月 友人へのインタビュー (3)
今回インタビューするのは、ジョナサン・コーラ。ケニアの首都・ナイロビ出身で、私と同じ寮に住んでいる。
高校まで12年間、ケニアの学校で勉強していたジョナサンは、高校卒業後にやりたいこともわからなかったため、奨学金を獲得してノリウェーにあるインターナショナルスクールに留学することにした。ケニアでは、名門校を中心に、海外へ留学することは比較的普及しているものの、奨学金の問題があるため、奨学金をかけた熾烈な競争があるという。
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ノルウェーの田舎にあるインターナショナルスクールに突然やってきたジョナサンは、高校生活をはじめたころを「クレージーな日々」として振り返る。日が毎日午後六時にしずむケニアから来た彼にとって、夜10時まで日が沈まないことがあるノルウェーでの経験は、とにかく新鮮だったという。自分の理念を高く持ち、様々な夢を描く人が多くいたが、同時に、一風変わった人も多かった。
そのインターでの二年間での生活を通し、とにかく多様性のありがたみがわかるようになったという。その学校を去るころには、ジョナサンは、人々の価値観の違いが対立の根本的な原因になっており、それを解消するためには、多様な環境に自分をおく必要があると感じたという。ジョナサンにとっては、誰かとの違いを分かり合えるほど気持ち良いことはないという。
そんなジョナサンは、インターの高校を卒業後、アメリカの大学だけでなく、母国ケニアの大学にも出願した。アメリカの大学に出願するという決意は、先輩から情報を入手したり、頻繁に訪れるアメリカの大学の入試担当官の話を聞いたりするなかで、ごくごく自然に固まったという。
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ところが、母国では、志望していた工学部に合格できなかった。ケニアでは、高校を卒業する際の最終的な成績のみを元に大学の選考が行われ、通常、優秀な成績を持っている学生は医学部、次に優秀な成績が工学部…という風に学部に割り当てられるという。ジョナサンは、成績が良かったものの、志望していた工学部に合格できなかった。ジョナサンによれば、ケニアでは、入試制度が非常に不透明で、コネや収賄による配慮も日常的に行われるという。近年では、高額な学費を払えば入学できる学校もあるという。ジョナサンは、大学に入学してからも、大学教育の公平さを指摘する。たとえば、卒業する際に首席(honors)で卒業できる人数に制限があり、成績が優秀でも、他人が大学の審査官を収賄すれば、その主席の枠を買い取ることができてしまうのだという。
ケニアの高等教育の質に影響されてか、ハーバードに来るケニア人も多い。学部だけで、ケニア出身者は実に15人もいる。特に、私とジョナサンの学年はとくに多く、ケニアから8人の留学生きている。日本と違い、学部の段階で留学する人が多いようだ。ジョナサンの場合、海外への留学を積極的に応援してくれる親がいたのも、ハーバードへの進学が実現するための要だった。ケニアでは、両親に反対された海外留学が実現しないケースも多いという。ケニアでは、人口の多くが教育を受けられるようになったのは、ジョナサンの少し上の世代がはじめてのことである。親の世代は、教育を満足に受けられなかった経験から、わが子の教育への投資が実っていること、しっかりと勉学に励み、就職できるまで近くで見守っていたいという心理が強いのだとジョナサンは見る。海内で犯罪に巻き込まれてしまうのではないか、という懸念も大きいという。子供の教育を最後まで見届けたいという親心が、海外への留学を志す学生たちを国内に留めてしまっているのは、なんとも皮肉な状況である。
ジョナサンは、海外からハーバードに来る留学生の多くが抱える悩みについても触れた。発展途上国を中心に、ハーバードの学位によって、仕事に対して能力が高すぎる(overqualified)と見られ、雇ってもらえないことがある。それでも、ジョナサンは母国へ戻ることに価値を見出している。ハーバードを卒業後、アメリカにとどまりある程度金銭的な基礎を築いてから母国に戻る、というのはよくある話だが、途上国の場合、その発展するプロセスにおいてこそ、海外の大学で学んだ人材の能力が必要なのであると彼は考えている。そのため、卒業してから、すぐに戻ることに意味があるとジョナサンはいう。発展の段階に携わることが、人に役に立つためには必要だと彼は信じている。
2007年のケニアの大統領選の結果は、世間でも物議を醸し、多くの人が結果に納得しなかった。本来このような問題を解決するために機能すべき政府機関も機能せず、人々は暴動を起こした。ジョナサンによれば、そこには、ケニア特有の人口構造が絡んでいるという。ケニアでは、民族や地域によって、政界が分断されており、今回は、ある一つの民族の出身である前大統領が、自分の民族に便宜を図ったとして、大統領出身の民族が集中的に攻撃された。家が燃やされただけでなく、死傷者も多々でた。
このような民族の対立の構造は、たとえばアメリカで見られる黒人差別ともまた違う性格のものだそうだ。ケニアでは、普段は42の民族が、調和して生活しており、住んでいる地域も一緒だ。選挙の時など、それぞれの民族の利権が絡むときに、民族の違いが明らかになるように政治家が意図的に仕向ける面があるという。日々の生活では、調和し、多様性を謳っているからこそ、その根底にある対立も大きいのかもしれない。選挙などで、民族が問題になるのは、リーダーが票を得ようと、自分の民族にアピールするからであり、結果として民族の違いを浮き彫りにすることになる。
ジョナサンは、この問題の解決策として、良いリーダーをつくることが必要だと見ている。対立には様々な側面があり、リーダーは、その多くの側面が見えれば見えるほど、責任のある行動がとれるとジョナサンは確信している。彼は、ケニアで2007年の暴動も、リーダーによる心ない発言がひとつのきっかけになったと見る。そんなジョナサンは、この夏休み、地元の女学校で、Model UN(模擬国連)クラブの立ち上げに携わりたいのだという。ジョナサンは、高校でModel UNをやった経験から、その良さをよく知っている。模擬国連に参加すると、否が応でも発言しなければならない立場になり、いつも慣れているのとは違う視点から話すスキルが身につく。同時に、「ほかの国」の代表団と交渉するなかで、対立を解決する方法や、お互い共有できる価値観を見いだして譲歩する術を学べる。こういう活動を通して、誰かが立ち上がって将来のリーダーになってくれることを祈っているのだという。このようにして、ケニアが抱える様々な問題について考えるようになり、多様性のありがたみがわかることへの一助になればと考えているようだ。
ジョナサンによれば、ケニアで、日本というと、人々はロボットと自動車を連想するという。ケニアでは、トヨタの自動車が人気なのだそうだ。
(2010年4月25日・ジョナサンの部屋にて)
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◇ 2010年6月 友人へのインタビュー (2)
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◇ 2010年6月 友人へのインタビュー (2)
今回インタビューしたのは、ソリ―ナ・コドリア(Sorina Codrea)。彼女は、私の同級生で、大学では政治学を専攻しながら、日本語の授業も取っているルーマニア人だ。彼女が、ルーマニアからアメリカにあるインターへやってきたのは、高校の途中からだ。当時、ソリーナは、数学が好きだったこともあり、一時期は数学オリンピックの優勝を目指して勉強するほど没頭していたという。ルーマニアでは、数学がやることが将来の成功につながると思われており、必然的に数学を学ぼうとする学生が多いのが現状だという。
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アメリカに来てから、ソリ―ナは東アジア出身の人に会う機会がたびたびあった。それは、彼女が履修していた理系の上級の授業の多くが、アジア系の学生によって埋め尽くされていたからだ。クラスメートとともに勉強するなかで、ソリーナは、多くのクラスメートの優秀さに感心するようになったという。その中でも、学校で会った日本人の女の子は、ルーマニアへ遊びに行き、一緒に旅行までするほど親しくなった。
翌年、彼女は日本人のルームメートと生活することになった。英語で不自由していたルームメートのために、身の回りの世話をしているなかで、とても良い仲になったという。ルームメートがホームシックになった時の相談相手になったり、日本の様子を語る友達の話を聞いたりする中で、日本に興味を持ち、訪れてみたいという気持ちも強くなった。その後、ソリ―ナはそのルームメートと、はじめて日本へ渡り、神戸や京都を巡る機会に恵まれる。京都の寺社を見たことや、お好み焼きを食べたことが特に記憶に残っている。今度は、彼女がルームメートを通してコミュニケーションをしなければならず、自分が言語に不自由する経験となった。旅行中、周囲が話していることがわからず、頭痛がすることもあったという。はじめて自分の言葉が通じない状況にいることに気づいた。
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ルームメートとの出会い、そしてともに旅行に出かけた経験があったため、彼女は日本語を勉強してみたくなったという。大学に入学してからはじめた日本語が、今では、日常会話ならほとんど不自由しないほどまで習得している。ソリーナがここまで根気強く日本語を勉強してこられたのは、ルーマニアと日本の文化が似通っていることに気づいたからだという。我々を驚かすのはソリーナが、生まれ育ったルーマニアの文化と日本のそれとの間に、想像もできないほど様々な共通点を見いだしていることだ。ルーマニアの人口は、一つの民族で構成されており、日本の状況と似ている。加えて、ほかの東ヨーロッパ諸国とともに、かつては共産主義圏に属して経験もあってか、外国人を必ずしも積極的に受け入れない風潮がある。
この経緯があるからこそ、年上への配慮や親切さ、遠慮する文化など、日本と共通する価値観が多くあるという。人の家に出向く時は、お土産を持って行く。家に上がるときは靴を脱ぐという。物を渡すときは、両手ですると相手に礼儀が正しいと感じてもらえる。何かほしい時は、すぐにほしいとは言わず、遠慮する。特に、謙虚さという価値観を共感できるのは、アメリカではあまり美徳とされないだけに、私も甚だうれしいことだ。
昨年の夏、彼女は日本のある参議院議員の事務局でインターンをした。彼女はこの経験を通して、日本について知っていると思っていたことが、表面的な理解で終わっていたことに気づかされる。期間中、「脳死は人の死」と認める否かで話題になった改正臓器移植法の可決などに立ち会うこともできた。メディアや人々の視点が日本中心であり、隣国中国や韓国などの話題が多く、アメリカやルーマニアにいるときとは違う視点が面白かったという。彼女は、日本で、二大政党制になりかかっている状況などを観察し、日本の政治・経済の特異性に興味をもった。
以後、ソリーナはアメリカ・ヨーロッパ、そして日本の比較をするようになった。彼女は、アメリカで主に用いられる米国人による英語の文献に頼った研究には満足しておらず、日本を学ぶに当たって日本語の文献の重要性を見いだしている。アメリカの授業では、米国人による文献が中心に扱われている状況を考えると、それよりも広い視野で物事を学び取ろうとしている彼女の視野は評価できる。加えて、欧米間(もしくは米中)の比較にとどまらず、日欧米の比較におもしろさを見いだしていることも、彼女が日本の政治・経済の特異性に興味をもっている証拠であろう。
日本でのインターンの経験や、今授業で取っている日本の政治経済学の授業を取るなかで、政治経済学に興味があることを確信したという。日本人ルームメートとの出会い、日本での旅行やインターンの経験が、数学好きだった彼女を、政治経済学へと導いたようだ。このような経験から、ソリ―ナは、人に会うことが、自分の考え方のシフトの原動力になっていると感じており、特に「日本」から受けた影響も小さくはないと振り返る。
そんな彼女は、アメリカやルーマニアなど、特定の「国」ではなく、国際的な貢献ができるシンクタンクで働くことを志しとしている。ソリーナは、卒業してからルーマニアにすぐ戻る予定はない。残念ながら、ルーマニアではハーバードの学位の価値が認められないからだという。ルーマニアでは海外の大学の学位はおろか、高校の学位すら認められない。つまり、彼女はルーマニアではまだ中卒扱いなのだ。
それでも、ルーマニアから海外へいく人の数は少なくはない。高等教育があまり整備されていないため、勉強に懸命な学生が海外にいくというのは、よく見られる様子だという。能力の海外流出はルーマニアでは深刻な問題になりつつあり、学位の問題が一向に改善されないため、歯止めがかからない。彼女によれば、海外へ進学を希望する学生の多くはヨーロッパへ留学するものの、少なからずアメリカへ留学する学生もいるという。特に、インターに通っていた彼女は、先輩からアメリカの大学の話を聞く機会はよくあったため、アメリカ留学の準備も違和感なく進められたという。
アメリカへ留学したことが、新しい人や考え方への出会いという結果につながっており、彼女は充実した日々を過ごしていると振り返る。彼女が先学期とっていた日本の政治経済学の授業では、TFが日本の政治家の事務所でインターンをしていた経験もあり、良い刺激になったという。クラスメートも、大学生と大学院生が混合の13人の授業で、米軍関係者で日本に駐在していた人、中国について勉強する中で日本に興味を持った人など、多様な経験を持った人たちだ。ソリーナは、抽象的な理論や歴史家の主張に整合性がないと感じていたが、この授業と夏休みの経験によって、考え方の衝突や日々の小さな物事の変化が、結果として政治の大きい動きを生み出していると感じようになった。特に、先学期の授業では、大学で習うセオリーと、現実に起きていること、そして自分の内観が一致するようになったという。同じ社会科学を勉強する人間としては、うらやましい限りである。
ソリーナは、以前、日本語の授業で提出した短いエッセイを見せてくれた。時々、彼女が宿題として提出する作文を添削してあげるのもまた面白い。
最近、日本文化が好きな人は会話ひとつだけで友達になれることに気がつきました。どうしてでしょうか?(始まりは)いつも同じです。
「へえ、日本語を勉強するの?私も!!」相手が日本料理からマナーまですべてが好きなだけでなく、言語もりかいしているから、つい「じゃ、最近みたドラマはなに?」と聞いてしまいます。
このように、相手ときょうゆうすることが多いほど、ずっと友達でいられると思います。
こんな風に、また一人先週友達が出来ました。一週間の交換留学でシンガポールから来たユンユです。
いったいどうやってこんないい友達になったのでしょうか。日本が好きなことが私たちを一つの家族にします。
(2010年4月21日 Mather Houseにて)
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◇ 2010年5月 友人へのインタビュー (1)
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◇ 2010年5月 友人へのインタビュー (1)
今回は、私の身の回りにいる友達を紹介してみたいと思う。今回の記事を書くに当たって、改めて友達の話を聞くことができ、私自身、友人の新たな一面を発見できたことをこの上なく喜ばしく感じている。
今回は、私が一年生の時から親しくしてもらっている中米・グアテマラ出身のジョナサン・レムス(Jonatan Lemus)を紹介する。彼は、高校から母国を離れ、アメリカのインターナショナルスクールに進学し、私と同じ年にハーバードへ入学した。大学学部に二人しかいないグアテマラ人の一人である。
大きな地図で見る
私は手始めに、彼がなぜアメリカの高校への進学を思い立ったのか聞いてみた。知らない土地で勉強をしてみたいという意志があり、アメリカのことを何もわからないまま留学を希望していたという。グアテマラでは、アメリカの教育のほうが優れていることは広く知られている。しかし、海外へ進学することは一般的ではなく、特に、金銭面が制約になるため、留学という選択肢は通常現実的ではないのだという。ジョナサンは運良く見つけた奨学金を通して、海外のインターに通うという夢を実現させた。
ラテンアメリカの国から突然アメリカにやってきた彼は、人種の多様性にびっくりしたという。彼の通っていた高校はインターナショナルスクールで、90カ国以上の国からの学生が学んでいる。アメリカの文化とも異なる特異な文化のなかで、寮生活をしていたという。グアテマラでの生活と大きく異なる毎日に、驚くことが多かったとジョナサンは語る。特にびっくりしたのは、アメリカの文化的なリベラルさだったという。派手なパーティー、同性愛者の存在、そして宗教に対する認識の違い。彼は、元々グアテマラの教会で説教者をすることがあり、もともと宗教に対する思い入れが強かった。はじめは、考え方の違いで、友達と対立することもあったというが、次第に考え方もアメリカのそれと対立しないものを受け入れるようになった。時々つらい思いをすることもあったが、グアテマラに残された母の言葉を励みに、何とか卒業した。
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ジョナサンは、スペイン語圏からアメリカに引っ越してきたため、言語面での戸惑いも大きかった。そんな彼に、英語学習のアドバイスを聞いたところ、「言語は、ひたすら練習すればいい」と説かれてしまった。彼自身、今でも少人数の授業中に発言することを怖く感じることはあるという。それでも、その場で諦めたら、その時発言できなかったことをのちのち後悔することを、経験から知っている。だからジョナサンはとにかく発言し、勉強し続ける。
実は、ジョナサンが、はじめて本格的に発言できたのは、今学期だった。四年間、自分の思いを発言できず、苦しい思いをしてきたからこそ、その日、教室を出たときの清々しい気持ちが、今でも忘れられないのだとか。その日から、もう諦めないことをジョナサンは決意した。
そんなインターナショナルスクールでの高校時代を過ごし、彼はその後、ハーバードに出願することを思い立つ。ジョナサンは、ハーバードが良い大学であるという評判を聞いていたため、その大学に出願するというチャレンジを自分に課したかったのだという。まわりからは、ハーバードに合格することなど無理だと揶揄されたが、それでも出願する決意を曲げることはなかった。ジョナサンは、ハーバードなら、合格したから広がる機会が無限で、特に大学の数少ないグアテマラ人として得られるものが大きいと判断した。事実、今はハーバードで出会った人のおかげで、グアテマラでもかなり有効な人脈を築くことができているのだという。
彼のこの夏休みの過ごし方も、ハーバードで得た人脈を駆使して見つけた、大統領選挙候補の事務局でのインターンだ。グアテマラ人の若年層は、政治参加に対する関心が低いため、ジョナサンは18から35歳の若者の政治参加を推奨するキャンペーンの運営に当たるのだという。
政治学専攻のジョナサンにとって、選挙事務所での手伝いは意味のあることだが、今回のインターンに対する思い入れは特に強い。彼は、民主主義を強めるためには、若者の政治参加の意味が大きいと見ているのだ。彼の生まれた世代がちょうど、グアテマラが民主化したからはじめて投票権を得る世代である。その一つ上の世代は、民主化前のグアテマラや冷戦などの、対立した世の中のなかで過ごしてきたが、ジョナサンの世代はその経験がない。今日でもグアテマラは、収入格差が非常に大きい国であるものの、ジョナサンは、自分の世代が親の世代とは違い、そのような格差の是正に若者の意識が向くと信じているようだ。加えて、ジョナサンは、若者の持つ誠実さも強く信じており、若者が政治参加することにより、今の政治制度の抱える弱さや闇を是正するインパクトを作り出せると考えている。
彼自身はこのインターンで、政治で働いている若い人とのネットワークを築くことが目標だという。政治分野で働くには、若い時から積極的に、政治に関わっていた方が良いとジョナサンは考えているからだ。年上の人から学び、その間違いを再び犯さないようになりたいとジョナサンは語る。
彼は、中学生時代に教会で説教師をしていた経験があるため、今でも帰国する度に、グアテマラの若者にレクチャーをするという。ジョナサンは「貧しい家庭で育ち、アメリカの大学で学ぶという夢を達成した若者」として地元の人から尊敬されており、現地のメディアでも度々取り上げられるという。そんな彼が、グアテマラの若者に伝えるのは、夢を持つことの大切さだ。
ジョナサンは、若者が教育を受けることの大切さが限りなく大きいと感じているが、それよりも敢えて夢の大切さを強調するのには、理由がある。彼は、教育を受けた結果、夢を見失ってしまった人をよく見かけており、夢をなくした結果、強い憤りを感じる毎日を過ごしている人を知っているからである。
グアテマラでは、毎日20人が、殺される。このような治安の悪い環境で、夢を描くことは難しい。ジョナサン自身も、帰国する度に、翌日まで生きていられるのかわからないという不安を少なからず感じるのだという。このような状況で、大学に進学するという一つの夢を達成したジョナサンは、グアテマラにいる同胞にも夢を実現しやすい環境を整えてあげたいという強い責任を感じている。その責任を果たす方法とし、彼は政治の道を選んだ。イノベーションを推奨したり、貧困を根絶したりためには、誰かが政治の構造そのものを変えないといけない。ジョナサンは、一人で大きな変革をもたらすことはできないと感じているものの、何らかの形で貢献したいという思いを強くもっている。グアテマラの現状では、教育を受けた「頭のいい人」は、政治に参加せず、国外に出て行く。それでも、一人の人間がグアテマラを想い、敢えて政治に世界に入っていけば、グアテマラが関わる様々な問題も、根本的に改善していくと彼は信じている。
ジョナサンの部屋をのぞくと、授業の課題の合間を縫って、グアテマラの歴史やニュースを読んでいる彼の姿を見かけることがある。彼によれば、母国を想うのも、毎日グアテマラについて読むのも、無意識に働く強い信念があるからなのだという。
根本的に、ジョナサンは「難しいこと」を成し遂げることが好きなのだ。ジョナサンは、両親から、大学を卒業した後はアメリカで生計を立てたほうがいい、と迫られる。それでも、彼は、グアテマラという国の再建が難しいと知っているため、祖国に戻って、そのプロセスに関わりたいのだという。グアテマラの抱える問題の解決策を見つけたときには、それが最良のものになると信じて、今は辛抱強く勉強に励む。
そんなジョナサンは、インタビュー終了後、気を利かせてか、「アジアで訪れてみたい国は日本だけだよ。」と言ってくれた。深夜に私が度々あげているお味噌汁やおせんべいが、功を奏したのだろうか。
(2010年4月13日・ジョナサンの部屋にて)
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◇ 2010年4月 ハーバードの授業 -Econ 970-
◇ 2010年3月 ハーバードにまつわる「ウェブサイト」
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◇ 2010年3月 ハーバードにまつわる「ウェブサイト」
1月・2月と、二回連続で勉学に関する投稿をしてしまったので、今回大学生活を身近に感じてもらえるようなウェブサイトをいくつか紹介したいと思う。
大学生活の概要をつかむのに役に立つページ
The Harvard Crimson
ハーバードの学内誌。全米最古の学生新聞で、学生運営のビジネスでもある。過去に名誉毀損などで問題になりそうになったため、万が一に備え、顧問弁護士もいるという。大学公式の広報誌HarvardGazetteと比べて、より学生生活に関連する記事が多く掲載されているのが特徴だ。食堂などでCrimsonの印刷板を入手することができ、朝食を食べながら学生新聞を読む人も多い。
College Prowler
大学生活に関する学生の評価など掲載されているウェブサイト。ハーバードの寮生活事情に関するページ(http://collegeprowler.com/harvard-university/campus-housing/)は特に面白く、各ハウスなどの設備なども紹介されている。
Course Catalog
ハーバードで受けられる授業の一覧。学部生が通常使っているものとは若干異なるものの、授業によってはシラバスや課題などがインターネットで公開されており、外部からもアクセスできるようになっている。
Harvard Libraries
ハーバードにある図書館の一覧。学部生が徹夜で勉強することで有名な「24時間営業」の図書館はLamontだが、ほかにも、大小90カ所の図書館がある。
キャンパスで開催されるイベントを知るためのページ
IOP Events & Meetings
Institute of Politicsで行われる予定の講演会一覧。IOPは、政治家や活動家と学生との繋がりを提供する場として、勉強会や講演会、リサーチの機会などを提供している大学の機関である。特にJohnF. Kennedy Jr. Forumは定評があり、著名人が来て講演するだけでなく、その人に直接質問をする時間が必ず設けられることが特徴だろう。
IWCFIC Event Calendar
Weatherhead Centerで行われる予定の講演会一覧。WCは、大学の国際情勢に関する研究を行う機関である。こちらでも世界中からのスピーカーを招き、講演会などが催される。毎週火曜日には、Program on U.S.-Japan Relations Seminarが開催される。
ハーバード生の「内輪ネタ」を紹介するページ
Harvard FML
アメリカの学生に人気のウェブサイト、FML(http://www.fmylife.com/)のハーバード版。FMLとは「F*ck my life」の頭文字を取ったもので、何か失敗したり残念な気持ちになったりしたときに言う流行り言葉の一種である。ほかの学生が投稿した失敗談などを読んで、他人の失敗を哀れんだり、おもしろがったりするのが趣旨のようだ。
i saw you harvard
こちらは、CS50のFinal projectとして作成されたウェブサイトだが、Harvard FMLと同様に学生の間での人気が保っている。こちらは、キャンパス内でちらった見かけた人や、気になった人へ密かにメッセージを投稿できるサイトだ。
On Harvard Time
学内のテレビ局HUTVが制作しているコメディ番組。アメリカでは、日本のようなバラエティ番組や、漫才やコントをベースにしたお笑い番組は存在せず、NBCのSaturday
Night Liveをはじめとしたコメディが人気を博している。On Harvard Timeは、ハーバードでの出来事を、インタビューなどを交えておもしろおかしく紹介している、ハーバード版のコメディ。こちらも、かなり内輪ネタが多い。
そのほかのページ
HUDS Menu
ハーバードの学食で提供されるメニュー。大学生が食べている食事を知るのに参考にされたい。このページから「Bag Lunch(袋詰めのお昼ご飯)」を頼むこともでき、忙しいときに重宝する。
IMDb - Legally Blonde
あまり記事の趣旨とは関係ないが、ハーバードを舞台にした映画を紹介しておこう。こちらは、彼氏に振られたブロンド女性が、彼氏を見返すために、ハーバード法科大学院に向けて勉強をする、というストーリー。邦題『キューティー・ブロンド』(なお、Legally Blondeは、ハーバードで撮影されていない。)
IMDb - Love Story
「Love means never having to say you're sorry」の台詞で有名な、言わずと知れた不朽の名作(?)。こちらもハーバードを舞台にした映画で、実際にキャンパス内で撮影された。ハーバードがまだ男女別学であったころの様子が描写されており、映画の中で使われている赤い電話機は、現在も学生寮の各部屋に置かれている電話機に酷似している。 |
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◇ 2010年2月 ハーバードの「学習事情」
◇ 2010年1月 アメリカの学生の学習面における日常
◇ 2009年12月 ハーバードの合格発表
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◇ 2009年12月 ハーバードの合格発表
アメリカでは、12月が大学への出願の締め切りであることが多い。思い返してみると、私も二年前の12月、大学への出願の準備に追われていた。
ハーバードをはじめ、多くのアメリカの大学の出願は、ほぼすべての過程が電子化されており、驚くべきことに、入学するまでキャンパスを実際に訪れる必要は一切無いのだ。アメリカにおいては、合格発表の時でさえ、日本のように、受験番号が掲示板に張り出され、自分の受験番号を探して・・・という作業がないのだ。驚くことに、電子化された出願プロセスと同様に、合格発表も電子化されており、残念なまでに淡泊なイベントなのである。
合格発表の当日、合格すると、「Congratulations」からはじめるメールを受け取り、自分が合格したことを知る。一方で、不合格になると、「今年の出願者は例年以上に多彩な人々が集まり、誰を合格させるのか、非常に迷った。致し方なくあなたを不合格にせざるを得なかった。」といった趣旨のメールを受け取ることになる。
正式な合格発表の書類は、後日自宅に宅急便で届く。合格していると厚い封筒が届くので、ここでも合格したことを実感する人が多いという。入学に関する資料や、ファイナンシャル・エイド(奨学金)のもらえる金額について書かれた書類のほかに、学校によってはその学校のTシャツやグッズがもらえることもある。アメリカでは、一人の学生が複数校に合格することもよくあるため、合格発表以降は、学生が大学を選ぶ側に立つことになり、大学側がアピールする番になるのだ。大学によっては、合格者の地元に住んでいる卒業生や在校生から電話やメールが届くほか、入学審査官自らが書いた手書きの手紙が自宅に届くなど、強烈なラブコールをしてくるケースもある。
ところで、合格発表における日米の違いは、その形式の違いにとどまらず、受験生の考え方そのものの違いにも垣間見ることができる。日本の大学においては、大学側がなぜその受験生を不合格にしたのか、説明する責任があり、成績開示(入試において、各科目で何点とったのか、合格まで何点足りなかったのかを大学に照会する制度)が存在するのに対し、アメリカの大学にはそのようなものは存在しない。もともと合格の基準が曖昧であるため、説明しづらいということもあげられるが、一方で、大学に出願する学生が、「合格するのは、大学側がその年の出願者を総合的に見て、必要だと思われた人材である」という意識を持っており、合格するか否かはあくまで大学側が決めるものであるという考えが浸透しているからなのかもしれない。
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◇ 2009年11月 ハーバードの授業 -CS50-
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◇ 2009年11月 ハーバードの授業 -CS50-
今学期私がとっている授業の中で、もっとも楽しませてもらっているものを紹介したいと思う。
CS50は、コンピュータサイエンスを専攻として考えている人や、この類のことに興味のある人が、プログラミングを通して、コンピュータの動き方やアルゴリズムについて学べる授業である。初心者から上級者まで参加できるよう、多くの工夫がされており、ハーバードの授業の中でも、学生の面倒見がもっとも良い類の授業だと思う。
まず、サポート体制がかなり徹底していることは非常に評価できる。Malan教授は、レクチャーの進め方がうまく、講義中も笑いが絶えない。授業は録画され、講義の内容を要約したノートがアップロードされ、あとで参照できるようになっている。さらに、毎日、学部生のティーチングフェロー(TF)によるオフィスアワーがあり、質問しにいけるほか、ネット上でTFとチャットができたり、授業専用の掲示板に質問を投稿し、レスポンスを得ることもできる。
宿題は、週に一回提出するプロブレムセット(Problem Set)が中心である。毎週簡単なソフトを組み立てる、という内容だ。面白い課題としては、スペルチェッカー(与えられた文章の英単語の綴りが正しいかを判断するソフト)を作成し、その早さをクラスメートと競う、というものが印象に残っている。
ハーバードのコンピュータサイエンス入門の授業、ということで、企業からのサポートも手厚い。授業の最終課題として、各自、自分の身の回りの役に立つようなソフトを作成するのだが、企業によっては、ソフトウェアを開発するための携帯電話端末を無料で配布したり、技術的な紹介をする講演会を開催したりするという。
これだけ短期間で、幅広くコンピューターサイエンスの基礎をカバーできるのは、このサポート体制と、一般的な座学とは異なる授業形式によるところが大きいだろう。コンピュータサイエンスという、単なる技術(スキル)だと思われるものを、学問としてうまく体系立てている点も評価できる。
授業の内容は録画されており、宿題もすべてオンラインベースである。授業の内容は、一般の人もアクセスできるということだ。ぜひ検索してみてほしい。(この授業のシラバスは、こちらで入手できます。また、宿題の内容等が、http://cs50.tv/2009/fall/#l=psetsで、OCW(OpenCourseWare)として公開されています。)
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◇ 2009年10月 ボストン観光
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◇ 2009年10月 ボストン観光
九月はじめに、ハーバードの学年度がはじまった。それから一ヶ月。うれしいことに、年度がはじまってから、日本の友達が二度遊びに来てくれた。二度、ハーバード・ボストン案内をする機会があったので、そのときの様子を紹介したい。
キャンパス内で、彼らがもっとも関心をもってくれたのは、いうまでもなくAnnenberg
Hallだろう。現在は一年生用の食堂として利用されている建物だが、中はまるでハリーポッターの食堂のようなつくりになっている。外壁はレンガ造りで、いくつものステンドガラスの窓が並んでいる。
キャンパス内には、複数の博物館があり、一部は日本のガイドブックにも紹介されているようだ。ちなみに、学生が行っている無料のキャンパスツアーもある。
友人らと、ボストン市内の観光もした。ニューヨークと比べれと、華やかさにかけるが、その分、のどかな都市環境が我々日本人には魅力的なのだと思う。街の中心部には、アメリカでもかなり早い時期に作られたボストン・コモンズがある。比較的暖かいこの時期には、街にでれば、ありとあらゆるところでお祭りや大道芸をやっており、人で賑わっている。私がボストンに行った際には、アーツ・フェスティバルが港沿いの公園で開催されていたり、面白いトークを交えた観客参加型の大道芸が行われていた。友人らも一日のボストン観光を終えて、満足した様子だった。
ボストン市内の名所といえば、ボストン茶会事件をはじめとする歴史上の事件の舞台となった建築物の数々だろう。アメリカ独立運動の発端となった都市でもあるため、あらゆるところに歴史上の偉人の銅像や、関連した展示がある。ほかにも、ボストンの近代美術館には、多くの観光客が足を運ぶようだ。
さらに、学生の観光客にとって、ボストンのいいところは、ニューヨークをはじめとする東海岸の都市が比較的近いと言うことだ。ニューヨークまではバスで四時間かかるものの、片道わずか20ドルほどしかかからない。私の友人らも、ニューヨークで数日間滞在してから、日本に帰国したようだ。
日本からボストンへの直行便がないため、ボストンへのアクセスがいいとは必ずしも言い難い。とはいえ、ほかのアメリカの都市とは違った、独特の良さがあることと今回体感した。アメリカといえば、まずハワイやニューヨークといったメジャーな観光地を思い浮かべがちだが、一度足を伸ばしてみてはいかがだろうか。
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◇ 2009年9月 ハーバード生の夏休みの過ごし方
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◇ 2009年9月 ハーバード生の夏休みの過ごし方
アメリカでの一年目を終え、多くの友人は自宅に帰宅し、三ヶ月あまりの夏休みを満喫している、しかし、周りの様子を見ていると、単純に休暇として過ごすよりは、学習を補うような体験を織り込んでいる人が多い。今回はハーバード生の夏休みの過ごし方について書いてみたいと思う。
そもそも、アメリカの大学の夏休みは長いため、三回ある夏休みに何をやったのか、ということは履歴書を作成するとき、つまり、企業に就職するときに重要なのだ。将来の就職を考えても、夏休みに有意義な活動をすることが求められているのである。一年目は、まだ卒業が迫っていないため、その活動の内容も多義に渡るようだ。
日本においては、そもそも学生がインターンをやると言う考えが比較的新しく、企業側もインターンの受け入れ方をはっきりと規定できていないことも多いようだ。しかし、アメリカにおいては、学生インターンの受け入れは、企業の社会的責任を果たすという意味合いもあるらしく、企業活動に直接貢献できないとしても、あらゆる学年の学生を受け入れているのだと思う。三年生にもなれば、就職を考え、本格的なインターンシップに励む人も多いが、昨今の就職難が逆風となり、今年は一年生でインターンをしている人が平年よりも少ないという。
私の友人の一人は、南米のある国で、現地の小さなクリニックの手伝いをしにいった。自らが現地のお水を飲んで腹を壊し、逆に医者のお世話になってしまったようだが、将来的に医者を目指している彼にとっては、現地での経験は貴重なものであったのだろう。ほかの友人のなかには、政治家の選挙活動の手伝いをしたり、学生主体の学生会議の運営に携わったりしている人もいる。
いずれにしろ、学生の時の時間は限られており、皆限られた時間を最大限に活用しようという意識が強いようだ。夏休みの過ごし方は、その前年の九月ごろから考えはじめている人も少なからずいる。まだ今年の夏休みが終わったばかりだとはいえ、私も、少しずつ来年の夏のことを考え始めなければならないのかもしれない。
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◇ 2009年8月 イベントレポート「ハーバード大学在校生が語る海外トップスクールの魅力と留学の意義」
◇ 2009年7月 ハーバードの課外活動について
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◇ 2009年7月 ハーバードの課外活動について
ハーバードでの学校生活は、四つの要素から成り立っている。学生の本来の仕事である勉強、金曜日と土曜日の夜を中心に行われるパーティーなどでの娯楽、夜中に人間がすべき活動である睡眠、そして、課外活動である。今回は、その課外活動の様子について、紹介してみたいと思う。
ハーバードには無数の学生クラブがあるが、その活動内容は、スポーツから音楽からビジネス等々、多岐にわたる。活動の頻度に関していえば、日本の大学に存在するサークルのうち、かなり活動がゆるいようなものはハーバードには存在しない印象を受けた。とはいえ、活動の頻度は多様で、スポーツクラブはほぼ毎日活動しているところもあるし、週に一二回集まるようなクラブも存在する。
伝統があるクラブとして有名なのは、オーケストラや学内誌ハーバード・クリムゾンだろう。ハーバード・ラドクリフ・オーケストラは200年ほどの歴史があるとされているし、学内誌も1873年に創立されたといわれている。これらのクラブは、キャンパスでも圧倒的な存在感を誇り、人気のため入るための選考プロセスを経なければならない。
私が参加しているクラブは、どちらかといえばビジネス系のクラブが多い。起業クラブがそのひとつだが、このクラブでは、起業をした経験がある人と話す機会が得られたり、起業に興味がある人の活動を支えるようなことをしている。実際に起業をするのは難しいことであり、また、ハーバードにいる人全員と会うのも難しいことだが、このようなクラブを通して、学問領域や出身地を横断して、さまざまな経験のある人に会うことができるのである。
ほかにも、民族系のクラブ、各分野での出版物や学術雑誌を発行するようなクラブ、政治系のクラブ、ボランティア系のクラブ等々、ありとあらゆるクラブが存在する。アメリカではボランティア活動をする風習が広まっており、ボランティア系のクラブに入っている人はまったく珍しくない。たとえば、私も近所の赤十字社の教室で資格をとり、心肺蘇生法の教室の手伝いをしている。
日本の大学ではあまり耳にしない課外活動は、リサーチ(研究)である。興味のある研究をしている教授がいれば、その先生に直接メールをし、研究のお手伝いをやらせてもらえることがある。また、独自で研究をしたい場合も、その研究に賛同してくれる先生がいれば、学校から資金的な援助を受けられるという。最先端の生命科学の研究や、ビジネススクールでのリサーチに、学部生が積極的に参加できるのも、大規模な総合研究大学ならではの特徴だろう。
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◇ 2009年6月 ハーバードの学食メニュー(学生たちの食生活)
◇ 2009年5月 ハーバードで使われる言葉
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◇ 2009年5月 ハーバードで使われる言葉
アメリカの大学生なら誰でも知っている言葉からハーバードでのみ通用する特殊用語まで、あらゆる言葉が存在する。ReadingPeriod、River-runなどこれまでにもいくつか紹介してきたが、今回は、その他の面白い言葉を紹介したい。
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Pre-game 通常、pre-game stretchといえば、スポーツ選手などが試合前に行うストレッチのことを指すが、大学でPre-gameという場合、パーティーの前に友達などで集って行われる飲み会のことを意味する。パーティーに行く場合、パーティーがはじまる一時間ほど前から、寮の部屋などに集まり、パーティーに行く前の「準備体操」をするのが一般的なようだ。
Concentration 大学の二年目に選択しなければならない「専攻」のこと。通常は、Majorというが、ハーバードではConcentrationという。副専攻のことを通常Minorというが、これはSecondary Concentrationとよばれている。
House 先月の記事で紹介したとおり、上級生の寄宿舎はHouseと呼ばれる。ちなみに、寄宿舎の管理人は、House Masterと呼ばれ、いかにも厳格な印象を与える名称だ。(一般にはDormと呼ばれる。)
Brain Break 各食堂で、夜10時ごろに食堂が開かれ、お菓子や飲み物などを楽しめる。ハーバードの食堂は、夕食が午後4:30から7:00過ぎまでしか食べられないなど、三食とも早めに終わることで名高く、夜食を食べなければ夜中空腹に耐えることになる。
Pre-frosh 来年度入学する一年生(Freshmen)のこと。通常、4月中の週末に、Pre-frosh Weekendが開催され、ハーバードに合格した高校生が、寮に泊まりながら学校見学をすることができる。大学に入学するか否かの返事は、5月はじめまでに提出すれば良いため、この週末に実際に学校を訪れて決める人も多い。この週末は、新入生と、その家族が訪れるため、ひときわ大学がにぎやかになる。まだ、大学は、この週末にあわせて、草花などの手入れをし、ちょうどこの週末に一番見栄えがよくなるように調整している、ともいわれる。
Finals Club 会員制の学生の集まりで、いくつか存在する。社交的な意味合いが強く、それなりに裕福でコネがないと招待されないとされる。ハーバード周辺には、Finals Clubが所有し、パーティーなどを開く建物が点在し、会員以外は入れない。伝統色が強く、アメリカの代々の政治家なども、この類のクラブに所属していることも稀ではない。
J-Term ハーバードの一年間は、ほかの学校に比べて試験期間や長期休暇の時期がずれていた。来年度より、アメリカのほかの大学に類似したスケジュールが導入されることになった結果、12月末に一学期目の期末試験が終わり、1月末に二学期目が始まるという予定になった。1月はほとんど授業がなく、冬休みが長くなったのである。この長めの冬休みを活用して、興味がある人だけが参加する短期間のセミナーなどが行われるのではないかと期待されていたため、この冬休みのことをJ-Termと呼ぶようになった。(残念ながら、不況で予算不足になったため、当面の間このような計画は行われないことになったそうだ。)
Comp ハーバードのクラブの中には、会員になるために、一定の条件を満たさないといけないクラブが存在する。新入生がクラブに参加するために、条件を満たそうとしていることを、Compingという。その代表例が、Harvard Crimsonという学生新聞社への参加に必要な条件である。新聞記事を執筆し、そのほか雑用なんかをこなす・・・条件を満たしたもののみが参加を許可されるのだという。
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◇ 2009年4月 ハーバードの寮生活(ハウジング・デイ)
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◇ 2009年4月 ハーバードの寮生活(ハウジング・デイ)
今月は、ハーバードの伝統的な行事のひとつである、ハウジング・デイについて紹介してみたいと思う。
ハーバードの寮は、一年生が住んでいるDormと、二年生から四年生までが住んでいるHouseとに分かれている。一年生のDormの部屋割りは、入学するときにアンケートに答え、そのアンケートの内容を元に、大学側が決める。 |
一方で、一年次の終わりに行われるハウス(House)の部屋割りの決め方は、少し変わっている。簡単に説明すると、まず、一年生の二学期目の中盤に、来年一緒になりたい人とグループ(Blocking
group)を作る。3月に、Bocking
Group単位で、まずどのハウスに所属するのかを決める抽選に入り、さらに、夏休み中に、各ハウスの中でどの部屋に住むのかが決まる。
このハウスの部屋割りを決めるプロセスには、かなりドラマがある。グループは最大で8人までで、複数のグループに所属することはできない。どの「友達の輪」と一緒に三年間を過ごすのか、一年生の二学期目にして決断しないといけないのである。一緒にグループするつもりだった友人が、違うグループに行ってしまったり、また、友達のグループが大きすぎて、二つに分けないといけないケースなどに、友達同士でもめるのは必至である。一月下旬は、食堂などでも口論をしている一年生を時々見かけることができる。
グループが決まったのちも、ドラマは続く。グループ単位で抽選に参加し、三年間をどのハウスで過ごすことになるのか、ハウジング・デイに発表されるのである。どのハウスが住みやすいのか、部屋がきれいか、ハウスにある食堂はおいしいか、パーティーが多いハウスは何処かなど、一年生も上級生などからさまざまな噂を聞いているのである。たとえば、学校の中心部から少し離れているQuadにあるハウスは、授業にいくためにシャトル・バスに乗らなければないため、一般に不人気である一方、部屋が広く、二年生でも一人部屋をもらえる可能性が高いため、一部で人気だったりする。
ハウジング・デイは、その前夜からすでにイベントがある。噂によれば、紙で作った船に「所属したくないハウス」の名前を書いて、その船に火をつけてチャールズ川に流せば、そのハウスは逃れられる」という言い伝えがあるそうで、紙の船を川まで運んでいる学生の姿を見ることができる。この行事は、「紙の舟を川に流して神頼みをする」という、日本の文化に似通った要素をもっている不思議な行事であるような印象を受けた。
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その後に行われる伝統的なリバー・ラン(Riverrun)は、学生がお酒を飲むための口実であるといってもいい。各ハウスを回りながら、それぞれのハウスで出されるお酒を飲むのである。ゆえに、ハウジング・デイ前夜にハーバードの学生街を歩きまわると、数多くの学生がほろ酔い状態で歩き回っているという奇妙な光景を見ることができる。
発表がなされる当日は、朝から様子が違う。普段は寝坊するのが一般的なハーバード生だが、この日ばかりは、みな朝からおきて、部屋で部屋割りが発表されるのを待つ。この発表の方法がまた面白い。10人ほどのグループになった上級生らが、そのハウスに所属する後輩の部屋まで行き、その場で抽選で当たったハウスを発表してくれるのである。上級生らは、前夜から徹夜して飲んでいたりするため、大騒ぎで部屋のドアをノックしてくる。ハウスごとに異なるティーシャツを着て、大きなメガホンや旗を持ちながら、学校中を駆け回る上級生らのグループを見ることができ、まるでお祭りのような雰囲気である。
この行事は、上級生らの後輩に対する思いやりであると考えても良いのかもしれない。各ハウスには強いコミュニティーがあるため、上級生らは自分の所属するハウスに対して強いプライドをもっている。そのため、ハウジング・デイの数日前から、上級生が自分のハウスの「宣伝」をしたり、ほかのハウスの人と言い争いをしている姿を見かけることができる。
ハウジング・デイの昼食も、パーティーのような雰囲気だ。食堂に入るとすぐに、各ハウスの上級生らがテーブルに上ってここぞとばかりに騒いでいる。ハウジング・デイの夜も、各ハウスに新しく所属が決まった一年生とのパーティーが行われる。
このようにして、ハウジング・デイは終わり、一年生は自分の所属するハウスを知る。一日中お祭り騒ぎで、この日ばかりは授業に顔を出さない学生も多い。ハウジング・デイは、全寮制で不思議な歴史を持つハーバード大学だからこそ体験できるイベントのひとつなのだろう。
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◇ 2009年3月 ハーバードの試験事情
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◇ 2009年3月 ハーバードの試験事情
日本でもアメリカでも、学生がもっとも嫌う「学校行事」の一つが定期試験である。学生である以上、受け入れなければならない現実でもあろう。
アメリカでは日本同様に、学期中に行われる中間試験(midterm
exams)と期末試験(final
exam)がある。日本でいう中間試験にあたるmidterm
examの呼び名には注意が必要で、一学期4ヶ月間の間に、中間試験が二回や三回行われることも珍しくない。中間試験は、授業によって行われる期間が統一されていないため、数週間連続で中間試験があったり、逆に同じ日に試験が重なったりすることもある。
中間試験は通常の授業時間内で行われる試験であるのに対し、期末試験は、大学が指定する期末試験期間中に一斉に行われ、かなり大規模なものになる。試験時間は三時間、一週間ほどの試験期間中に試験を四回、多い人になると五、六回ほど受ける人もいる。日本の大学に比べると履修している科目数が少ないため、試験の数も少ない。 |
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辛い期末試験期間から学生を救うために設けられているのがReading
Periodと呼ばれる試験準備期間である。この試験期間直前の一週間は、通常の授業はなく、学生の多くは図書館や寮の自室で勉強に励む。図書館は二十四時間空いているため、毛布を持ち込む人の姿も見かけることができる。普段はひと気が絶えないハーバードスクエアも、この期間中はどこか物寂しい雰囲気を漂わせている。
この試験期間中は、普段穏やかな人でも、少なからずピリピリしている。アメリカの学生が期末試験にひときわ緊張するのには、理由がある。多くのクラスでは、期末試験の成績が、総合成績の四割から六割ほどを占める。日本では、高校でもテストの成績だけで総合成績が決まる場合も少なくないが、アメリカの高校では、普段の宿題や授業参加に重みが置かれ、大学でもその傾向がある。日本のように、受験(入学試験)の経験もない彼らは、これほど一回の試験で運命が左右された経験がないのである。この点、日本をはじめ、受験制度がある東アジア諸国出身の学生は有利であるといってもよいだろう。
このようなときでも、ハーバードの多様性を感じることができる。私のある友達は、普段から勤勉で、試験期間中も毎日8時間ほどの睡眠時間を確保し、計画的に勉強をしている。いわゆる「優等生タイプ」の人だ。一方で、普段はほとんど勉強しないで、直前で一気に勉強する友達もいる。彼らは、直前に数日間食事もせずに徹夜して勉強する。ハーバードの学生は皆勤勉というイメージがありそうだが、そんなことはまったくないようで、このように「効率よく」勉強する人も少なくない。いずれにしろ、試験の日までには、みなそれぞれの試験勉強を終え、試験を迎えるのである。
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試験は校内のあらゆる教室を貸しきって行われる。普段授業時間中に行われる試験よりは厳正な雰囲気が漂うが、それでも日本の一般的な学校で行われる定期試験よりはルーズであると思う。試験は、講義室の狭い机で行われ、試験中に飲食をしている人の姿もみた。
長い試験期間が終わり、学生は短い休みを満喫する。寒いボストンの冬から逃れるために、日差しが眩しいカンクーンやカリフォルニアに飛び立つものもいれば、一時帰省する人もいる。休みが終わるころに、成績がインターネットで発表される。オールAを取ってうれしそうに自慢する人、満足のいかない成績でもクールに過ごす友達、人それぞれ成績の受け止め方が違うのは日本と同じようだ。 |
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